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私にとって、あなたはなんだろう。

加藤シゲアキさんへ。
35回目のお誕生日、おめでとうございます。

34歳のこの1年、あなたにとってどんな1年でしたか?
心身ともに健やかで、幸せに包まれた1年になりましたか?

このブログを書くべく、2021年7月11日以降のことを振り返ってみました。そしてその総括を書こうと思っていました。

結論から言うと、振り返りきれませんでした。
振り返ろうとしてもいざ流し始めたら止められなくなっちゃうし、感想を書こうとしてもなかなか指が進まなくて、自分の中にある感情を表に出すことが難しかった。

だから、想うがままに書いてみます。

***

「NEWSとしてはやっぱり大きく新しくチャレンジし続けていきたいなって思う」
「でも自分が納得できないことはしない。こっちだね、今強く思っていることは」
「あれやっておいてよかったって思うことをなるべくやっていきたいね。未来の自分からこっちを見るみたいなことを最近は思ったりしますね」


1年前の誕生日当日。ラジオでこう言ってた、今はもう過去の加藤さん。
やっておいてよかったの種は思うように蒔けましたか?

前からよく「やらない後悔って結構ストレス。やって後悔することって意外と健康にいい」「自分が動くことが最大の近道」「頭の中でやりたいって考えていても何にもならない。言葉にして証明する。行動する」と、“できるかできないか”じゃなくて“やるかやらないか”を常に伝え続けていた加藤さん。
その言葉に説得力があるのは、それをあなた自身が体現しているからです。

自分が事務所に受かった理由を知り、活躍していく周りを見てきて「俺にはなにもない」と悩み苦しんだ“あの時”が何度もあって、その度に“やる”選択をしてきたから。
その積み重ねが今の加藤さんを証明している。
だからあなたの言葉には血が通っているし、嘘がないと信じられるのです。


「自分のいいところを見ることも大事だけど、自分のダメなところを見つけるっていう客観性は決してダメじゃないじゃない。だからどっちも大事だなって思った。自分のいいところも悪いところも見つめられることが」
「本の読み方に正解なんてないんですよね。物語の解釈っていう意味で言えば真っ直ぐに受け止めていいと思う。ただ批評っていうのは分かってると面白い。自分の印象は大事にした方がいいけど色んな人の読み方は知っていい」

「こうした方がいいよ」じゃなくて「これもあるよ」と提案してくれるのが加藤さんの答え方。
悩みを決して否定せずに受け入れる。その上で別の道や考え方も示してくれる。
その道は自身の経験をふまえているからこそ、淀みなく心に響く。
だから加藤さんのお悩みメールの答え方が好きです。


口から出た先にいる相手が聞いたらどう思うのか。
言葉が持つ力をよく知っているからこそ丁寧に言葉を選ぶ一方で、時にはがむしゃらに言うところも本当に好きで。
これは昨年8月ラストの放送で、9月に入ると自ら命を絶つニュースが多くなることについて話した時なんですけど。

「しんどくても生きてなきゃさ、始まらないじゃない。生きてりゃ会えるんだもん。生きてれば励ませるんだもん。苦しいけどね、色んなことあるし。こういうことを言うと無責任じゃないかなって思う時もあるんだけど、こういう時は無責任に言おうと。無責任に言います、生きろと。無責任だしさ、人の気も知れないでと思うかもしれんけどさ、生きろ。俺は無責任に言っていく」

“生きてれば励ませるんだもん”

サラッと言ったこの言葉に、私は強い衝撃を受けたのを今でも覚えている。
まるで使命のようだけど本人にとってそれは使命とは思っていなさそうで、さも当たり前のことだって風にも聞こえたから。

思えば、加藤さんの「want to」のずっとずっと奥深くにあるのが、社会のため・誰かのためだった。
社会を良くしたい。誰かを励ましたい。書店を盛り上げたい。演劇の良さを伝えたい。


そこがすきなところでもあり、同時に、時々苦しくもなる。

そう願う気持ちを否定したいわけではなくて、ただ、そんなにも自分以外の何かに尽くしたら疲れちゃうんじゃないかって。
苦しんだり憤りを感じながらも社会や己と向き合い作品を創っていくあなたは、なんでそんなに無償の善意を与えられるんだろう。
「(社会が良くなるために)必要悪があるんだとしたら人に任せるよりは自分でやりたい」と背負えるんだろう。

その答えの片鱗が、ある雑誌に書かれていた。

「むしろなにもしないことが一番の悪で、そういう怒りの方があります」

また強い衝撃を受けた。読みながら息がとまるほどに。


加藤さんは自他ともに認めるワーカホリック。
息抜きポイントがあれば仕事はギチギチでもいい。走ってる途中で途切れる方が余計に疲れるとよく言っています。

“仕事が好きだから”って気持ちからきているんだと思っているけど、もしかしたら“なにもしない自分が悪だ”という気持ちもあるのかもしれない。
そしてそれはかつて、「俺にはなにもない」と苦しんだ“あの時”の劣等感も少なからず影響されてるのかもしれない。

走り続けることが、あなたが加藤シゲアキだという存在証明なのかもしれない。

そう考えると、なんと言いますか。言葉にならない感情で胸が埋まるのです。



物語を深読みするかのように、こんなの私が好き勝手に解釈拡大をしているだけ。
フィクションならともかく、実在している人の言葉を第三者が好き放題していいんかっていつも悩みます。心の中は本人にしか分からないのに、私が都合のいいように消費しているだけ。そう思うと本当にごめんの気持ちでいっぱいいっぱいになります。

ただ、加藤さんの言葉を読み返すほどぐるぐる考えてしまうんです。
それくらいにあの人は人間みあふれている。ということにさせてください。


***


加藤さんが2022年最初のラジオで東京事変の「原罪と福音」をかけた時の言葉が今でも忘れられません。

「“そっと背負った十字架は置いて行こう、もう良いだろう”って歌詞にズバッときましたね。そんなつもりなかったけどそこに痺れてるってことは、俺、そう思ってるんだなって」

最初聞いた時は思わずハッとした。
その後で良かったとホッとした。
私があなたの言葉や作品に救われているのと同じように、加藤さんもエンタメに救われていることを知れて嬉しかった。背負いすぎてるあなたが、自分にとって不要なものは手放しても良いんだとゆるせたなら良いな。大変烏滸がましいけど。

この1年を振り返った時、良かったと思う瞬間が他にもあった。

メリーさんが亡くなってふと涙が出てこぼれた時に“泣く場所がないと辛い仕事”だと理解を寄せてくれて“話してくれたことが嬉しい”と言ってくれた勝地涼さんやすてきな友達が周りにいること。

「(了承の連絡をわざと遅らせて)加藤ちゃんを焦らそうかと思った」と笑い合いながらも作家活動10周年の企画を快く引き受けてくれた、又吉直樹さんをはじめタイプライターズの“いつメン”がいること。

季節の果物を送ってくれたり、ゲスト出演したラジオを聞いてくれたり(連絡の素っ気なさが無自覚だった息子に対して「気付いてないなんて意外ね」と連絡を入れたり笑)する、仲が良くてあたたかい加藤家があること。

そして、グループ結成前から考えるともう20年以上も一緒に時に背中を預けあい、時にあえて距離を保ちつつ、時に肩を組み合い、時にしっかり真正面から向き合いながら走ってきた小山さんと増田さんという最高の仲間がいること。

加藤さんの周りにとんでもなくあたたかい人たちがいることに、これまた烏滸がましいけどホッとした。


***

加藤シゲアキさん。

あなたのキラキラと輝くガラス玉のような瞳がすきです。
笑った時に頬が上がって目が細くなってクシャってなる笑顔がすきです。
天を貫くような鋭さもあり、心をざらりと切なく撫でるような歌声がすきです。
好きなことになるとヒートアップして早口になるところがすきです。
色気が詰まった指先と品が漂うターンがすきです。
うふふ、とか、あはははって言語化される笑い声がすきです。
"継続は力"を今なお体現しているところがすきです。
やるならやってやろーじゃん!と負けず嫌いな一面がすきです。
謙虚でありながら、必要以上に謙虚になりすぎないところがすきです。
自分のことを一歩後ろから見れて、でも人生の傍観者には決してならないところがすきです。
メンバーと一緒の時でしか見られない姿がすきです。
体温を感じる言葉も、柔軟であり確立されてる思考も、生み出す鮮かな世界もすきです。

あなたの存在がすきです。

私にとってのあなたはなんだろう。

明確な答えは今のところ見つかっていません。

でも、これだけは言えます。
あなたが幸せであることが私の幸せです。

だからどうか、これからもずっと健康でいてください。やりたいことに手を伸ばしてください。とまらない好奇心のまま走ってください。あなたが、あなたでいられる世界でくしゃくしゃの笑顔を咲かせてください。

どうかどうか、幸せでいてください。


35歳おめでとうございます。
これからも加藤シゲアキさんがだいすきです。

すてきな1年になりますように!




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