なぜ、かくもスポーツは巨大化してしまったか

東京パラリンピック・オリンピック。その誘致に疑念がわいているようです。いつ頃から、スポーツの世界大会で巨額な資金が飛び交い、その権限がうなぎ上りに高まったのでしょうか。

1932年ロスアンゼルスオリンピック。軍国主義の軍靴の足音が近づきつつある中でのオリンピック。

1936年ベルリンオリンピック。この辺りから「国家」を意識したスポーツとなり威勢を張る大会様式となったのでしょう。

1984年ロスアンゼルスオリンピック。前回のモスクワオリンピックボイコットの尾を引いた大会。国家が賄う大会には赤字がついて回ります。それを解消するため、商業主義導入により、エンターテイメント性が高まった大会を目指して、観客動員を飛躍的に増やしたのではないでしょうか。賞の階級も増やされました。当時のソビエトへの当てつけともとれる大会運営でした。

アマチュアからプロフェッショナルへ。国家から民へ。大会運営も政府の介入が少ない状況で組織化され、故に、各理事に権限が集まり、プロフェッショナルとエンターテイメントが綯交ぜとなれば、巨額の資金が蠢くことになる・・・。

2028年ロスアンゼルスオリンピック。約8年後の事ですが、今再び、国家の威信をかけた大会になろうとしている予感がします。米中冷戦と「偉大なロシアの復活」と。プロフェッショナルとエンターテイメントと国家が綯交ぜになるオリンピック。アスリートそっちのけで、場外乱闘が始まらなければと、心配しています。

であれば、東京オリンピック・パラリンピックは、アスリートと応援する人々の大会であってい欲しい。それが功を奏して、次からの大会が誠意ある大会運営となることを祈っています。



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