母は渋谷でハチ公を撫でた

2015年に結婚をしたときに書いた文章です。

僕も妻も結婚式は挙げないと決めていたが、どうしてもそういうわけにはいかなくなり、身内だけのごく簡素な人前式を行うことになった。もう少し僕が若かったら断固拒否していたと思う。しかし僕はもう41歳だったので、それをすることで誰かが喜んでくれるのならいいか、という気持ちだった。

11月14日。事前の準備もそこそこに当日を迎えた。僕の方の出席者は母、一番下の妹、妹の夫の3名。妻の方は10名。新郎新婦を含めて総勢15名のささやかな式だ。

2年ぶりに会う母と妹を見て、歳をとったなあと思った。母はもうすぐ69歳になるはずだし、妹も32歳である。向こうも僕を見て同じように思ったことだろう。

式も宴ものんびりと進行し、劇的な盛り上がりのないまま終了した。僕と妻は結婚がゴールではなく、スタートでもなく、ただの通過点であることを知っていた。確かめたことはないが、この点において僕と妻は考え方がほぼ一致していると思う。

その夜、母と妹夫婦は東京で一泊した。翌日少し観光したいと言っていたので、あらかじめ東京駅近くのホテルを予約していた。翌朝は9時にホテルで集合しようと約束をしていたので、間に合うように家を出た。妻は親友の結婚式に出席するため朝からその準備に追われていた。自分の結婚式の翌日に、友人の結婚式に出席するというのはあまり聞いたことがない。僕は電車の中でその日の行き先を思案した。母は浅草に行きたいと言っていたので、浅草寺に行ってその周辺で昼食を食べようと考えていた。

9時ちょうどにホテルに到着してエントランスのすぐ近くにある朝食会場を見ると、すぐに妹夫婦を見つけた。お母さんはまだ部屋かとたずねると、妹は困った表情で昨夜の顛末を話し出した。ホテルにチェックインした後、夕食をとるため近くの居酒屋に行き、そこで妹の夫と口論になったという。話を聞きながら僕にはその様子が容易に想像できた。

昔から母親の酒癖には困っていた。周りの人間に絡んで怒り出す。声を荒げひどい時は手が出る。号泣することもあった。僕が幼い頃、泥酔した母親が包丁を持って誰かと対峙していた記憶がある。相手は誰だったのか分からない。
 
その後移り住んだ石川県の温泉街でも、酒に酔った母と継父との喧嘩が絶えず、小学生だった僕はごくゆるい自殺願望を持っていた。家族と一緒にいて心安らぐことがなかったからだ。

そのようにして僕の少年時代に暗い影を落としている母の酒癖は、最近ではすっかりおとなしくなった。昔のように血を流すほどの夫婦喧嘩もしなくなり、会うたびに老いていくその姿を見るにつけ、ほっとするような、寂しいような複雑な気持ちを抱いていた。
 
しかし、今また東京に来てまで妹夫婦と酒を飲んで揉めている。口論の原因はどうでもよかったし子供の頃のように死にたくもならなかった。ただ母の変わらなさに驚いた。僕が物心ついてからずっと見てきたことを、2015年の東京でやろうというのかと。

やがて母はまだ酔いの中にいる表情をぶら下げて現れた。そして不機嫌さをアピールしながら、僕らには何も言わず荷物を持って外へ飛び出した。細かい雨が降っていた。母は妹夫婦に怒っていて僕が呼び止めても聞く耳を持たなかった。

「もう帰る。お前らなんかと一緒に帰らない。」と怒鳴っている。母の怒声が東京の空の下で響いている。そして妹の差し出す新幹線の切符を受け取らず、そのままどこかへ歩いて行ってしまった。

その時、僕は母の振る舞いに強烈な懐かしさを感じて呆然としてしまった。嬉しいわけはないが悲しくもなかった。腹も立たない。ただひとつ言えるのは子供の頃よく見てきた光景をまた目の当たりにして、ただひたすら懐かしいと思ったのだった。母はまだ僕の母だった。
 
あとに残された僕と妹夫婦は少しのあいだ途方に暮れたあと、東京駅のコインロッカーに荷物を入れてから観光を始めた。9歳下の妹は東京に来るのが初めてだった。貿易センターの展望台から東京タワーを見てから浅草に向かった。日曜日の浅草寺はとても混雑していた。おみくじをひいて近くの店で回転寿司を食べた。隅田川まで歩きスカイツリーを眺めた。妹夫婦はいちいち素朴に喜んでくれた。

午後1時を過ぎ、そろそろ東京駅に戻ろうかと言っているところに母から妹の携帯に電話がかかってきた。「頭冷やしたから一緒に帰ろう」僕も妹も苦笑するしかなかった。妹の夫はただ黙って困った表情を浮かべている。無口な男なのだ。 

聞けばホテルを出たあと、渋谷でハチ公の頭を撫でていたという。そして新宿へ向かい、そこから電話をしているらしい。まったく理解できなかったが母は行きたいところへ行けたのだろう。電話を代わって話したが、なにやら満足気だった。

東京駅で母と合流。悪びれもせず笑っている。謝罪もない。僕も妹もどうしようもない。妹の夫はもっとどうしようもない。僕は妹の夫に詫びた。土産を買っていくというので僕はそこで別れた。
 
僕は世間でいうところの母親への思慕というものを持たない。お母さんが大好きだとか、育ててくれてありがとうだとか、母の日に花を贈ったりだとか、そういう感情がない。これからも花を贈ることはしないだろうし、大好きだとは口が裂けても言えない。

それでも僕の母親はこの人しかいない。そして今回、僕に懐かしさを与えてくれて家族のことを考えさせてくれた。結婚というのは家族のことを見直すことだと分かったし、式をやってよかったと思った。

東京で聞く母の怒鳴り声は本当にびっくりするほど懐かしかったな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?