左と右の「少子化対策政策」の違いについて
都知事選が始まりました。今回では、史上最多の候補者が出馬したようで、中には女性の裸をわざわざポスターにする候補、「WBPCの公金チューチュースキーム」批判の急先鋒である暇空本人、広島の田舎町で最若手市長となった人物の挑戦、御年95にしてまだ都知事を諦めない定番泡沫候補の発明家、さらにはポスターの貼付権を販売する候補(しかも「最多の候補者」のうち大半は事実上その方によるもの)…など、様々な候補が目白押しになっていますが、やはり現実的には事実上現職の小池候補と左派政党出身の蓮舫候補の一騎打ちになると思われます。
そして今回の都知事選の大きな争点の一つは、そう、「少子化対策」に対するスタンスです。昨年の都内における出生率はとうとう1を割り込み、どの(真面目な)候補もそれを無視することはできなくなりました。そこで今回は、候補者の政策とは別に、一般論として左派と右派の「少子化対策」に対するスタンスの違い、そしてどちらが「(金銭的に恋愛・結婚できる見込みのない)弱者男性」にとってマシと言えるのか、ということについて見ていきたいと思います。
右派的アプローチ:より多くの男女を「旧来の家族観」に包摂していく ⇒ すなわち「独身税」
まずは「右派的アプローチ」から。これはかなり大雑把に言うと、次のようなものです。
すなわち、各論としてはいわゆる「官製お見合い」、「結婚できるほどまでの所得支援」、あるいは「既婚者への(=限定の)生活扶助、不妊治療支援」などが挙げられます。
その反面、こうした結婚を(自発的であれ不本意であれ)しなかった人には「独身税」が課せられることになります。ちなみにこの「独身税」、必ずしもその名前の税として、いやそもそも「税金」として課せられるとは限りません。たとえば配偶者控除はれっきとした「独身税」の一種であり、その目的の起源は既婚者の生活扶助にあります(もっとも、近年ではいわゆる「103万円の壁」のほうが問題になってきていますが)。
あるいはその結婚観を逸脱した性愛の在り方にペナルティを課すということも考えられます。事実今でも「結婚観・家族観の擁護」のために同性婚や性産業、既婚者の妊娠中絶を犯罪化している国は多数あります(日本も「ある意味では」その一つに含まれるそうです)。
左派的アプローチ:家族観に関わらず「子供がいるか否か」を軸に支援を進めていく ⇒ すなわち「子なし税」
当然ながらこの「右派的アプローチ」は、結果的に「旧来の結婚観に基づいた結婚への支援」になってしまっているわけですから、左派的視点からみて大きな問題があることになるわけです。
そうなると左派的アプローチの少子化対策は、必然的に婚姻の有無やその在り方にとらわれないものである必要があります。つまり、生活扶助にしても「子供がいるか否か」が唯一の軸でなければなりませんし、不妊治療は「婚姻の有無にかかわらず、子供が欲しいという意思だけによって」受けられるものでなければなりません。
だからこそこうしたアプローチは「子なし税」となっていくわけです。しかしこれらは「独身税」とは違い、基本的に「税金」の枠を超えません。もっとも社会的ペナルティの兆候は出て来ていますが、政治面でそうしたペナルティを設けることはかなり困難です。
「弱者男性視点」で見るそれぞれのアプローチ
さて、冒頭で私は「候補者の政策とは別に、一般論として」という言葉を付け加えましたが、これは小池と蓮舫の掲げる少子化対策政策に当てはめていくと、意外な事実が浮かび上がってくるからです。
まず小池氏が掲げている政策を見てみると、そこで掲げられているのはすべて「左派的アプローチ」に近いものです。もちろんこれまでの小池都政では「右派的アプローチ」にあたる結婚支援やマッチングアプリもやってはいるのですが、そうしたものは実績からもごっそり削除されています。
一方で蓮舫氏は、政策として次のようなことを掲げています。
つまり少子化対策としても「所得向上」が必要だ、としているわけです。記者会見では「手取りを増やすことこそが本当の少子化対策だ」とさえ言っているようです。これは「所得を上げて結婚の可能性を増やす」という意味では「右派的アプローチ」に当たる政策です。
つまり意外に少子化対策のアプローチとしては、逆転現象が起きているとも言えるのです。
で、皆さんはどちらのほうが「マシ」と思えるでしょうか?やはりまだまだ多くは「結婚できる可能性の増える」右派的アプローチのほうと考えるでしょうが、実態は全く違います。
もはや若い男性にとって結婚とは「3分の1の確率でめちゃくちゃ不幸になる性質のギャンブル」になってしまっています。そんな中で無理に結婚する必要はあるのか、と懐疑的になる男性は年々増えています。ここから男性を結婚に向かわせるためには、その「離婚ペナルティ」を上回るインセンティブを「旧来の結婚観・家族観」に持たせるか、「旧来の結婚観・家族観」に則らないことに対するペナルティを「離婚ペナルティ」以上に強化させるかしかありません(どちらにしても「クィア男性」にとっては大問題であることは言うまでもない)。
そして上の記事で触れたように、左派的アプローチの「子なし税」は子供を持たない女性が増えるほど「一人あたりの負担額」を減らしていきます。「妻子を持つ」ことが人生の目的でないならば、男性にとっても左派的アプローチに全振りするのが最も「ましな政策」なのです。
やはり女性を「産む機械」から生物的に解放しなければならない
最後に、じゃあ弱者男性にとってベストな政策は何か?を考えていきたいと思います。まあ、分かりきっていることではあるのですが。
まず前提として、「旧来の結婚観」は日本では破綻しきっているという視点が必要です。先の小山氏の記事では、さらに洒落にならない事実の提示が続きます。
そしてこれは、私の記事で述べたように、先人のアンチフェミニスト政治家が「女の解放」に抗して、それを上回るインセンティブを女性に提示してきた結果でもあります。
この観点で言うならば、旧来のセクシャリティに回帰するよりも、「性の多様性」を推進したほうが男性の未来にとってもましになりつつあるわけです。ひいては少子化対策も、家族の在り方に関わらず支援を進める左派的アプローチのほうがやはりましと言えます。
その上で、女性の妊娠を介さずに子供を作れるような技術を確立する、これが弱者男性にとってベストな政策の在り方と言えるでしょう。左派的アプローチの性質として、その受益者となるには「子供を持てばいい」わけですから。海外では生粋のシングルファザーやゲイカップルでも子育てをしている例はいくつもあります。しかしその殆どは「匿名出産」または「代理出産」で生まれた子であり、一部フェミニストから問題視されています。
やはり問題の根源は女が生物的にいわゆる「産む機械」であることそのものにあります。ならば、「産む機械」から解放されることは、少子化問題においても、男の生命が女に対して蔑ろにされる問題においても、大きな一石を投じることが期待できます。
願わくば、こうした人工卵子・人工子宮の技術確立に公費をどんどんつぎ込んでいく、そんな公約を掲げたワンイシュー政党が、次の参院選までに出て来て欲しいものです。