自責のその先

(以降、主に「イギリス委任統治領パレスチナ」Wikipediaから抜粋・引用・参照)

長い歴史がある。創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記。トーラーとも呼ばれる。そして、律法とも呼ぶ。これは、「教え、指示」という意味に値する。キリスト教では「道徳・司法・儀式」の教えとなり、イスラムでは「啓展」として預言者に与えられた四つの啓示「タウラート・ザブール・インジール・クルアーン」につながる。

様々に変遷し、今に至る「教え、指示」。解釈の違いから反目しあうこと多し。近年に至っては、生きるために金融に力点を置いた習慣が忌み嫌われ民族同士の対立から民族浄化にまで発展し凄惨な事態を引き起こした第二次世界大戦がある。その深い反省もあって「イスラエル」が存立する。

その前の第一次大戦でオスマン帝国が崩壊し欧州各国の直接・間接統治が始まっていた中東。意のままに動かせるうちに、国境を引いたのだ。トーラーの解釈の違いのまま引かれた線。ユダヤ・キリスト・イスラムのだれもが不満であったことは言うまでもない(聖地を含むパレスチナは共同統治)。


1916年 サイクス・ピコ協定

「連合国主要国は、委任統治が、1917年11月2日にイギリス国王陛下の政府により発せられ、いわゆる列強が承認した宣言を実行し、ユダヤ人のナショナル・ホーム(民族郷土)をパレスチナに確立することに責任を負うべきであると合意した。また、パレスチナに存在する非ユダヤ人コミュニティーの市民的・宗教的権利を不利にすることや、あらゆる他の国に在住するユダヤ人が享受する権利や政治的地位を不利にすることはなされてはならないと明確に了解された。」、「バルフォア宣言」の条文、イギリスがロスチャイルド卿と交わした内容である。


1919年 シオニスト代表案


1920年 イギリス統治パレスチナ



1922年7月24日に国際連盟理事会で公式に承認され、1923年9月26日に発効された「イギリス委任統治領パレスチナ」。

1890年代、オーストリアの同化ユダヤ人であるナータン・ビルンバウムにより考案され、聖書のゼカリヤ書にある「シオンに帰り」を引用した「イスラエルの地」を再建すべく、あるいは、ユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動を興そうとするユダヤ人の近代的運動をシオニズムと呼ぶ。

「私はユダヤ教徒(ユダヤ人)であり、シオニストである。私にとってこの二つは切り離せない一つの拠り所である。またこれが、歴史的なユダヤ教の立場であるとも考えている」
—ラビ・エマニュエル・ラックマン

「私達アラブ人、特に教育と知識のある者は、シオニズム運動に対して心から共感を覚え、見守っている。(中略)私達アラブ人は、ユダヤ人帰還者を心から歓迎する。我々は改革され、更に改善された中東社会を求め、共に働くつもりである。二つの運動は相補的、また民族的であり、帝国主義的なものとは無縁である。シリアには二つの民族が共存できる余地がある。実際に、どちらか一方が存在しなければ、これは成功する運動ではない。(中略)私は、私の民族と全く同じように、我々が支持しあうようになろう将来を、楽しみに待っている」
—ファイサル1世 (イラク王)からフェリックス・フランクファーターへ 1919年3月3日

「我々は、ユダヤ人が、ロシア・ドイツ・オーストリア・スペイン・アメリカなど外国から、パレスチナの地にたどり着くのを見てきた。深い判断力を持っているものならば、ユダヤ人の権利に目を閉ざすことはできない。我々は、あらゆる違っている点にもかかわらず、この土地が共に愛され、あがめられ、共通の祖国であり、同時に、この土地の本来の子らのものであることを知っている」
—ヨルダン国王・フセイン1世

当初は、上流階級では「共通の祖国」として認識されていた。


1937年 ピール卿案


1946年 パレスティナ


(ここから妄想)*****

だが、「イスラエル」とその後に発足した「パレスティナ自治政府」の「貧富の格差」により、貧しい人たちの意識は「領土を奪われた」という方向に強く傾く。

「共通の祖国」ではなく、「不平等の祖国」と化したパレスティナ。その怒りはやむことがない。

一方、富を得たユダヤの人々は直接関与する手法は避け、金融による間接的な政治・経済への関与を深めていく。もっとも重要視したのは「情報」である。情報によって貧しくもなり豊かにもなる。価値を創造する側に情報を操作する側に立つことが生き残るために必要だった。祖国が亡くなった古から伝承された知恵である。

だが、今、祖国を手にしたユダヤの人々は、情報をおろそかにしてしまった。近未来的な情報収集にうつつを抜かし、生き残るための知恵を退化させてしまったのだ。だが、いまだに豊かである。反発する者どもに対しては豊かさで組み伏せる。それが、また、反発を呼ぶ。古の生きるための知恵をどんどん失っていく。祖国を手放す気なのか。

貧富の格差を是正しつつ「不平等」への怒りを徐々に鎮めるよりほかに方法がない。
「共通の祖国」を双方失わないために、知恵を出し合うより生き残る道はない。

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#日経COMEMO #NIKKEI

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