胎内の記憶?

 我が師は言った。「子が親を選べないということはない。魂が親を選んで、それぞれの家庭に授かっているのだから」と。生まれこようとする魂は、「あのお家が楽しそうだなー」「いやいや、こっちのお家もいいなー」と見ているらしい。さらに、今世でやらねばならないことを背負って「よぉし、このお家」と決断して十月十日後 この世に生を受けるのだ。誕生した赤子は「パパに似ている」「いいや、ママに似ている」双方の祖父母も登場して誰に似ていると大騒ぎする。

 ある日、妊娠中の友人が保育園に通う娘を注意していた。片付けをきちんとするようにと話している最中、その子が叫んだ。
「ママ 大変。赤ちゃんが産まれちゃう」
話を遮られた友人は、冷静に「まだ産まれません。ちゃんとお話を聞いてください」と続けた。
「ママ、だっていま赤ちゃんと目があったんだもん」
「そんなことあるわけないでしょ」
・・・
数年後、小学校に上がった友人の次女がこっそり教えてくれた。
「あのね、私、生まれる前にママのお腹から、この世の中はどんなかなーと思って覗いてみたの。そしたらね、ママに怒られていたお姉ちゃんと目があってびっくりしちゃった。」
「えー そういうことがあったの?  目があったらお姉ちゃんもびっくりしていたでしょう」
「うん、びっくりしてママ、赤ちゃんが産まれちゃうって叫んだけど、ママにそんなわけないでしょって言われてた」
そう、胎内記憶のある人がたまにいるのだ。多くの人は産道を通るときに記憶を置いてきてしまうのかもしれない。いや、もしかしたら、どこかにその記憶は隠れているのかもしれない。

 日々の生活の中で、この世の借り物の肉体を使って自分の魂は何をしたいのだろうと改めて思う。美しい国、日本。美しい国は、踏み躙られることがない強い国であって欲しい。美しい国は、悪に染まらぬ正しき国であって欲しい。この国は、どこまでも美しくあって欲しい。

 

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