略歴1 大きな神社〜死亡遊戯

生い立ちについて
福井県敦賀市で生まれ、すぐに武生市から丹生郡織田町(現在は越前町)に移り住む。図鑑を見ながら魚の絵を描いたり、川に入って遊んだりしていた。

地図を見ると海に近い街だが記憶の中の織田町は山間の景色がほとんどで、街の中心には大きな神社があった。神社は整然としていて、境内の池には大きな鯉がいた。

ここに住んでいたのは小学2年生の途中までだった。両親が離婚して引っ越すことになったためだ。次に移り住んだのは石川県の南部にある温泉街で、高校を卒業するまで暮らした。

福井県で生まれている自分が周りに石川県出身と言っているのは、この温泉街で自我を目覚めさせて今の自分の素というかエッセンスを形成したからに他ならない。

高校を卒業してすぐに家を出て、隣町の親戚の家に居候した。とにかく早く家を出たかった。
居候しながら国道沿いのパチンコ屋で約一年働き、そこで貯めた金で今度は金沢市へ移った。初めてのひとり暮らしだったが、そこでの生活は今振り返ってみてもひどかった。

元来のめんどくさがりに加えて世間を知らない19歳に丁寧な暮らしやトレンディなライフスタイルを構築できるわけがなく、日銭を稼ぐ仕事をして毎日ムダな時間だけを過ごしていた。

目的を見失っていた。文章を書いてカルチャーに関わる仕事がしたいという茫漠とした考えを持っていたが、当時の金沢にそんな仕事はなかった。あったとしても、何の実績もコネクションもないフリーターにまわってくるわけがない。

肉体労働的な仕事をしながら、金沢での生活は5年目を迎えていたがとにかく金がなかった。家賃や公共料金を滞納していて、年金も保険料も未払いだった。限界だった。

その頃、母親から連絡がきた。

「小さいが家を建てた。あんた金沢でふらふらしてるんなら、帰ってきてこっちで働いて家にお金を入れなさい」

金沢での死亡遊戯のような暮らしはこうして終わった。

続きます。

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