イクサの扉

この記事の中には、リーダーの難しさがにじみ出ている。皆が「いけ!いけ!」といっているのに「いや、まて!」といって、皆が待つわけではない。

それが、戦争だろう。

一度、イクサの扉が空けば雪崩を打って戦場に人々が押し寄せ、理屈抜きで殺しあう。"勝った!" と言い切ったほうが勝ちとなり、趨勢の中で "負け" に括られた集団が、イクサの扉を締めに行く。戦場に繰り出した人々を扉の外に押し出して。それでも、幾人かは戦場に残っているのだが。イクサの扉を閉めるのは、"負け" と括られた集団のリーダーである。

「あの時、まて!と一喝してイクサの扉を頑なに開けなければよかった。」と悔いる。戦場に累々と横たわる死者。その積み上げとそれ以上に募る悔恨。

リーダーにも「最高権力者の一分」がある。協力者である暴力装置が意に反する行動を勝手にとる。それが既成事実となって、打ち消しようのない流れを作ってしまう。ながれは太くなり早くなり平和志向をえぐり取りながら戦場に流れ出る。

リーダーがイクサの扉を閉めるとき、戦場から戻ってイクサの扉の外へ出ようとする人々に何と声をかけるのか。

声をかける前に罵声を浴びせかけられることの方が多いだろう。「お前のせいだ!」と。確かに、そう思う。同時に「次は、平和な社会を築いてください」とは言いにくいだろう。イクサの扉の外へ歩いていく人々の背中に悲しいまなざしを向けるより他はない。

イクサの扉を開けない。それが、リーダーの資質だ。だが、今、その資質に足るリーダーは、世界のどこのいるのだろう。

#日経COMEMO #NIKKEI

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