優しさのパラドックス

優しさを求めようとしたら、逆に、優しさを否定してしまうんじゃないのかと思ったのでこの記事を書くことにした。

優しさは、権利と結びついていると思う。つまり、社会が権利というシステムをもつことで、弱者であっても救済される。(優しい)

ところがこの権利というシステムがやっかいだ。権利というシステムは、本当の弱者を救済できない余地を残しているからだ。

権利は強者が弱者に与えるものだ。

なんのためか?

弱者が束になって、攻撃してくることを恐れるからだ。だから権利は機能する。

ではもし、反撃ができないほど弱すぎる弱者だったら?

残念ながら、見捨てられる。権利は主張しても相手にしてくれない。

しかし、人には共感という能力がある。そして、そんな弱者にも共感し、救ってくれる人もいる。そういう人は本当に優しい人であると思う。

ただし、救うためには、その優しい人自身もある程度強者である必要がある。強者であるという事実を利用して、権利を主張し助けることができる。

競争社会における強者は、その地位を得るために多くの弱者を蹴落としてきている。ところが、弱者を救済するか、あるいは見捨てるかは、生き方の自由という権利のもと、強制できない。

もしも、優しさを強制させようものなら、強者としての権利を利用して、反撃してくるかもしれない。

つまり、最初に述べたように、優しさを求めようとしたら、逆に、優しさを否定してしまうことになるかもしれないのだ。

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