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誰かに不憫で憐れに思われても、実際我が身が苦労で憐れだろうとも、理由なんて大層なモノがなくても、結局もって呼吸してたら、それはきっと逝きてるってことなんだ。

「優しくされたい」ヒトがいて、
「優しくできちゃう」ヒトがいた。

 ただそれだけなんですよ。
 でもって、後者は報われても報われなくてもどうでも良いと【本人が思うように】世の中は作り替えられていた。それだけ。
 気がついても、自分は報われなくて当たり前を享受して【諦めることに慣れてしまっている】からそのまま放置するし、自分の疲労や苦労とかあっても【見捨てられない】から、困っている人が視界に入ってしまったら、自己犠牲をしてもなんとか頑張って【手を差し出しちゃう】のが後者。

 Give and Take ならきっと、まだ良いんですよね。
 見返りを求めない。それはきっととても素敵なことだと思う。でもさ、それって【自己犠牲精神=無報酬ではない】ってことに気が付いていないし利用する側には使い捨ての都合がいいだけのただの【イイヒト】でしかない。

手を差し出すのも諦められたら楽になるのかな。

 多分、そうはならないんだろうな。
 幸せになるのがこわいです。正確には、幸せになっちゃいけない存在だと思ってる。ずっと苦しんで、耐えて、潰れてしまうのが自分がいきてる役割なんだろうなと思ってる。

 諦めたほうが楽なんですよ。
 自分を大事にしたくても、そのやり方を知らないし、たとえ知っててもそれを自分がやることを自分が赦せないんだ。

 いまでも囚われてる。
 もうこの世から、わたしの目の前から消えた祖母に強要されたことはたくさんある。いま思えば、あれは単なる八つ当たりで、エゴで、独裁だったと言い切れる。でも、それから自分を解放しなきゃいけないのに何かが引っかかってやろうとする元気が出ない。

 笑顔でいること。
 機嫌良くいること。
 言うことを聞くこと。
 他人に良くすること。
 誰かの世話を焼くこと。

 自分を犠牲にして。
 自分を騙して。

 誰かの機嫌を取るように。
 お酒の酌をするように。

 それを幼少期から叩き込まれた。
 気を抜けば、それが出てくる。大嫌いだった。嫌だった。笑いたくもないのに楽しくもないのに食べたくもやりたくもないのに。
 声をあげると怒られ、罵声と叱責が飛んできた。

 駄目なやつだとことあるごとに繰り返された。何も出来ない。何もしない。本当に長女のくせに気が利かない。下が困ってるならちゃんとアンタが手を差し伸べなさい。教えられるでしょう、お姉ちゃんなんだから。自分が困ってるなら自分でなんとかしなさい。出来ないなら諦めて。太ってるから運動も出来ない。だらしない娘。ろくに働けない。家事も下手くそ。友だちすら作れない駄目な子。

 食べたくないものを食べさせられてた。残すと怒られたから、必死で頑張って食べた結果として太っていた。

 家事のやり方も、みて覚えなさいと言いつつも、作ってる最中ややってる最中に呼ばれたことはなかった。子どもは邪魔だから。
 そんな理由で。

 褒められた記憶は……たぶん一度もない。
 他所の人から褒められても、即座に貶されていた。卑下されてた。価値がない存在だと言われまくった。
 繰り返し繰り返し。

 欲しい物をほしいと言っても、私が望んだものではない見当違いのものや違うものが届くのに、年子の妹や年の離れた弟の元には彼らが望んでいたものが正しく届いていた。
 私には姉としてひたすら完璧主義を求め続けたくせに、壊れたら「手を抜くことを覚えなさい」と吐き捨てられた。

 その言葉たちは、私を縛ったままだ。
 きえたいなぁ。なんで駄目なんだろうな。

 だって要らないんでしょう?
 氷河期世代が半分くらい消えたら、今後少しは未来のヒトは楽になるんじゃない? って思うんだ。
 何やっても中途半端で、足掻くのすら赦されなくて、ホワイトな職場も恵まれたことがないし、個人的に自分の血を残したくないからパートナーも作れず、身体もガタがきてて、本当にこのままいきてる意味ってあるのかな?

 つかれたな。

 限界集落から家出を何度もした。
 元気が出たら、たぶんまた、家を出る。

 明日の天気は、なんだろうな。

#限界集落の片隅で

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