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「アスリート」、いや「アーティスト」の葛藤の姿

前々から気になっていた作品だが、ようやく見れた。

『ゴーストバスターズ アフターライフ』のマッケンナ・グレイスが出ていたり、また先日の北京冬季オリンピックのフィギュアスケート騒動の余波もありと、時流に乗った作品だろうという判断での取り上げかなという感じだ。

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ただ、作品はロシアなんかのそれとはまったく趣が異なる、ような気もする。「違っているようで、元をたどれば同じか」なんて一周回ってしまったような気分だ。

ロシアのワリエワらは国に翻弄され、本来自分たちのものだったスケートという競技に携わることにたいして支障をきたした。

一方でこの物語の主人公・トーニャは、本来は愛すべきスケートという競技を、一見身勝手な親や芸術性だのなんだのという審査員に奪われたという「本人の視点」で描いている。

物語の真相は視点によってさまざまに変わるが、この物語はあくまでトーニャという一人物の視点で描かれている。そこに「常識的には」「普通だったら」なんて意見は関係ない。

結局は競技を欲する本人とその妨げになる者との関係、ということでは一致している。

こういった作品が出ると「じゃあ本人たちはどう生きていけばよかったのか?」なんて思う人もいるかもしれない。それを考えたところで何かがどう変わるかなんて気もしないけど、つまりは今世界のどこかの、どこかの視点でこんな矛盾にぶつかっているという局面がある、ということを物語によって知ることができる、ということなのだろう。それに対してみる側がどのような感情を持つのか?それこそが大事なのだと思う。

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一番ゾクゾクときたのは、成人したトーニャの最初の滑り。リンクの外ではガムを噛んでみたり、荒んだ表情が見えた彼女が、クラッシックのバラードで気取ったライバルをしり目に、ZZ TOPの「Sleeping Bag」で強烈なアピールを見せるシーン。なんてカッコいいんだ!って。

ハードロック/ヘヴィメタル系の音楽で滑るスケート選手なんて…羽生結弦がゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」で滑ったくらいか。でもあれバラードだしな…とか思っていたら、意外にいるらしい。

でもホント、なんかカッコいいじゃん?ふと『スラムダンク』で湘北高校が物語の最後の試合、山王工業との対決に臨む際に「ワルモノ見参!」とかいって出てきたのがふと頭に思い浮かんだ。

今の世の中、違った意味での「ワルモノ」が求められているんじゃないか?

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