振り返り vol.5 大学生編③


さて、ここからは大学生活後半戦に突入。
ということで、3回生編をお送りする。

たまたま3週連続で投稿できているので、個人的に良いペースなのかなと思っている。

それでは、本編をどうぞ。

⭐︎大学3回生(2016)編
3回生となり将来に向けての動きの第一歩として、興味のあったマスコミ業界の講座に自腹切って受講。
興味があったのは、ただ単に野球が好きで阪神ファンだったため、スポーツ新聞記者だったり、サンテレビに就職すれば楽しそうという短絡的な理由からであった。
そして、講座を何回か受講してみて、気付いたことがある。

それは講師のマスコミ業界を推す理由が『やりがいがある』と『給料が高い』の2点だけだったことだ。
2つしかないことが問題というよりは、なんとなく抽象的で、内容が薄いなと感じてしまった。
この違和感(不納得感)を持ったまま、このままマスコミを目指すというのも視野が狭いのかもと思い、色んな業界を学んでみようと行動範囲を広げることにした。

インターンシップの合同説明会に参加し、多くの企業のブースで話を聞いたり、個別で話したりしたがなんとなく違和感を感じていた。
(この時はその正体はわかっていなかった)

また、中期留学は12単位しか取得できず(通常はMAX24単位)、2年春まで周りの力に救われながらも順調に単位を取得していたとはいえ、同期とは少し遅れを取る形となった。
3年の春、中期留学後は取得単位数が緩和される仕組みがあったので、それを活用し28単位分の講義を敷き詰めて、絶対にフル単(一つ漏らさず取得すること)するぞと心に誓い、課題に追われないようにするために逆算しながら、取り組む。

また、文学部に入ったことを2年の時に後悔していたが、後悔したまま卒業したくないとこの時思っていた。
文学部に入った理由が何かあるんじゃないかと考え、そこを探るために一度全力で学んでみようという気持ちになっていた。
そうした二つの動機があった中で取り組んだ結果、28単位すべて取得し、おまけに成績も自己ベストを出せて上位に食い込んだ。

文学部には情報感度が高く、就活に積極的な同期があまりおらず(少なくとも周りにはいなかった)、
私自身就活を早めにやりたい思いがあったため、自ら行動を起こし、情報網を作っていった。
その頃、部活も幹部になっていたため、力を入れたいことがバイトではないところに向いていた。
そうなっていたある日、バイト先の店長に勘付かれて「お前はこのチームをどう思ってるんだ」と言われた。
その時の私自身の率直な気持ちはここで一生働くわけじゃないし、就活とか部活の方が大事というものだった。
結果、このタイミングで店長と決別した。

その後は干されて、シフトに入りたい分も入らせてもらえなくなったため、3年夏に正式に辞めることにした。
本当に色んなことがあったが、留学後戻る気のなかった私を呼び戻してくれたこと。
ソリが合わなくて関係性が悪かった料理長を私が戻った後に異動させて、厨房とホールの風通しを良くしてくれたこと。
バイトに力を入れられなくなった今の今まで働かせてくれていたことには感謝している。

この夏に私自身の就活における一つの大きなターニングポイントが訪れる。
フィンテックの会社のインターンに参加することになったのだ。
東京開催だったので、最初はどうするか迷っていたが『迷ったらGO!』という考えを持っていたため行ってみようと思い、応募をしていた。
このときが人生で初めての東京に1人で行く予定ということで、なんだか不思議な気持ちでいた。
ちなみにこのときに泊まったのは、ホテルではなく留学時に仲良くなった早稲田大学在学中の方の家だ。
家には不在とのことだったが、快く貸してくれるとのことで、お言葉に甘えさせてもらった。

インターン当日はじゃんけんプログラムを作るというワークをやったのだが、全く何をどうして良いか分からなかった。
たまたま隣の席にいた方が、東京大学大学院に在籍しているようなエリートだったのだが、彼はサクサクとプログラムを作成していっていた。

その差を肌で感じ、この時点ではプログラミングが自分にとっていちばん難しいことだと感じた。
全く何をどうしたらできるようになるのかもわからないレベルだった。

それからIT業界に興味を持ち、情報収集をしていった。
エンジニアではなく営業を目指したのは、エンジニアは未経験では厳しいという固定概念を持っていたからだ。
それに加えて、当時は有形商材の営業だとなんとなくできてしまいそうだなと甘い考えを持っていたため、無形商材で自分の人としての力を磨こうと思っていた。
(今となっては、有形だろうが無形だろうが、変わらず営業の本質は人間力だと思っている)

IT業界に興味を持ちつつも、コンサルティングや商社の情報を集めていたが、強烈なインパクトあるものはなかった。
その後、なんの流れか10月頃にベンチャー系の人材会社のグループディスカッションに参加することになる。
間違いなく就活のターニングポイントはここである。
今までは出会ってきた中では断トツの知識量、思考力を持つメンバーが参加していたのだ。
あっけなく惨敗。完全白旗を揚げるしかないそんな感じだった。
付け入る隙すらなく、潔く負けを認められたし、物凄く強いインパクトを感じた。

ベンチャーという世界にはこれほどまでに優秀な人が揃っているのかなと当時の私に期待を抱かせた。
それ以降は、方針変換をし、ベンチャー企業について情報を集めていくようになった。
goodfindで情報収集をし、offerbox、キミスカなどで人事担当者からオファーをもらい、面談をする。
そのような流れで知識と経験を積んでいった。
そして、年が明け1月にJobTryout(※)という就活イベントで、ある会社(以後A社と表記)と出会う。

※就活生は4-7人でグループに分かれ、ビジネスゲームを行う。その様子を見て企業担当者が個人を評価をする(オファーも出せる)イベント

イベントの冒頭に、6社のプレゼンが行われるのだが、その中で(というよりは通算でも)断トツの面白さだった。
そこはITエンジニアの会社で東京本社だが、関西での採用に力を入れているとのことで、関西開催のイベントに出てきたようだ。

JobTryoutというイベントはとにかくめちゃくちゃ頭を使うイベントで毎回行く前は嫌だな〜、行きたくないなと思っていた。
しかし、行ってしまいさえすれば、毎回真剣に取り組みそれなりに上位の成績を取れていた。
経験値にもなるし、企業の繋がりも作れたりするので、参加する価値があるということで、繰り返し参加申込をしてしまうという流れになっていた。

また、今回は断トツに興味がある会社があったということで、なんとかアピールできるようにと気合が入った。
ビジネスゲーム後の座談会でA社の話を聞きに行って、気付いたことなのだが、同じ高校出身の先輩(校内で見かけたことがあった)がいたのだ。
見たことあるかもとは思っていたが、それが当たっているとは思わず正直驚いたし、ご縁を感じた。
高校時代、その先輩はスクールカーストの上位に位置しており、且つとんがっていたため、怖そうやな〜と勝手に思っていた。

そう思っていた先輩がいて、話が普通にできたことでこの会社に対する興味がより一層増した。

1月17日の一次面接では雑談ベースで色んな話をした。
担当者は座談会の時に隣で話していた人事の方で面識がある方だった。
そのおかげかあんまり緊張感はなかった。
また、8月には集団面接で思いっきりコケたことがあり、それからは場数を踏むことを意識してやってきていたため、この時は然程意識することなく自然に話すことができた。

その中でも、びっくりしたのがエンジニアとしての採用を視野に入れてもらえていたことだ。
「できるようになるまでやるでしょ?」と言われ、確かにできるようになるまでやるだろうなと思った。
チャンスがあるならチャレンジしてみたい気持ちもあったため、好意的な返答をしていた。

自分にとって、いちばん難しいと思っていたことに取り組むとなると、それをできるようになるために新卒から学ぶ習慣ができる。
これは人生を生きる上の選択肢としては、良いのではないかと考え、ファーストキャリアでエンジニアになることを選択肢に入れた。

25日にA社の2次面接があった。
あのめちゃくちゃインパクトのあるプレゼンをやっていた人事の責任者の面接だった。
正直、ほとんど話さなかった記憶があり、こんなんで良いのかと思っていたが、社長面接の説明をされたので、これはこれで良いのかと納得をした。

今思い返せば、この頃がいちばん活動を積極的にしていたようで、週10-20件ほど就活関係の用事を入れていた。
50社以上の話を聞いてる中の1社ではあったが、今でも強く印象に残っているということでやはりご縁は当時からあったのだろう。

また、新聞を読むと良いよと言われていたため、日経新聞のセミナーに参加したりもした。
日経新聞だけでなく、日経産業新聞も役立つということを知り、母親と交渉をする。
実家は既に日経新聞を毎日届くようになつていたため、産業新聞を読むから買ってとダメ元で頼んでみたのだ。
その結果、ちゃんと読めば半額を出してくれることになった。
(読まなかった場合は全額私が払うという、ちょっと変わった約束事になった)

それからは産業新聞を読み、初めてAIやIoT、ビッグデータなどの概念を知った。
また同タイミングでNewsPicksの存在も知り、有料版の購読を2.3年続けることになる。

2/6-8には、東京に行くことに。
上手く日程調整をし、1日に2.3件の就活関連のイベントを入れた。
ある会社の集団面接前に待機室で15人ほど就活生が待っていたのだが、誰も喋っておらず、シーンとしていた。
その中で私だけが関西ノリを打ちかまし、隣の人に話しかけていた。
これは単なる東京と大阪の差なのか、、果たして。。

2/8にはA社の最終面接で社長から、「他社を思う存分見てからその上で選んでほしい。自信があるから待つ。」と言われ、就活続行を許された。

内々定を2月に得られたことで、とても自信になったし、余裕を持てるようになった。
余程のことがない限り、行き先があるということで保険にもなる。
それにこの状態で就活が続けられるというのは、既に内定持ちの就活生ということで他社からの評価も上がりやすくなった。

なにより大学4年になる前に一つ内々定を取っておくということが一つの目標であったので、達成できた喜びが大きかった。

これ以降は自分の進む道をしっかり決めるため。
そして、色んなビジネスモデルを知るという2つの目的を持って、取り組んで行った。

3月にはA社の内定者という立場でJobTryoutに参加させてもらった。
同期の就活生の様子を企業側の目線で見られて、学ぶことも多かった。
また、終了後に焼肉行くか?と聞かれ、即答で行きますと伝えご飯に行った。
その時に人材コンサルの方と出会うのだが、この出会いが新卒一年目の泊まり込み研修で大いに私を苦しめることになるのだが、この時は何も知らずハイテンションで場の空気を楽しんだ。

To be continued...

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