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ほんとのダックテイル

リズミカルな、金属の擦れる音。
耳元を何度も行き来する、スリルのある摩擦音。
その向こうに聞こえる、ぷつぷつ、というちいさな音に、生まれ変わりを連想した。

「お客さん、」
「はい?」
「前髪、どうします?」
「ああ、えっと…」
「どうされました?」

どうされました?じゃないのだ。気になって仕方がないことがあった。
真っ白いふわふわが、鏡越しにもぞもぞ動いていた。それは位置的に、恐らく後ろの席の人だろう。それにしたって、白すぎるのだけれど。

「…お客さん?」
「あっ、あの、いつも通りで!」
「はいはい、じゃあちょっと目瞑っててね。」

言われるがまま、目を瞑った。
まぶた越しにわかる光の往来。再び響き始める、小気味よい生まれ変わりの音。
行ったり来たりしていた光が止まったのを合図に目を開けたら、前髪が膝の上でぱらぱらとみじん切りになっていた。さっきまで私の一部だったそれを見て、死んだわけでもないのに生まれ変わりって言っちゃっていいのか、などとぼんやり考えた。でも、難しい「風」のことを考えているだけで、その中身はさほど無い。

「長さは?」
「えっと…」

再び鏡に目をやった。すると驚くべきことに、鏡の向こうで真っ白いふわふわが飛んでいる。目を凝らして見ると、それは後ろの席の誰かの髪にハサミを入れるたびに起こっていることのようだった。

「とりのはね?」
「えぇ?」
「いや、ちょっと待って、」
「はあ、」

この美容師は気づいていないのだろうか。それとも気にしていないのだろうか。
誰かの頭らしき部分から生えている白いふわふわ。ハサミを入れる度に飛び出してくるそれは、どう見ても真っ白な羽毛だった。あひるの羽みたいな、幼気な白。それが頭髪だとするならば不思議すぎるくらいにはなんの汚れもない、眩しすぎる白。

「白髪じゃなかったんだ…」
「お客さん、白髪なんかないでしょう。」
「いや、そうじゃなくて…」
「若いってのはいいね、まだまだ何でもできる。自分もお客さんくらいの歳だったら……」

欠伸を噛み殺して、話を聞いているふりをしながら、鏡越しに後ろの席をこっそり見続けた。どうやら今日は、リーゼントにしてもらうらしい。

いいじゃないか、白いリーゼント。
コンクリートに咲いたたんぽぽの平和とか守ってそう。野良猫集会の召集係とかやってそう。挨拶運動とか、交通安全運動とか、そういうの仕切ってそう。強そうな(だけどすごく単純で、その強さは漢字の角々しさに由来するような)言葉を並べ立ててぶいぶい言うよりも、よっぽど芯がありそうじゃないか。だからこそ弟子も多そうだし、日本くらいならちゃちゃっと征服できちゃうんじゃなかろうか。
いいじゃないか、平和の白いリーゼント。

「―で、長さは。」
「うーん、いつも通りで。」
「はいよ。」

私の髪がすっかりすっきりまとまったころ、ハサミをとめた美容師も、後ろの席の様子に気づいたようだった。どうやら今までほとんど気づいていなかったようなのだから、驚きだ。
でも、その席の周りはふわふわの羽毛だらけになっていたのだから、さすがに気づくのも当然だろう。これで羽毛布団1枚くらい余裕で作れてしまいそうなくらいにはたっぷりとした量の、平和な白。
大事な髪型はというと、ふわふわの羽毛はしっかりぴっちり、リーゼントの形に整えられているのが見えた。

「おお、これはこれは。」
「さっきから、気になっちゃって仕方なくて。」
「これがほんとのダックテイル、ってね。」

がはは、と笑って鏡を広げた美容師は、愉快そうに歯を見せて “ほんとのダックテイル” をいったんさえぎり、私のバックスタイルを映し出した。

「お客さんもやってみます?あれ。」
「いえ、今日はいいです。まだ若いので。」
「ははっ。」

歯の隙間から乾いた笑いがこぼれた拍子に、鏡の向こうでふわりと羽毛が揺れた。

2023.2.3

***

退屈な病院の待ち時間、色んな人の足音や服の擦れる音やビニールがカサつく音にちょっとドキドキしながら。

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