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「すみません、ここどこか分かります?」

薄く流していた音楽の外側から聞こえた声は私に向けられていたらしい。程よい隙間がある車内で、私の隣におばあちゃんが座っていた。荷物を乗せたカートを支えながら座るおばあちゃん。足の悪い私の母が「カートは便利だけど歳をとったことを実感していやだ」って言ってたっけ。

「看板がうまく見えなくてね」

イヤホンを外して窓の外を見ると、確かに駅名の書かれた看板が見えない。うまい具合に窓枠と被っている。看板を見ようと体を前後左右揺らしてみても見えないし、動きすぎて変な風に見られるのも恥ずかしい。
いつものように自意識を拗らせた私は、諦めて、スマホでさっきまで見てた乗換案内を開いた。自宅から舞浜まで行くページのままだった。今乗ってる電車と時間を確認して、ようやくここの駅名が判明した。
スマホの画面を見せながらおばあちゃんに教えると、「ありがとう。助かったわぁ」と布マスク越しの目が細くなった。つづけて、「船橋まではあとどれくらい?」と聞かれたので「あと4駅、10分ちょっとくらいですかね」と答えた。

「今日はお休みなの?学生さん?」
会話が終わるかと思いきや、おばあちゃんは私の格好を見てそう尋ねた。まさかこの年(31歳)で学生と間違われるとは思わなかった。どちらかと言えば童顔だけど。
面白い出会いだなと思い、スマホの画面を暗くしてから答えた。
「お休みを取って友達と遊びに行くんです」
「あらそう。私はね、これから大井町へ歌の練習をしに行くの」
歌の練習?と聞き返すと、おばあちゃんの過去を教えてくれた。

おばあちゃんはどうやら、若い頃踊っていたらしい。様々な場所で披露して、でもギャラはそんなに良くなくて、交通費や衣装代で大体なくなってしまったと教えてくれた。
わかる。私も昔、演劇をやっていた頃はそんな感じだった。稽古場代やら交通費で結局プラマイゼロ、むしろマイナスだったことを思い出す。バイト代でなんとか踏ん張って、冬場はローソンで売ってた100円のうどんにおでんの出汁をかけて食べていた。今でも置いてあるのだろうか。

「でもねえ」
カートに手を置いたまま、おばあちゃんは言う。
「見てもらうことの楽しさを覚えちゃったから、やめられないのよね。もう全然恥ずかしいとかないもの。好きでやってたし」

その言葉が、なぜだか私の心にスッと刺さった。

その後もダンスを続け、体が思うように動かなくなってからは歌を始めたおばあちゃん。今、80代だと教えてくれた。

降りる駅は同じだった。一緒に降りて、おばあちゃんにその後に乗る電車を教えて手を振った。私も次に乗る電車のホームへ向かうべく階段を登る。

「見てもらうことの楽しさを覚えちゃったから、やめられないのよね。もう全然恥ずかしいとかないもの。好きでやってたし」

おばあちゃんの言葉が頭の中で流れた。
高校で演劇を勉強して、脚本と演出もして、専門では歌ったり踊ったりなんかして、演劇をやめてからも、結局、ブログやSNSで表現を続けている。おばあちゃんと違ってまだ恥ずかしさはあるけど、それでもやめないんだから、つまり表現することがずっとすきなんだな。私も。

紡ぐのはすきだけど永遠に自信がなく、なかなか更新出来ずにいた私の背中が、そっと押された気がした。


ここがどこだか分からない。看板も見えない。乗り換えアプリを開いても、そもそも、どこに向かっているのか分からない。
だけどいつか、振り返った時にここがどこだったか分かるようになるといいな。そんな気持ちであの日のことを残しておこう。

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