高市総理の誕生は、ジェンダー保守派と草の根フェミの癒着の象徴

次の衆院選における「顔」となる、自民党総裁選が始まります。そこに2016年米大統領選のトランプのごとく急浮上したのが高市早苗氏です(野田聖子氏も立候補しましたが本命に近いのは高市氏なのでこの記事では基本彼女だけを取り挙げます)。もし彼女が総裁となり、かつ自民公明が衆院選で過半数を取れば、日本初の女性総理大臣が誕生することになるでしょう。

しかし彼女は政治思想的にはタカ派の筆頭とも言えるほどの右寄り。右翼作家として知られる百田尚樹も迷わず支持を表明しました。特に選択的夫婦別姓や女系天皇制に断固反対するなどジェンダー政策に関して顕著で、こんな女性政治家が日本のトップに立てば、「フェミニスト政治家」の面子は丸つぶれになるでしょう。当然、左派政党のみならず自民党内の若手議員からも大バッシングが起こりました。

「フェミニストざまあ」とも言ってられない

これに対して反フェミニズム側には「ざまあみろ」と嘲る声も多いですが、私にとってそれは全く看過できるものではありません。

「政治的反フェミニズム」、いや、フェミニズム以前のかつての性役割が、女性によって主導される。この重大さを分かっている人は、果たしてどれだけいるのでしょうか。

先に述べた「フェミニスト政治家の面子が潰れる」には、二重の意味があります。一つは高市氏のような女性の反フェミ政治家に潰されること。もう一つは日本の女性の多数がフェミニスト政治家を支持せず、かつての性役割の根幹を支持している証明になってしまうことです。よく反フェミニズム論客は「フェミニズム政治家は田舎や地方都市へ行って自らの政策を訴えてみろ、それを支持する女性なんてほとんどいないぞ」と主張しますが、それは当然といえば当然でしょう。彼女らは、たとえ家父長制的な抑圧を受けていたとしても、それを解体するのとは別の方法で自身の権利や自由を得ようとすることが多いです。これは一部では「家父長制2.0」とも呼ばれます。

こうした草の根女性の意識は、「(『自分と同等以上』ではなく)『自分の倍以上の男』しか相手にできない『日本型』上昇婚志向」とも大いに関係があります。しかしこれについて詳しく述べると、この記事の本題から大きくそれてしまうので、別の記事で語りたいと思います。ただ、「日本で言う“上昇婚志向”は生物的雌の本能で説明できないほど狂っている」ということは覚えておいてください。

フェミニズム政策として話題になるのは、選択的夫婦別姓のように反フェミ政治家と真っ向から対立しているものばかりですが、フェミニストやフェミニズム政治家が推進しようとしている政策はそれだけではありません。じゃあそこに反フェミ政治家が反対するのかといえば、そうではないんですね。

そもそも、反フェミ政治家が一部のフェミニズム政策に反対するのは、それが家族の解体につながり、ひいては若者(次世代)の非婚化・少子化を加速させるという理由しかありません。逆に言えば「家族の解体に関わらないフェミニズム政策」については、フェミニスト政治家と妥協し、結託することも多々あります。その代表的な例が(高市氏も強硬に進めている)児童ポルノ法や改憲論議を利用した表現規制というわけです。反フェミ政治家の支持者の一部には「フェミニズムは女性の幸福に全く繋がらない。俺たちこそが女性の権利の擁護者だ」などという主張まであります。

また、野田聖子氏や稲田朋美氏がそうであるように、政治的反フェミニズム側にいながらも夫婦別姓や同性婚の容認を進めようと画策している政治家もちらほら出てきています。旧姓使用や同性パートナーシップ制度の推進は法制化への対案の性質があるとはいえ、夫婦別姓や同性婚を本当に必要とする人たちへの現実的な対応になっています。

保守政党のクオータを埋めるのは誰か?

日本においてクオータ制は現状一部左派政党による政党単位で、その候補者に関して行われていますが、これを例えば保守政党にまで義務化するとなると、どういうことが起きるのでしょうか。

日本会議は女性組織として「日本女性の会」を擁しており、ここから輩出された女性議員を当てることによってクオータ制への対策を行うことでしょう。そうなれば、フェミニズム的に言っても、夫婦別姓や同性婚法制化への道は遠のくことになります。

1995年に、法制審議会の民法部会が中間報告を発表し、翌1996年に同審議会が選択的夫婦別姓を盛り込んだ民法改正案を答申した頃から、右派は大規模な反対運動を行い始めました。さらに、1997年に日本会議ができると、本格的に反対運動を展開しました。
2001年には日本会議に女性組織(日本女性の会)ができましたが、それは男女共同参画に反対するために作られています。同会の主な議員のメンバーが山谷えり子議員や高市早苗議員です。

しかし、こうしたイシューに触れない範囲では、彼女らも「女性のための政策」を進めることになります。同じ女性ですから、草の根女性が本当に喜ぶ政策は何なのか、よく分かっているでしょうし。それが結果的に何らかの側面での「女性優遇・男性冷遇」につながっていくことは容易でしょう。

ちなみに、日本会議の男性会員の会費は年間10,000円であるのに対し、女性会員の会費はその半額の5,000円であり、「希望の塾」(小池百合子氏が都民ファーストの会→希望の党を旗揚げするために作った政治塾)の会費などと並んで男性差別ではないかという指摘も一時期には発生しました。ここからも「日本会議」、いや「日本女性の会」がジェンダー的にもどのような立ち位置なのかがよくわかります。

「何のためのアンチフェミか」が今まさに問われている

繰り返しになりますが、これは断じて「フェミニストざまあ」と言える案件では全くありません。(既にそうなっている部分も大きいとは思いますが)かつての性役割規範すなわち家父長制が、女にとって都合のいいものとして「取り戻される」ことになるのです。そんな中で、フェミニズム以前の性意識を称揚することがいかに愚行であるか、我々は何のためにフェミニズムに反発しなければならないのかを問い直さなければなりません。それも、できるだけ早急に。