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藍と愛①(連載小説)


「思ったより大胆なんだね」

と、一通りコトを済ませたホテルの一室で言われたが、思ったより、とか言われても私は私が思ったとおりの軽薄で淫乱な女だ。
一体、どこで私を買い被ったのだろう?いや、どこも何もない。
そもそも私たちは今日初めて出会い、この最低限の備え付けしかないチープなラブホテルにいるのだから。

男はぼうっと体力の回復を待つように、ベッドに横たわっている。あわよくばもう一回、とでも思っているだろうか。
飲み屋にいたときは話も弾むし悪くない男だと思ったが、こうしてぼんやり天を仰ぐ姿はとても滑稽でなんだか私の方が恥ずかしくなった。

さっき点けた煙草の煙をくゆらせながら、私はベッドの上で全裸で立て膝をつきながら言う。

「で、結局どうでした?私は」

男は苦笑いする。

「いや、すごい良かったけどさ…てか、煙草吸うんだね?」
「そうですか、それならば良かった」

煙草の火を早々に消し、そそくさと散らかった服を集め、サッとシャワーを浴びてその場を後にした。
ホテルを出る直前に男に連絡先を聞かれたが、適当にはぐらかし、淫靡な香りがまだ残っていそうな何もなくつまらないその場を立ち去った。

近場のコーヒーチェーン店に入り、ブラックコーヒーを注文する。
爽やかな店員たちを目に、自分の薄汚れた内面を恥じる一方で、この一見爽やかそうな面々も、その爽やかさを後ろ盾にしてきっと異性と結構好き勝手やってるのだろうな。などと何となく考える私はどこまでも薄汚れているな、とぼんやり自嘲気味に思った。

昨日がまだ木曜日であったことを忘れていた。
今日は1限から講義がある。サボりたい気持ちはやまやまだったが、今日休むと出席日数が足りなくなり、単位が危ない。よく分からない男と一夜を過ごしたことを理由に、単位を棒に振りたくはない。

下ろしっぱなしだった長い髪を、100円ショップで購入した、何十本も同じものが入った黒いゴムの袋から1本を取り出して簡単に下の方で結ぶ。
色々な髪ゴムを試したが、あらゆる意味で100円ショップのこのゴムは優秀だった。
飾り気のない感じがかえって男たちの印象を良くしたし、ホテルで無くしても後悔のない単価だし、そして何より私の髪質や毛量に合うのかいつも丁度良い感じに髪を結べたからだ。

早朝で客も少ないしまあ良いだろう、と鞄から鏡とポーチを取り出してメイクを始めた。
爽やかな男性店員の目が気にならないこともなかったが、彼はきっと上の中くらいの民放のアナウンサーみたいな可憐な女の子を好むような気がしたから、気にしないことにした。

「何もしていなさそうなのにキレイな黒髪」とか「化粧気がない上に透明感がある」と主に男性に評される私のこの首から上。
そのキレイさや透明感を出す為に私がどれだけのヘアケア用品や化粧品、そして時間を費やしているのか、彼らは知る由もないのだ。
もっとも、数少ない同性の友人ーというのが正しいか、合コン仲間と呼ぶ方が適当なのかー分からないクミは「ほーんと、藍はナチュラルメイクもどきが上手いよねえ」と褒めてくれるが。

彼らが称する「透明感」は百貨店のコスメブランドでも特に評判の良い化粧下地と福澤諭吉が笑顔で旅立つような価格のファンデーション、パール感があるがしかしカバー力も抜群のおしろいなどにより主に構成されている。
男たちが言う透明感は、飽くまで感覚でしかなく、それは実際には分厚い何層にも分かれた女の努力と怨念と、そして軽蔑が押し固められた強固な壁、いや、要塞だ。

首から上がしっかり出来上がり、スマートフォンで時間を見る。幽霊部員だが厚かましくも堂々と利用しているサークルの部室のロッカーに立ち寄り教科書を取りに行く時間は充分にある。
早すぎる朝の電車は、かえってどこか得をしたような気がしてしまう。私は人間があまり好きではないのだと思う。周りに人間があまりいないというだけで、安堵する。
朝帰りの、昨晩初めての夜を迎えたような雰囲気を醸し出しているカップルが少し遠くで嬉しそうに指を絡ませながらお互いの表情を愛おしそうに見つめ合い、ぽつりぽつりと会話している。
私がセックスをした相手に対してあんな顔をすることは勿論無いだろうし、そもそも男とホテルを出た後に一緒に電車に乗ったことがない。

ぼんやりとその2人の表情を見ていたら、気がつけば大学の最寄駅だった。
構内の木々が気がつけば紅葉している。きっとこの葉の数々は、知らぬうちにかすかな音しかたてずに落葉してゆくのだろう。秋の物悲しさと素っ気なさは、自分に合っている気がするので好きだ。

サークルの人には会いたくないので、そそくさとロッカーから教科書を取り出して教室へ急ぐ。

既にちらほらと教室には学生がいたが、ここに私の顔と名前が一致している人は誰もいないと思う。かえってその方が、気が楽ではあった。

大教室での授業は中心部に割とやる気のある学生たちが、前列と後列に授業など聞く気があまりない人たちが分布するようにできている。
授業を聞く気があまりない人たちも2タイプに分けられる。
私のような教室には早く来れるが、なるべく教員の視界に入らないために教室に早めに行き後列に座るタイプ。
もう一方は、勉強が嫌いゆえに学問に対するタイムマネジメントができなかったり、そもそもする気がなかったりで授業開始ギリギリもしくは授業開始から10分後くらいに教室入りし、仕方なく空いている最前列付近に座らざるを得ない種類の人たちだ。

いつも通り、後列の出口付近に席を取る。まだ授業までは時間があった。
急に眠気が襲ってくる。大して好きかどうかも分からない行為の為に睡眠時間を削る自分が馬鹿馬鹿しくも思えた。
けれど、ああしている時の自分があらゆることから解放されたような錯覚に陥っているのは確かだ。もっとも、それが束の間の錯覚でしかないことは自分自身が一番よく分かっていた。

まばらに人が来る。自分と同じ行動パターンのやる気がなさそうな面々が周囲を固め始める。
そろそろ、自分とは縁のない中心部の方々が来る時間帯だ。
そう言えば、昨日寝た男が飲んでいる最中に私のボルドー色のカラーマスカラに気づいたのには驚いた。意外と、見ていないようで見ている人間もいるものだ。
カラーマスカラのことを思い出していたのは、きっと自分が今、視界の端にボルドー色を認めたからだ。
ハッとする。
いけない!教えてあげなきゃ。
来ていた黒いジャケットと鞄を持ち、普段は近寄る機会もない教室の中心部へそそくさと足を進める。
いけない、授業が始まる前に教えてあげなきゃ。

「ねえ」

自分とは縁もなさそうなタイプの女から声を掛けられて、栗色のボブヘアーの純朴そうなその子は戸惑いの表情を隠さない。

「…?」
「一緒にちょっと来てくれない?」

その子の腰に自分のジャケットの袖部分をキュッと縛り、見頃は後ろ側に持ってきてそのまま手を引き教室を出る。
最寄りのトイレまで、かなりの早足で向かう。
1限目の時間帯だから、幸いにもトイレの利用者は他にいなかった。

「…漏れてる。」
「えっ」

ようやくその子は気づき、目の前にある鏡で見返って薄いベージュのスカートにつく血の染みを認めた。

「…ごめんなさい…なんか来てるっぽいなとは思ってたけどまさか…」
「別に私に謝ることじゃないよ、ナプキンある?」
「はい…」
「替えのスカートとかズボンないんだけど、そのジャケット巻いて医務室行きなね。なにか貸してくれるかもしれないから。」
「でもこれから授業が…」
「ノート取っとくから、後で見せてあげる。」
「…ありがとう!ございます…」

申し訳なさそうに、けれどありがとう。と言う気持ちが伝わってくるような複雑な表情でその子はお辞儀をしてトイレへ入った。

授業が始まりそうだったから、慌てて教室へ戻る。
単位を落としたくはないし、あの子だって子どもじゃないから一人で医務室にも行ける。
それに、約束どおりノートも取らなくてはいけないから。あの子が授業に出られなかったことを後悔しないように、今日くらいはしっかりノートを取ろう。

板書しながら、ぼんやり中学1年の1学期に体育の時間、ジャージと体操用のマットにに血の染みを付けてしまったことが頭の片隅に蘇っていた。
あの恥ずかしさと悲しみと、保健室で涙を流しながら慰めてもらった情けないような安堵したようなあの感覚。
思い出すと、今日のあの子の気持ちにシンクロしてしまったような不思議な感覚だった。

ノートを取ろうと思うと、必然的に授業をしっかりと聞かなくてはならない。元々勉強自体は嫌いではない。意外と、この授業はもっとちゃんと聞いて疑問に思ったことを自分で調べたらかなり楽しいのではないか?と気づいてしまったが、自分の周囲には寝るかスマートフォンをいじるか別の授業の課題をこなしている者しかおらず、この感覚を共有できそうな人はいなかった。

終業のベルが鳴り退室すると、廊下にはあの子がいた。
相変わらず、ベージュのスカートにジャケットを巻いている。柔和な色合いの服の腰に巻かれた黒い私のジャケットは、明らかに不調和でかえってそのあべこべさが目立ってしまっていた。当惑しながら、近づいた。

「医務室、行かなかったの?」
「いえ、行きました…けれど、医務室には着替えは無いです、って言われて…」

驚いた。大学の医務室では、その様な計らいが無いとは知らなかった。ちょっと納得がいかなかった。
いくつになっても、そういうことが起こってしまう可能性は常にあるのに。こういうところにまで、成長と自己責任はセットにされてしまうのだろうか。

「そっか…なんか、ごめん。」
「えっ、いえいえ!寧ろ助かりました。有難うございました。あの、これ、お返ししますね…」

そう言って、腰に巻いたジャケットの結び目を解こうとしている。

「いや、いいよ!それ、今日は使って。て言うか、返すのもいつでもいいし。」
「…すみません…有難うございます…」

実際、私にそう言われて彼女はどこか安堵している様に見えた。それはそうだ。共学の大学で、スカートの後ろ部に血の染みをつけたまま構内を歩くのは忍びない。

「…ねえ、今日この後授業は?」
「2限が空きで、3限がまたあります」
「そっか、じゃあこれからちょっと外出て履くもの買おう。その後お昼にでも行こうよ。」

自分でもよく分からないが、私は妙に積極的にその子を誘った。当然、彼女は少し困惑していた。

「それにほら、ノート見たいでしょ?早めにお昼食べた後に図書館かどこかで時間取れば良いんじゃない?」
「あっ、ノート…ありがとうございます!じゃあ、そうしましょう!本当にありがとうございます!」

どこまでも真面目な子だ。ピュアと言った方が良いか。

「敬語じゃなくてもいいよ、多分同い年だよね?今年19?」
「はい、そうです!有難うございます!」
「また敬語!まあ、良いけれども。
「…はい!うん!本当にありがとう。」

この子の敬語は不思議と嫌ではなかったから、正直敬語でも何でも良かったが、対等な口調で話されたらなんだか急に距離が近くなった気がして少し気恥ずかしい気持ちになった。言葉とは不思議だ。

「普段どういうところで買い物するの?」

その子が挙げたファッションビルの名は、私も知ってはいるが滅多に立ち入らない場所の名だった。
無理もない。彼女が身に纏うものと私が着ているものの共通点を探す方が難しい。せいぜい原材料くらいだろうか。


「きっと、入ったこともないとこ…だよね?」

私の表情がそれを感じさせたのだろう。

「たまには入るよ。いつも何階で買い物しているの?」

ファッションビルは、テイストや価格帯に合わせて各階ごとに戦略的に店が並ぶ。

「5階かな?」

5階はほぼ足を踏み入れない。
なんというか、私には愛らし過ぎて着るのを躊躇ってしまうし、その空気の中にいる自分が場違い。という気持ちにされられるようなお店が多い。
でも、この子には確かに似合いそうだし5階にいるのが自然な感じすらする。

「そっか、あまり行ったことないけどまあ行ってみるか」
「有難う。」

大学の最寄から1駅の商業ビルの5階に着くと、私はやっぱりむず痒いような居心地の悪さを覚えた。

私みたいな女が着ていそうな服はあまり見当たらない。
清楚だけど、処女、または処女っぽく見せて実は年齢の割に経験人数が多い隠れビッチがいそうな雰囲気の服が揃っている。
何でもかんでも性的な事柄に結びつける自分の癖をどうにかしたい。

一緒に歩くこの子は処女っぽいな、と思ってしまう。
隠れビッチは私のようなビッチをライバル心なのか、それとも同族嫌悪なのかそれとなく避ける傾向にある。
けれど、この子は年齢の割には屈託がなさすぎるくらいだ。

「あんまり黒って着ないけど、今日は黒いスカートにしようかな」
「良いんじゃない?」

スカートを血で汚してしまったことを気にしているんだな、と思った。
もうナプキンだってあるんだし、別に好きな色でも問題はないだろう。
けれど、彼女の気持ちを考えると私はその意向に寄り添いたかった。
それは、彼女への配慮でもあり、同じ失敗をした過去の自分への慰めでもあるのかもしれない。

*②に続く?*

⭐︎

②に続けたいとは思いつつ、ショートストーリーしか書いたことがないのである程度の文字数を書くって難しいなと感じます。

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