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不登校半年。私のメンタル。

行く当てのない気持ちがずっと心の中に彷徨い続け、ずっしりと重みを増していく。
息子が学校に行かなくなって半年になった。

「学校にいけなくて一番辛いのは本人」という言葉を聞き、そうか。そうだよね、と思う。私はどちらかというと、これまでずっと、ドンと構えていて「学校なんて行かなくてもどうにかなる、この時代さっさと稼ぐ方法を身につけさせたらいい」くらいに思っていた。
大好きなゲームにのめり込み、youtubeをやっている。フリースクールからもらったパソコンで、昼夜問わずやっている。
ご飯を食べる時も、お風呂に入るときも、トイレに入るときも、常に片手にスマホを持って、自室に居る時はパソコンに向かい、布団に入ればスマホ。
もっと言うと私としゃべる時もゲームの話なのでスマホ見ながら喋ってる。

もう学校に行くか行かないかとか、もはや問題ではなく、これからの彼の人生がどんな方向に行くのか。
これは彼じゃなくても、どんな人にもこの先どんな人生が待っているかはもちろんわからない。ただ常にこのままでいいのかという疑問が私の頭の中を占めている。

正直なところ、最近結構辛くなってきた。
私はおそらく強がっている。
元気が取り柄の私は、人前では笑顔で元気であらねばならないと。そして笑顔でいることでなんとか自分の気持ちをキープできているのだと思うと、少し強がっているくらいがちょうどいいのではないかと思う。

不登校の親のためのカウンセリングだとか、茶話会だとかそういったものも私は嫌いだ。
「きっと大丈夫だから」
などという適当な言葉も、もっと嫌いだ。
傷のなめ合いのようなものも大嫌いだ。

こういう私の頑固なところが、最近は徐々に苦しくなってきているのは認めざるを得ないところかもしれない。

急に胸がキューっと痛く、誰かに抱きしめて欲しい思うことがある。
夫は抱きしめて欲しいと言えば抱きしめてくれるだろうが、息子への理解が薄い夫とは、息子のことに関して夫婦間の距離があり、私が癒やされない。


ベイマックスみたいな、ふわっとして、大きな腕に、ギューッと、キツくキツく抱きしめてもらいたい。時間の制限なく、ずっと抱きしめてもらいたい・・・なんて、ふと思った。


こうやって吐き出してみると気づいた。
そうか。私は泣きたいのかも知れない。
我慢しているのか。でも何に泣きたいのか。何が悲しいのか?
本当の本当は息子のことをかわいそうに思っているのだろうか?
自分でも分からない。



私の気持ちが落ち着き、心の底から満たされ、いつでもそのぬくもりが思い出され、元気が復活されるように、
誰もいない場所で、その人のぬくもりをただ感じられ、何も言わず、ただ優しく強く。裸がいい。でもセックスはいらない。
しっかりと密着して抱きしめて欲しい。

アタマおかしいな、私・・・まあいいや。誰も私のこと知らないから。

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