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日々の覚書き #5

なんと3年ぶりの更新となるわけですが、#4を書いていたその前後、それはもう爆烈に地獄絵図の様相だったわけです。
2021年8月の終わり頃、診察開始3分も経たずに精神疾患で半年間の休職が確定し、その後数日間は一言も言葉を発さない状態が続きました。
ただ無言で24時間横たわるだけの日々で少しずつ充電を取り戻し、一定の気力を取り戻したタイミングで突然怒涛の勢いで出力された文章が下記です。
ずっと下書きにだけ残されていましたが、最近の事を書き始める前の区切りとしても、せっかくなので載せておこうと思います。
当時の原文ほぼそのままなので、順序とかくちゃくちゃなところはありますが、それはそれでメンタルやっている時のパンク状態が見えていいかなと。


はじめに

しばらくアニメ、映画、特撮など趣味について記録を書くことが出来なかった。
仕事自体が忙しかったのもあったが、趣味へ向ける気力が湧いてこなかったように思う。それは今現在もそうで、何か解決したという訳でもない。
転勤しておよそ8ヶ月が経ち、仕事に行けなくなった。支え続けていた岩に押し潰されたようでもあり、堪え続けていたダムが決壊したようでもあり、無理やり動かしていた操り人形の糸が切れたとか、そんな感じだった。
仕事に行けなくなる前から(どれくらい前からか分からないけれど)考えをまとめることが苦手になった。特に人と会話するときのように素早い返事を求められる場面ではなかなか自分の考えていることを相手に投げ返せないし、やろうとすると普通(だと思える頃)と比べると遥かにエネルギーが必要になったと感じる。
同時に外からの情報を取り入れることも難しく感じていて、相手の言っていることを理解するのに時間がかかったりとか、観ているアニメの内容が覚えられなかったりとか。
詰まるところ、頭の回転が鈍くなって情報の入出力が上手く出来なくなったらしい。
文字に起こすのは自分のペースでゆっくりと、また内容の順序を後から正しく組み替えることも出来るため比較的それらしくやれそうなので、思う事とあった事をまずはバラバラでも書いておきたい。

8月末、会社での面談

仕事に行けなくなった2日目、支店長と小一時間ほど話した。主に状況の整理と今後想定される流れ、つまり休職から復職までの手続きについての説明だった。
そこで決まったこととしては、9/7までは年休扱いで休むことと、9/7の16時にまた支店で面談すること。9/6の再診の結果を踏まえて休職に進むのか、しばらく、若しくはすぐに復帰するのか決めましょうということらしい。
休職中の注意点の説明として、毎月診断書をもらうこと、厚生年金など給与から差っ引かれていたものを逆に振り込む必要があること、手当ての申請から受け取りまで時間がかかること、半年経過して復職しない場合は退職になること等を聞いた。
その他に復職までの流れとして、月一回は支店で面談することや、現場復帰前に支店へ出勤して慣らし運転する期間があることも説明があった。
現時点で自分がどうしたいかも聞かれた。説明を聞くのも集中力が必要で大変だったが、自分の考えを投げ返すのが一番疲れた。ほとんど頭が回らないので本当は全部「分からない」で済ませたかった。その場では「分からない」理由として、「すぐの復帰はできるがすぐにまた同じ状況になると思う」という風に答えた記憶がある。
たった一時間弱の面談だけでそれまででは考えられないほど疲れてしまった。帰宅後すぐ倒れこむように寝た。

行けなくなる直前の頃の面談

部長との面談があった。夏季連休直後にあった主任補(若手とベテランの間、役職半歩手前、入社6〜10年目くらい)との定期面談の中で、退職について相談したことから急遽設定されたとのことだった。執行役員級の人がわざわざ来て時間を割いてくれるのだから、冷静に考えるとえらい話だと思う。
心身共に不調であること、退職を考えつつもこれを乗り越えなかればいけない自覚があることを話した。また業務上の心構えについてアドバイスをもらった(と思う)が、あまり覚えられなかった。自分の考える問題点を相手にうまく伝えられていないのと、そもそも自分が自分の問題点を正しく認識・分析できている訳でもなさそうなので、相談にもなっていなかっただろうと思う。正直この面談で気持ち的に楽になったとかそういうことは無かった。

これまで(行けなくなるまで)

年末の転勤後、今年の春頃から体調に影響が出始めたと記憶している。
転勤・転居・同棲・結婚を全て同時に重ねたのが良くなかったのかもしれない良くなかったのかもしれない。
社宅からの引っ越し直前だったので2月末だと思うが、喉の痛みで突発年休をとり耳鼻咽喉科を受診した。物を飲み込むのが難しいくらいの痛みがあったものの特に異常無しと診断された。あれも結局ストレスから来るものだったのだと思う。
3・4月頃から吐き気や腹痛は度々あったが、ゴールデンウィーク明け頃から慢性的で気のせいとも思えなくなってきたと思う。時期的に考えると、自分ではあまり負荷になっていると感じていないつもりだったけれど、父親の入院も実は影響があったのかもしれない。
その他思い当たるきっかけというと、後輩の面倒を見なければいけなくなったり、チーム全体(特に上司)の業務量が増えたことがある。元々が他人を頼ったり相談することが苦手で、それまでも上司への報連相は緊張感を押し殺してやっていたところに、より話しにくい雰囲気になったことから疎かにし、業務の進みが悪くなるという連鎖に陥ったと思う。

ゴールデンウィーク前後からは休日も気持ちが休まらなくなってきた。休みの間も抱えている業務のことが頭から離れなかったり、夢に出ることも少なくなかった。これによって朝必要以上に早く目が覚めることもしばしばあった。
休みの間に頭から離れないのが一番つらかった。思い出したところで何も仕事は進まないし、気持ちを切り替えてストレスを減らすのが大事だと分かっていても出来なかった。食事中や買い物中でもふと思い出してしまい、不安と緊張感で歯を食いしばることが多くなった。
ゲームをしていてもプラモデルを作っていてもどこかに仕事への不安が残っていて昔ほど集中したり楽しんだり出来なくなっていたと思う。
平日帰宅した直後だけは少し気が楽だったが、夕食を終える頃にはまた翌日の仕事への緊張感で家事や趣味に時間を割くことができなくなった。恐怖心から仕事に行きたくないとは思うものの、解消するには行って仕事を進める他無い、行かなければいけないという気持ちの矛盾がまた大きなストレスだった。次の日が来てほしくないと思いながらも仕事を進められない時間が苦痛で、何もせずすぐ寝るようになった。

仕事に行けなくなる直前の土日は特に酷かったと思う。休み明け何か特に仕事での締め切りや問題がある訳ではなかったけれど、漠然とした不安が大きく、落ち着かず、何も手につかなかった。気分転換にと新たにプラモデルを買いに行った。好きな物が大量に陳列された空間に行くだけでも気持ちが上向くと思ったし、買って帰って家で作っていれば多少マシになるとも思って行った。
結局何も買えずに帰ってきた。行ったものの、今までのように楽しいと思えなかった。欲しいと思って行ったはずが、何が欲しいのか分からなかった。買ったところで何も解決しないと思った。好きだった物を楽しめなかったのがショックだった。
直近で一番つらく嫌な出来事だった。


以上がずっと残されていた当時の殴り書きです。
改めて読むと、文字に起こすことで少しずつ考えを整理していっている様が分かりますね。
本当に大変というか危険だったのはこの文章が出力されてからもう少し先の冬頃なのですが、それはまたいつか。
偶然このページを目にされた各位は、くれぐれも精神疾患には気をつけていただきたいと思います。では。

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