略歴2 影のようにつきまとう後悔

実家に戻ってからしばらくは地に足が着いてないような心持ちだった。金沢で過ごした数年間に何の意味も感じられず、ただ時間を無為に過ごしてしまった後悔がふとした時にやってきた。地元の友人とは会わなかった。誰にも会いたくなかった。25歳になっていた。

とはいえ、とりあえず仕事をしなくてはいけないので、車の教習所に通った。通いながら家から徒歩5分のコンビニで夜勤バイトを始めた。仕事はおそろしく退屈だったが仕方がなかった。他にやれる仕事がないのだ。

ほどなくして免許を取得すると、また違うアルバイトを探しはじめた。飲食業だけはやりたくなかった。金沢でも仕事には困っていたが、飲食に関わることだけは一貫して避けた。本能的に自分にはつとまらないような気がしたのだ。その中で見つけたのがカメラマンの求人だった。所在地を見ると自宅から車で10分ほどで、高校時代の通学路脇に社屋が建っていた会社だ。

カメラに詳しいわけではなかったが、90年代にロキノン界隈でHIROMIXらが活躍した影響を受け、コンタックスで写真を撮って遊んでいたこともあり、深く考えずに興味本位で応募し即採用された。

仕事は新鮮だった。一日があっという間に過ぎていく。同じことの繰り返しがないから飽きない。楽しい仕事ばかりではなく気が進まない仕事もあるし、失敗して怒られることもたくさんあったが飽きないという点だけはずっと変わらなかった。

辞める選択はいつでもできたはずだが、飽きないというこの一点だけでカメラの仕事を続けた。辞められなかった。今思えば金沢での後悔がずっと影のようにつきまとっていたからかもしれない。

数年後アルバイトから社員になり、さらに数年経って転勤の話がきた。入社してから知ったことだが、全国に営業所がある会社だった。断る理由もなく、再び実家を出ることになった。33歳になっていた。

その後は北陸から中部地方で勤務を続け、38歳のときに東京へ異動。職場で今の奥さんと出会い41歳にして結婚。現在は東京の東側で奥さんと猫を抱えて毎日を過ごしている。
略歴はここまで。

東京にいつまでいるのかはわからないし、コロナはこの仕事にも大きく影響している。将来の不安がないわけではない。というよりも不安のほうが大きい。ただ元来が楽観的だからあまり悩まない。悩めないというべきだろうか。

ときどき金沢で死亡遊戯をしていた20年以上前のことを思う。ずいぶん遠くまで来たような気がする。影はいつの間にか消えていた。

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