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「独身男性よりも既婚男性の方が自殺しやすい」という不都合な真実

近頃インターネットでまとこしやかに囁かれている怪談がある。その名も「45歳独身狂う説」、ストレートな名称通り、45歳まで独身だった中年男性はその年齢周辺で発狂するという、なんとはなしに婚活から逃げるアラサー・アラフォー世代の心臓を鷲掴みにするようなお話である。

おそらくミームの発信源は新鋭気鋭のnote作家ポンデベッキオ氏あたりだろうか。まぁ勿論「いい歳こいて独身だとキツいぞ」というのは古くから高齢独身の子供に親が投げかける台詞No.1であり、旧くから言い伝えられている格言が改めて形を変えネットミーム化したという面も大きいのだろうが、それにしても中々に攻撃力が強い怪談だ。

特に「45歳」という具体的な数字が挙げられているのがこの怪談の恐怖指数を高めている。「中年で独身だと狂う」だと、55歳くらいまではなんとなく中年のような気がしてしまうので焦りもゆるやかになりがちだが、45歳という個別具体的な数字を出されると「発狂まであと○年」という死の宣告を突き付けられたような気分になってくる。このミームが生み出されておよそ1年あまり、幾多の独身中年男性が恐怖に身を悶えさせたのも無理はないだろう。

しかし実のところ最近筆者は「45歳独身狂う説」の真実性についてかなり強い疑いを持つようになってきている。

もちろん筆者は非婚主義者というわけでもないし、むしろどちらかと言うと男女交際について前向きな立場を取って来た。それは本マガジンの長い読者ならばご存じだろう。思想的MGTOWのような立場なら「完全オフパコマニュアル」などと称してあまり男女交際に前向きでない層の背中を押すような真似をするわけがない。婚姻を含む健全で落ち着いた男女関係は多くの人にとって生活の質や精神の安定に大きく寄与する。それ自体はまったく間違っていない、否定しようのない事実である。

しかしここ4年ほどジェンダー関連の統計や資料を読み漁っているうちに、現代日本人にとって「結婚」が意味するものがおそろしい速度で変化しているのを筆者は日に日に痛感するようになった。

特に若年世代の男性にとって、「結婚=幸福」という構図はもはや成り立たなくなってきている。さらに言えば「独身=不幸」という構図も相当に薄れてきており、様々な統計データを参照する限り「高齢=不幸」という構図すら成立が難しくなってきている。

つまりひと昔前までは誰もが常識としてうっすら信じていた「結婚すれば幸せになれる」「独身のままだと不幸になる」という構図そのものが現代日本からは消失しつつあるのだ。本稿は「45歳独身狂う説」に対するエビデンス・ベースドの検証と、令和における日本人の結婚像の変化について綴っていく。


「45歳独身狂う説」を検証する

さて、「45歳独身は狂う」という主張を検証するにはどうすれば良いだろうか。「狂う」という言葉は中々に多義的だが、それがメンタルヘルスの悪化から来る孤立や自傷傾向などを示唆しているのは間違いない。

というわけでまずは、独身男性の年代別自殺率を参照してみよう。もし45歳という年齢を契機に独身男性の精神衛生に大きな危機が訪れるのなら、30代未婚男性と40代未婚男性の自殺率は大きな違いがあるはずである。

必要なデータは『自殺対策白書』(R3)から簡単に見つかった。第1-31表の「配偶関係別の自殺死亡率」である。これは年代ごと・配偶関係(つまり未婚・既婚・離別など)ごとの死亡自殺率を調査した図表だ。未婚男性が特定の年代で精神的危機を迎えるかを調べるにはうってつけのデータと言える。

引用:令和3年版「自殺対策白書」

結果は30代未婚男性の自殺死亡率が36.3、40代未婚男性の自殺率が40.6、若干の上昇はあるが、30代独身男性と40代独身男性で死亡自殺率はほとんど変わらないことがこのデータからは伺える。

とは言え自殺死亡率だけである年代が「狂い」やすいかどうかを判断するのも早計だろう。自死には至らないまでも、精神疾患などで苦しい状況を強いられているということは十分に考えられる。

ということでお次は『厚生労働白書』(H30)から「年齢階層別の精神障害者数」のデータを参照してみよう。これは精神障害者の数が年齢ごとにどのように変化するかをまとめたもので、要は「狂い」になった人が各年代でどれほどいるのかを示すバロメーターである。性別・配偶関係別のデータではないので注意が必要だが、年代別のメンタルヘルスを示すものとしては参考に資すると言えるだろう。

引用:平成30年度版「厚生労働白書」図表1-1-5

見ての通りアラフォー(35-44歳)からアラフィフ(45-54歳)にかけて、ほぼ精神障害者の数は増えていない。2017年のスコアで35-44歳代が58.2万人。45-54歳代が63.9万人である。「魔の45歳」を越えても心を病み精神障害者として生きることを強いられるひとはほとんど増えていないのだ。

2010年代以降アラサー(25-34歳)からアラフォー(35-44歳)にかけて精神障碍者数が増加する傾向も、そうした変化が見られない2002年のデータと比較するとわかりやすい。要するに労災や過労死が問題視されるようになり企業内のメンタルヘルスに対する取り組みが向上した結果、病休等を取るために障碍者認定を受ける労働者が増加した、という理解でほぼ間違いないだろう。

実際メンタルヘルス業界においてよく知られているように、30代以降に初めて心身の問題を抱えるのはその多くが労働問題である。ハードワークの限界が来て一気に心身が崩れてしまう…という形で精神医療につながるパターンが極めて多いのだ。昨今SNS上で怪談じみて語られるように、「45歳を過ぎると一気に狂う」というような事態はあまり観測されていない。

というわけで、手に入る限りの自殺統計や精神障碍者統計などを検討した結果、「45歳独身狂う説」を裏付けるデータはまったく見つからなかった、というのが結論である。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないが、怪談の正体というのは案外こんなものであるらしい。

しかし、である。

「45歳独身狂う説」に不気味なリアリティがあることもまた確かだ。我々はなんとはなしに「中年男性=不幸」という図式を内面化してしまっている。若者より中年がより不幸なはずだと理性よりも前に直感として信じてしまっているのだ。一体この感覚はどこから来ているのだろうか。

この疑問を解くカギもまた自殺統計の中にある。端的に言えば自殺しやすい属性には時代ごとトレンドがあり、我々は「中年男性が自殺しやすい時代」という特殊な時代をつい最近まで生きていたのだ。

戦後日本の自殺史をより詳しく辿ってみよう。


「不幸な中年男性」というイメージはどこから来たのか

おそらく読者諸兄の多くも「自殺するのはうらぶれたオッサン」というイメージを持っているのではないだろうか。若者は希望に溢れているが故に自死から遠く、中高年はなんの希望もないがゆえに死に近くなる。なるほど確かに肌感覚として我々に染みついているイメージである。

しかしこれは、戦後日本の自殺統計を広いスパンで見ると完全に否定される固定観念だ。昭和22年から平成18年までの年齢階級別の自殺者数を見ると、驚くべきことが明らかになる。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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