吾輩は童貞である。魔法使いになる気はまだ無い。㊱マッチングアプリ編その17

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直接の続きのため、ご一読いただければ嬉しい。
これは魔法使い化の未来に抗う、アラサー童貞の記録である。


筆者スペック

身長:160代後半
体型:やや細め
学歴:私立文系
職業:税金関係
趣味:映画鑑賞(ハリウッドからクソ映画まで)
社長へ言いたいこと:テメエ資格の勉強してほしいのか彼女作ってほしいのかどっちなんだよ

登場人物紹介

ベビー
たまたま俺に彼女できた報告をしたばっかりに、今に至るまで俺の無能童貞恋愛相談を受け続けているかわいそうな童顔の友人。圧倒的な恋愛強者でもあり、俺を本格的に恋愛戦場に引きずりこんだ元凶の一人でもある。
この前「オマエ女っ気が無さすぎるから付き合ったらマジで安心だろうな」という、褒めてんのか貶してんのか分からないことを言われた。

リターニー(31)
俺がマッチングした女性。
帰国子女、理系、院卒、外資系。

月はいつもそこにある

──…。

──……。

──………。

──…よし。

鏡に映る己を見る。パーマは落ちかけで、眉毛サロンへ行ってから大分日が経っている。万全とは言えないが、今の俺が発揮できる最大限のパフォーマンスだ。

人事を尽くして天命を待つ。あとはリターニーが俺を見てどう思うかが全てだ。

──それにしても見違えたものだ…。

過去の捻くれた俺が「そんなもんでモテたら誰も苦労しねえんだよ」と言って、食わず嫌いしてきた全ての労力。今はその全てが俺の力となっている。…いや、実際に力となっているかはどうでもいい。ビジュアルがどの程度良くなったかではなく、”そう思える”ことがどれほど俺の力の根源となっているかということの方が遥かに重要である。

…”マチアプで告白するのは何回目のデートがベストなのか?”

コミュニケーションの密度は十二分にある。

今言って無理ならいつ言っても無理だ。

実際リターニーが応じるのかなんて、やってみなくては分からない。

悲壮な決意はここにはない。怠惰な諦観もここにはない。胸の内にあるのは一つ。ただ今日を楽しもうという気持ちだけ。

この戦いの行方がどこに着地しようとも、俺は後悔はしないだろう。

足早に家を出る。

時刻は昼過ぎ。月はまだ出ていない。

それでも、月はいつもそこにある。

ラウンド3:天地を分かつ銀の幕

その日は映画館デートであった。

元々お互いがやり取りするきっかけになったのが、ニッチな映画の趣味だったので、今回は実際に見てみようということになったのだ。

例によってリターニーが提案してきてくれた作品、席を提案したのは俺だが、「前回奢ったのが俺だったから」という理由で、リターニーがチケット代を出してくれたのであった。

いつものように待ち合わせ場所で待機する俺。待っている方が気楽だ。

しばらくすると、リターニーが現れた。白ワンピに白サンダル。小麦色の肌とのコントラストが美しい。

リターニーは俺を見つけると、笑顔で俺に早足で近寄ってきた。

──いや、近寄りすぎィ!!

フツーに腕組んできとるやないか!!

アメリカではこれが普通なのか!?

──あっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっ、え?

どれほどカッコつけようとも、童貞は童貞である。

──あっあっあっ、えっこの感触はおっ、おっppppppppp

アプリを始めた頃にこの人に出会わなくてよかった。猜疑心が強すぎて卑屈マシマシの俺だったらば美人局や勧誘を疑っていたところだ…。

…いや、訂正しよう。性根は前とさほど変わっていない。俺がここで素直に受け取れたのは、そういうセコい真似をするような人ではないという絶対的な妄信があったからである。既に俺は目を潰すまでもなく盲目になっていたということだ。

映画館までの道のり。

二人並んで歩く。

リターニーの方を向くと、恥ずかしそうに目を逸らす。

リターニー「も~まだ明るいからだめ、ケツアナゴ(筆者)くんを直視できない…」

──いや、恥ずかしいのは俺だが!?!?!?!?!?!?!?!!?

指をさするな!

腕の筋をなぞるな!!

ギュっと力をこめるな!!!

スイマセン嘘ですお願いしますもっとやってください!!!!(超速反転)

映画館に到着。席に着く。

リターニーがお手洗いに行っている間、スマホの電源を切る前に、俺はベビーに一通のLINEをした。

俺『助けて!!腕組んできた!!勃○が止まらない!!』

ベビー『キモ』

無常。

……

………

上映中。

──…あー、これヤバいな…。

リターニーは、さほど血が出ずに人が死ぬシーンだけでもグロい、怖いと形容する程度のグロ耐性であったらしい。対して、低予算映画が安易にグロに走るのも含めて見慣れている俺は、SAWやムカデ人間レベルの陰惨さでなければ「よくできてるなぁ」で済ませてしまう程度の人間だ。

俺みたいな28でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは。かたや俺は銀の幕で死体を見て、呟くんすわ。it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。…なんつってる間に首チョンパっすよ。(笑)あ~あ、PG12の辛いとこね、これ。(今の時代伝わる人いるのかこのネタ?)

映画のチョイス自体はリターニーがしたものなので、そこに関しては俺の落ち度ではないのだが…。銃声と共に人が倒れるだけで、若干身体が跳ねている。

ヤバいのは、俺のポ○チンであった。

…いや、真面目な話なんです。

大きな音が鳴って人が死ぬ度に、僕の手を強く握るんですよ。怖そうにしていたのでカッコつけて手を差し出したらこれですよ。

指を絡めて這わせるな!!

肩に頭を置くな!!

アカン!!変な体勢だから腰が痛い!!

映画の内容に集中させろ!!

スイマセン嘘ですお願いしますもっとやってください!!!!(超速反転)

ラウンド4:たとえ月が出ていなくとも

リターニーの受け身でない姿勢は非常に好ましいところではあったのだが、さすがに全部リターニー案だと申し訳ないので、ディナーは俺の提案した店に行くことになっていた。…といっても、ベビーが勧めてくれたお店だったのだが。

先ほどとはうって変わって、落ち着いた雰囲気で酒を飲む二人。

俺「…」

リ「…」

俺「やべ、酔ってきた。頭回んないや…」

学ばねえヤツだなこいつは。

リ「酔ったらどうなるのかな。見てみたいな」

──そんなに良いもんじゃないぞ。

口には出さない。出す意味が無い。そう思っていた。この前までは。

ネガティブを押し付けるのは嫌われるだろう。しかし、己の弱さを知ってもらう分には、付き合う上では重要なのではなかろうか。それが本当の俺なわけで。仮面を被っていても、いつかは取れる時が来る。

既に会う前のLINEで「甘えたい時は甘えていい」と言われていた俺は、存分に甘えることにした。

俺「俺だってさァ…ほんとはさァ…もっとスマートにエスコートしたいのにさァ…結局さァ…あんま上手くいかなくてさァ…」

リ「ケツアナゴくんは素敵だよ」

俺「ありがとう…」

緊張しすぎて縮んだ胃に無理矢理料理を入れながら、仕事をしない肝臓を尻目に酒を入れながら、俺は少し踏み込んだ質問をした。

俺「リターニー(呼び捨て)はさァ…なんで俺と会ってくれたわけ…?」

これは卑屈からではなく、単純な好奇心によるものである。

リ「前も言ったかもしれないけど、私ね、自分の学歴や職種に関して、周りの人とか地元の人とかに『バリキャリは可愛げがない』『女は早く家庭に入った方がいいよ』みたいなこと言われてばっかりだったんだよね。私は私で目標があって生きてるのに、そこは見てくれないのかな…みたいな」

俺「…」

リ「だから、最初の方に『貴女が今ここにいるのは貴女が頑張ってきたからでしょ?やりたいことのために努力できる人って素敵だと思う』って言ってくれたのが本当に嬉しくて…」

俺「…」

リ「特に男の人でこういうことを言ってくれるのは、お父さんとかお祖父ちゃん以外あんまりいなかったからさ」

──…。

俺「…リターニー。もう分かってると思うけど、これはお世辞じゃない。好感度を稼ごうとして言ったわけでもない。思ってもないことがスラスラ言えるほど、俺は器用な男じゃない」

リ「…」

”その先”を言うべきか、正直、迷った。

”それ”は、俺の全ての根源とも言ってもいいことだったからだ。

ただでさえ中学生の頃から不安があった俺の自己肯定感への最後のトドメになったのが、何を隠そう「働いていない時期があった」という、己の人生そのものに対する負い目だったのである。

最も脂が乗っている新卒~20代中盤までの時間を、俺は浪費した。

やりたいことが見つからなかったから流されるように大学に説明会に来た企業から上場企業というだけでそこを選んで就職し、さしたる信念もなかったがゆえに多少のつまづきで挫けて精神を病み、大して痛くも痒くもないであろう失敗を恐れ、寛解したであろう後も、行動すること自体を恐れ、コロナ禍を言い訳に現実から逃げ続けていた。

童貞コンプレックスの再自覚により社会に戻ってきたものの、四畳半の子供部屋から出られなかった惨めな過去は、俺の心で深い傷となって残り続けている。腹の立つことも、大変なことも、痛いことも、悲しいことも山ほどあるが、それでも今の俺が社会にしがみついているのは、あの過去以上に辛いことなど無いと思っているからだ。

…弱さを見せるとはそういうことだ。化けの皮を剥がすとは、俺にとってそういう意味を持つのだ。ただ遊びで付き合うだけなら、ただ肌を重ねたいと思うだけなら、こんなもの見せる必要はない。けれど、真剣な出会いにしたいのなら、教える気などなくとも、リターニーはいずれ知ることになる。

隠し通すことなど、できない。俺はそんな器用な男ではない。

──…。

──これで引かれてしまうようなら、その程度の男だったということだ…。

俺は言葉を続けた。

俺「俺は…やりたいことがなかったから、センター利用でたまたま引っかかった大学に入ったんだ。やりたいことがなかったから、適当に条件の良さそうな会社を選んでその中から受かったところに就職して…心を病んだんだ。なんとかして転職はしたけれど、年次も浅いし働いてない時期もあったから、稼ぎはそんなに良くないし、貯えも全然無い…」

リ「…」

俺「俺は、”やりたいこともなかったし、努力もしなかった側”だ。だから…だからこそ、”やりたいことがあって、そのためにきちんと努力できる側”のことを、俺は素敵だと思うんだ。男だとか女だとか関係ない。他の友達にも言っていることだ。これは、君を口説こうと思って口にしている文句じゃない。今、この場で、君がワインを俺にぶちまけて、そのまま無言でこの店から出て行ったとしても、この言葉だけは取り消さない

綺麗事だ。

所詮、綺麗事だ。

けれど、この綺麗事が、他ならぬ俺の偽らざる本音なのだ。

リ「…」

リ「……」

リ「………」

…いや、すまん。ちょっとだけカッコつけた。

クサイ俺の長口上を、リターニーは黙って聞いていた。

そして…ゆっくりと俺を見て、微笑んだ。

リ「ありがとう。でも、ケツアナゴくんだって努力してるよ」

俺「…うん…」

いかん、コンタクトレンズにゴミでも入ったかな。

リ「はぁ…もっと早くケツアナゴくんと会えたらよかったのに…」

俺「前の俺だったらもっとキョドってたと思うよ。リターニーの目を見て話すこともできなかっただろうし、今よりずっと卑屈だったろうし。多分、リターニーが肯定したくなるような感じじゃなかった気がする」

リ「そっか。じゃあ、今までケツアナゴくんとデートしてきた女の子たちに感謝しないとだね

いい性格してるじゃねえか。

俺もそう思うぜ。

最終ラウンド:君が綺麗だと知っている

お互い、お手洗いに行った後に店を出た。

俺が全部出そうと思ったのだが、リターニーがお札を渡そうとする時に割とガチな雰囲気を感じたので、大人しく受け取ることにした。…ジェンダーで行動を括る行為全般にあまり良い印象がないらしい。別にそんな風に言われたわけではないが…ここから先は踏み込むべきではないと俺は判断した。

どうも、どこかしらの建物周辺で何かしらのライトアップをやっているらしいことを知った俺は、リターニーに提あn

リ「ねえ、散歩しない?」

全ての行動に優先度+1でも付いてるのかこの人は?全盛期のファイアローか何か?今日はずっと先手を打たれているような気がする。

まあ、男にリードしてほしいなどとのたまう受動性の怪物はそれはそれで俺の好むところではないので、僥倖と言えば僥倖なのだが…。

ともあれ、散歩の提案を了承した俺は、目的地へ歩を進めることにした。

……

………

──おっ。

俺「ねえ、リターニー。香水買ったって言ってたよね。さっき付けた?」

リ「…」

横にいたリターニーは、握っていた俺の手を離した。

そして、俺の方に向き直る。

俺「…?」

ほんの一瞬の間があった。

それから続いてリターニーは、小さく手を広げ、俺を見上げながら、か細い声で言った。

リ「ねえ…もっと近くで嗅いで?」

──!??!?!??!?!??!?!??!

アルコールの毒気など、完全にどこかへいってしまった。

バカお前肝臓、ここで俺をシラフに戻すんじゃねえよ。

猜疑心の強い俺は、無駄にあらゆるものに注意を割くような生き方をしてきた。ゆえに、今己らがいる場所の状況は、一瞬で把握できた。

繁華街ではないとはいえ、路上だ。わずかながら人の往来がある。街灯もないわけではない。”その”シチュエーションとしては、いささか不相応だ。

だが、ここで拒否するわけにはいかない。それに、俺が本当に気にしているのはTPOではなく人の目そのものであることは、その時点の俺でも分かっていた。

──恥ずかしい…。

いや。

だが。

しかし。

──何を今さら。恋愛なんて、どいつもこいつも端から見たら恥ずかしいもんだろうが!!

微塵の逡巡と、刹那の躊躇。

それらを乗り越えて、俺は一歩前に出た。

俺「ああ…良い匂いだ…」

リ「…」

その間、何秒であったか。

やはりそれでも童貞の俺は、自分からハグをやめた。

リ「…」

──…?

おや?

どうした?

リターニーが動く気配がないぞ。

…本当にこの人は、大した人だ。今まで俺の顔を見るだけで、俺の声を聞いただけで照れていたくせに…今となっては完全に立場が逆転している。

なまじ察しだけは悪くない俺は、次の展開が読めてしまった。

あの時の俺は、どんな表情をしていたのだろう。

リ「ねえ…ケツアナゴくん…」

俺「…」

リ「もし私が…ハグだけじゃ足りないって言ったら…どうする…?」

──…。

──……。

──………。

──リターニーの唇は…返してもらう…!いや…!

「貴様の…もの…ではあるまいっ!」

──そうだな。ならば童貞らしく…。

──い た だ い て ゆ く ッ ! !

……

………

都会の夜。人工の光が空を照らす。

月は出ていない。

けれど。

たとえ、月が出ていなくとも。

俺は。

君が綺麗だと知っている。

吾輩は童貞である。魔法使いになる気はまだ無い。

一応、その後人気のないところまで行き、改めて告白はした。…まあこれはちゃんと言わんとね。俺の踏ん切りがつかないので。

まさかこんなことになるとは思わなかった俺は、次の日の朝に友達との予定を入れてしまっていたため、普通に帰った。リターニーはかなり物足りなさそうな顔をしていたが、まあ、物足りないくらいがちょうどいいということで。(その経緯を知った友達には当日『なんで来たんだよボケが』とボコボコにされた)

……

………

読者諸兄。

お忘れではないだろうか。

この連載のタイトルの名を!!

そう、ここからが真の戦いである!!

俺は!!

職場のA子に童貞を弄られてから、1年と7ヶ月かけて!!

ようやくスタートラインに立ったのだ!!

もはや童貞を捨てることそのものは割とどうでもいいというか、それは全く目的の本質ではなくなっているが…。

ともかく、度し難い俺の呪いのうちの2つ目が解呪された。

だが、ここで安心するわけにはいかない。

油断もなく、慢心もなく、瑕疵もなく、遅滞なく彼女と心通わせるためには…前を向き、進み続けることが必要なのだ。

そう、俺は。未だ。

吾輩は童貞である。魔法使いになる気はまだ無い。

これは魔法使い化の未来に抗う、アラサー童貞の記録である。


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