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成長のためにシリーズ①:「選択する力」の重要性

人に育てられ、人を育てる。
物の大小はあれ、大体の人は生まれてからすぐは「人に育てられ」、成長する過程の中で少しずつ「人を育てる」機会が増えてくる。
学校、部活、習い事、会社などなど色々な機会で上記が発生するわけですが自分が成長する、自分を育てるという観点で少し整理してみました。

まずはそれぞれの定義です。
(1)「育てられる」とは自分が人から色々な物事を教えてもらう行為。
(2)「育てる」とはその逆で自分が主体となり人を育てる行為。
(2)の人を育てる行為は育てる対象が他者でもあるが、他者を育てる行為そのものが実は自分の学びにもなっていることが多く、結果的に自分を育てている事になると思いますので自分を育てる行為に含まれてくると思います。
さらにこの二つに加えて「自分自身で学ぶ」というものがあると思います。

三つの学びの手段


つまり、私が思うに自分を育てる「学び」の手段として下記の3つがあるのではないかと思います。
①自分で選び、考え、行動し、そこから何かを学ぶ
②人を育てることで自分が学ぶ
③人に育てられ学ぶ


上記は個人的に効果が高いと考える順に並べていますが、なぜこの順番になるのか、その理由はそれぞれの学びの機会の中で生まれる「継続力」と「集中力」、そして「継続力」と「集中力」を生み出す「自発性」にあり、その「自発性」を生み出す「楽しさ」にあるのではないかと思います。

つまり、
「楽しい」から「自発性」が生まれる
「自発性」から「継続性」と「集中力」が生まれる

ということです。

誰にでも下記のような経験があるのではないでしょうか。

親や学校の先生に言われてやっていることはどこか楽しくない。
でも、自分でやりたいと思ったことは「お風呂入りなさい!」とか「ご飯食べなさい!」と言われてもその声が聞こえないくらい集中しており、いつまででもやっていられるし、何度もやり続けることができる。


また、人にものを教えたことがある人であればわかると思いますが、自分が教えているプロセスそのものの中からハッとさせられる学びがあったり、自分が「教えた」「育てた」人が活躍する、それらの体験は何物にも変え難い感動をもたらしそれが「楽しみ」になってくるものだと思います。

つまり、自分を育てる最も効果的は方法は自分が楽しいと思えることを見つけ、それに一生懸命に取り組むことなのだと思います。

でも、「楽しい」ことだけをやっていては「将来が不安だ」、「それで将来食べていけるのか?」、「食べていけるかもしれないけど幸せになれるのだろうか?」という疑問を一度は持ったことがあるのではないかと思います。

そのため親は親心からどうしても社会一般的に社会人になってから優位とされることをやらせたがるし、その中で周囲の子供達と同じようにできないと不安になっていきます。
その結果「〜しなさい」が増え、子供は自分がやりたくもないことを他者から教わりながらやることになっていきますが、思ったような成果が出ず、そのためさらに塾などの習い事が増え、興味がないことをさらに無理やり押し込まれる時間ばかりが増えていくことになります。

基礎学力はどんな人にも必要であり、否定するものではありません。例えば小学校で学ぶことに関しては知識の習得、心身の健康、才能の発掘の上で有益だと感じますし、生徒に一定の自由度、つまり自分で考え、行動できる幅を与えながら学べる機会がある点では非常に有益だと感じます。

選択できる力

一方でそれ以外のものについては、「必要」は最大の動機付けと言いますがその人が興味を持つ対象を「必要」なタイミングで「選択」し、学ぶのが最も効果的だと思います。そして、そのために最も重要なことは「選択できる力」だと感じています。
また、この「選択できる力」を持っていない人が非常に多く、個人的にはこれが人の成長にブレーキをかけているのではないかと感じます。


社会に出ると確信が持てない状態で「選択」をしなければならない状況に多く遭遇します。逆に言えばその連続だと思います。
やってみないと答えがわからないことが多いため、確証がないことから「選択」を躊躇する人が多くなるのだと思います。

しかし、そこで躊躇し、何も選択しない方が良いのか。それとも5割の情報でも飛び込んでやってみるのが良いのか。ここが成長をし続ける人とそうではない人の分岐点なのではないかと思います。

「躊躇し何も選択しない人」は失敗もしませんが成功もない。つまり失敗・成功からの学びが一切ない、つまり学びがありません。一方「躊躇せずまずは飛び込んでみる人」は行動を起こしているため大小はあれど必ず成功・失敗のいずれかの結果を伴い、そこから嫌でも学びが生まれます。
つまり「選択」ができるからこそ学びが生まれるのです。選択を繰り返し、たくさんの選択からたくさんの学びが得られることで遠回りなようで一番早くなりたい自分に到達するのだと思います。

選択する力の身につけ方

では「選択する力」はどのように身につくのだろうか?
学校で「選択する力」は教えているだろうか?
親から教えてもらったことがあるだろうか?
おそらく多くの方が誰かに教えてもらった記憶はないと思いますし、実際私もそうです。

形式知と暗黙知

ここで物事を学ぶ方法について冒頭で整理し物を持ってきましょう。
①自分で選び、考え、行動し、そこから何かを学ぶ
②人を育てることで自分が学ぶ
③人に育てられ学ぶ

一般的に知識には形式知 と暗黙知があると言われており、形式知は主に文章・図表・数式などによって説明・表現できる知識を指し、逆に暗黙知はそれができないものという分類ができると思いますがここでそれぞれについて適用可能な学び方を当てはめてみると下記のようになろうかと思います。
形式知:「人を育てることで自分が学ぶ」「人に育てられ学ぶ」
暗黙知:「自分で選び、考え、行動し、そこから何かを学ぶ」

理由は簡単で人に伝えるためには言葉や図表で表現できなければならず、それが可能な形式知のみが人に教えることができるものだからです。

では「選択する力」は形式知でしょうか、暗黙知でしょうか。
「選択する力」を言葉や図表で正確に表現できるだろうか。私はできないと思います。

つまり「選択する力」は①の「自分で選び、考え、行動し、そこから何かを学ぶ」という方法でしか学べないと思います。
別な言い方をすると「選択する力」は自分の経験からしか身につけることができず、その経験を如何に多くもつかが重要になるということだと思います。そして、より多くの経験を持つためには早めに始めるのが良いということでもあります。


つまり、子供達に早めに自分の興味を選択させることは「自分のやりたいことに夢中になる」環境づくりに寄与するだけでなく「選択する」力を見つける一助にもなると思います。

まとめ

つらつらと書いてしまったためここで一度まとめると以下のようになります。

・自分自身で選択し、考え、行動することが最も効率的かつ効果的な学びの手段である
・なぜなら、そのプロセス自体が「楽しく」、その楽しさが内発的な動機付けとなり継続する力に繋がるため
・しかし、その全ての起点は実は「自ら選択する」ことであり、その選択する力を身につけるには「経験」が必要だということです。


では、その「選択できる力」を最も効果的に学べる場所はどこなのかについて日本社会における代表的な学びの場である「家庭」「学校」「職場」ではどのようなことが行われているかも含め私なりの考えを次回共有したいと思います。

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