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なぜRCAなのか? Part2

前回はこちら▽


大学4年の1〜2月は本当に記憶が無い。生きていたのか死んでいたのかもわからない。
就職先の決まらないまま卒業を目前に控えていた。もう優良企業は募集を締め切っている。今から入れるところなんて何かしら問題がある会社ばかりだ...

東大A判定だった頃の輝きは失われ、一日中ベッドに横たわり、たまにうんこを製造するだけの物言わぬ骸と化していた。

当時の俺は彼女と同棲状態だった。彼女の家に居候していた。
そんな彼女も働き口が決まっていなかった。早稲田政経の俺が全落ちだったのがショックだったらしい。当然だ。俺君がダメなら私も...という空気が充満していた。コロナのせいでもあり、コロナのせいにできる環境でもあり、という状況だった。

幸い彼女の家は小金持ちで、俺は彼女に甘えて生活費を全て賄ってもらっていた。


絵を描いて生きていく

大学卒業後も就活を続けていた。しかし一向に箸にも棒にも掛からなかった。

並行して絵の練習を始めた。大学受験時、塾に通い過ぎて余計な勉強をしていたせいで過去問の復習が疎かになったことを反省した俺は、イラストも同様と考え、独学で勉強することにした。スクールに通うお金もなかったし。

Twitterで人気を取り、依頼を受ける傍らで作品をバズらせ、大金持ちになる算段だった。
仮に年収であのとき落とされた戦コンに勝てなくても、俺は絵を描くという”好きなこと“で生きていける...俺の勝ちだ!と考えていた。

しかし道のりは厳しい。

絵の技術は一朝一夕には身につかない。今をときめく神絵師たちは、子どもの頃から描き続けて、10年くらい継続して今の画力を手に入れているのだ。いくら1日中描いているとはいえ、ちょっとやそっとでは近づくことすら出来ない。

さらにいえば、無職でも思ったほど絵を描く時間が取れなかった。家事や料理、身の回りの世話(事情があって猫も飼っていた)、不安との戦い...1日に絵を描ける時間は多くて8時間、大抵4時間程度だった。これではお金を稼ぐどころの話ではない。

結局、泣かず飛ばずのまま1半年が過ぎた。有償依頼や同人誌販売もこなしたが、売上は月に1万円程度。生きていくのは不可能だった。
その間、生活費は全て彼女が負担。その借金額は200万円ほどに膨れ上がった。

そんな折、もうすぐで彼女の誕生日がやって来る。当然プレゼントを買うお金は無い。

「絵で成功する!」と啖呵を切った俺を、彼女はずっと応援してくれていた。就活で傷ついた俺が、絵を描いて生き生きとしている姿を見れて嬉しいと言ってくれた。

しかし、もう限界だった。いつまでこんな生活が続くんだろう。いつまでもこの暮らしが続く訳がない...

泣いている彼女をどうすることも出来なかった。その時俺は遺書を書いていた(死ぬつもりは無かったが)。でも彼女を置いて逃げるわけにはいかない。自分のことを信じて、無職でも好きで居続けてくれた彼女を幸せにしたい。

ふとTさんのことを思い出した。学生時代に家庭教師として勉強を教えていた生徒のお父さんだ。家庭教師のよしみでTさんの仕事(医療コンサル)を何度か手伝ったことがある(1案件で10万円くれたりして、大学生の俺はウハウハだった)。

Tさんに、また昔みたいに何か手伝える仕事はありませんかと、不躾なお願いをした。
すると、すぐに「作ります!」と返信が来た。

Tさんは医療系ベンチャーの役員になっていた。Tさんの紹介で、あっという間にその会社に就職が決まった。Tさんは命の恩人だ!


生きていけるだけありがたい、けど...

俺は医療が嫌いだ。なぜなら95%が詐欺だから。医療詐欺とか医原病とか検査利権とか、コクランレビュー等読めば分かると思うが、ここでは割愛する。ただ一言、日本の医療は世界的に見ても異常とだけ言っておく(ヨーロッパではただの風邪に抗生物質なんて処方しない)。

なのに会社は医療系。当然話が合わない。辞めるわけにはいかないから、毎日無理に合わせている。それが辛い。自分が分裂しそうになる。

生活できるだけマシだということは重々承知している。でも、お金は入っても魂が減っていく感覚があるんだ。

さらに言うと、ベンチャーだけあって給料は少ない。大学卒業後〜就職までのブランクもあるから、同世代のなかでも低いと思う。ましてや中高の同級生(エリート)の収入なんて、自分と比べるのが怖くて知りたくない。

だから、やっぱりやりたいことを仕事にしたいし、それで稼いでいきたい。働き始めて実感したけど、平日は仕事以外のことはほとんど何も出来ない。
1週間のうちの5日間、人生の3分の2を費やすことになる仕事は、ほぼ人生と同値だ。好きなこと以外やりたくない。


絵は諦めた?

諦めてない!
けど、今やることじゃない気もする。
なぜなら即金性が無いから。何年もかけて上達して初めて花開くものだと思う。

だから、副業を本業化する方向で考えた時、スキマ時間も作業に当てられる事業をやった方がいいと考えた。
それは無形商材、いわゆるコンテンツ販売だ(有料note等)。

文章なら電車で書けるし、歩きながらでも考えられる。絵と違って道具も要らない。

コンテンツ販売でお金を稼いだ後、人生の第2フェーズで絵を描きたいと思っている。

さて、肝心のコンテンツ販売だが、今は多くの個人がSNSで情報発信し、情報商材を販売している(LINE登録で無料プレゼント!みたいなやつ)。

競争が激化している情報発信&コンテンツ販売に参入する上で、自分の武器や強みは何だろう?と考えてみた。

幸せに生きる哲学についてずっと考えて生きてきたことがわかった。現代人はどう生きるべきなんだろう。哲学を勉強して武器を強化したい!

...そういえば、自分の知的個性は今まで読んできた本からの影響が大きいな。どんな本がインパクト大きかったんだろう。これからはどんなインプットをすればいいんだろう。

やっぱ東大教授が書いた本は学びになるな〜
正直、著者が東大じゃないと読まない
それほど大事な要素なんだよな...

悔しいし将来のキャリアにもなるし俺も東大を目指すぞ!
そして入学後すぐ休学して、4年間の間に「現役東大生が教える」コンテンツで稼ぐ!
中退後は藝大に入るぞ!

せっかくならテッペン取りたい...
後悔したく無いし、時間はかかってもデザイン専攻で院まで行きたい!

意外と年数かかるな(卒業する頃には40歳)...学士は取ってるし、いきなりRCA行けないかな?
海外経験は絶対必要だし、数年間留学したい!
RCAさえいければ全部の上位互換や!

ということ(雑)。

まとめると、RCAに行くことで、
・東大に落ちたトラウマ克服&学歴上書き!
・やりたかったアートを学べる!
・夢を叶える体験がしたい!
これらを一挙にクリアできるわけ✌️

正直、自分がプレイヤー(アーティスト)になる道への憧れがある。でもそのためには、今から画塾で学び、藝大に学部から入り、院まで行って...10年くらいかかってしまう。それでも成功する保証はない。

であれば、必ずしもプレイヤーになれなくても、アートやデザインに携われて、世界最高峰の環境で学べるRCAに行きたいと思う。海外経験も積める。

長かったけど、RCAを志望するに至った経緯はこれでお終い。note記事2つで書けちゃうなんてむしろ短いのかな?俺の人生。

次はRCAの学科選びについて書く予定。良かったら読んで、スキ!して!!

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