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何度も遠ざけようとしたのに、やっぱり私が好きなのは、あなただった。

こんばんは。前回、Pairsで出会った同年代の彼のことを書いたばかりなのですが、このところ好きになれそうな感じがあまりなく、というのもやっぱり「理屈なしに心から私が好きなのはあの人だ」と無意識が意識に変わりつつあることに気づいたので、今の正直な気持ちをここに記しておこうと思います。

これまで何度もnoteに書いてきた、あの人。18歳年上で、一度離婚を経験していて、子供が2人いて、私の住んでいる街から車で1時間ほど走らせた豪雪地帯に住んでいる、あの人。

その年齢差や将来性の低さに、去年のおわりには一度あきらめようとした。私からもう会えないと送り、1ヶ月ほど音沙汰をなくした。その間に、連絡したり会ったりしたいのを我慢して、私はほかの男の人と会い、付き合えそうなくらいまで関係を進展させたりした。

でも。

そんな理想的な出会いがあったのに、心の隅にはあの人の存在があった。本当に好きだったのはあの人だった。ほかのどんな男性と会おうが、本心に嘘をつき、無理矢理好きになろうとしている自分に気づいてしまった。


▼18歳年上の彼のことを綴ったnoteはこちら(時系列)

なので、今の気持ちを正直に記します。

私は、あの人が好きです。初めて会ったときは、顔もタイプじゃないし、そもそも年齢差がありすぎるし、離れて暮らす子供がいて休日のうちどちらかは私よりもそっちを優先しなければならないし、仕事の休みは合わないし、絶対に好きにならないと思っていた。というか、恋愛対象として考えていなかった。なのに、いつのまにか一緒にいて居心地がよくて、ありのままの自分でいられて、なにより、あの人といる自分自身が好きだということに、気がついてしまった。

ほかの人と会っていると、うまくいかせたい気持ちが先走って、自分らしく振る舞えないときがあった。かわいく見られたくて、よく見られたくて、張り切って素でない自分を繕ってしまう。誰かと一緒にいる自分よりも、あの人と一緒にいる自分が、1番好きなんだ。

これまでは、付き合う人ができて、いずれ結婚して、子供を産んで、お母さんとして生きていく…。そんな人生になるんだろうと、ならなければダメなんだ、と無意識に思っていた。でも、本当にそうなんだろうか?と、立ち止まった。

私がしたいのは結婚でも出産でもなかった。そりゃあ、どちらも経験してみたい。「お母さん」と、呼ばれてみたい。でもそれが目的になってしまったらダメだと思った。

私が1番したいのは、“今日という日を最高にすること”。自分が自分らしくいられて、1日1日をハッピーに過ごすこと。そして、そんな日々を繰り返すこと。そんな人生にすること。

ただ、そのためには、あの人の存在が必要だ。離れていても毎日連絡を取り合って、他愛もない会話をして、たまに会って、お互いが思い合っていることを確かめ合うだけで、幸せな1日になる。彼氏・彼女とか、夫・妻とか、そういう肩書きは今は必要ない。そういうのは、無理して時期を決めて意を決してなるものじゃなくて、自然とそうなっていけばいい。

あの人とは、今年に入ってから再び連絡を取り始め、毎週とは言わずとも、定期的に会っている。お互いが好き同士であることは、前々からわかっている。ただ、お互いに踏み込んで付き合おうとか言ったりしない。彼は、彼の立場上、わたしにそんなことを言えないと言っていた。私は、何かを始めることが怖くて、言葉に出せずにいた。始まるということは、いつか終わりが来るということ。何も始まらせていなかったら、ずっと続くかもしれない。そんなことを思って、何も言えなかった。私は、彼との関係を、ずっと・ずっと・続かせたい。そう思っている。彼への愛情は増している。ちゃんと好きと自覚したら、ますます好きになっていっている。今はそんな感情に浸っていたい。難しいことを考えたくない。

こうして怖さと向き合えない弱い自分は、いつか、きちんと現実と向き合うことになるだろう。そのときに備えて、やっぱり今はじっとしているしか、私にはできることがない。

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