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パラリンピックから1年が経った今、もう一度決意する。

2021.8.24
昨年、パラリンピックが開幕されました。

パラリンピック ロゴ


感動的な開会式、本当にとてもステキでした。

でも、正直なところ
複雑なきもちでした。


当初は、全国からパフォーマーを募集し、審査し、選ばれた人たちが、開会式で舞うはずでした。

…でも、コロナで、開催が1年延期になったことで
開会式の様式も、当初と変更になりました。

山形県の地方で活動してきた、わたしたち(Kickin' Dance Fam)もパラリンピックの開会式で舞う理由が間違いなくありました。

Kickin' Dance Fam  ロゴ



一次審査に応募し、通過していました。

次は、東京でニ次審査の面接に向かうことになっていました。
…でも、二次審査はされることなく、そのままコロナ禍で社会は一変。
開会式のパフォーマンス企画は、白紙に。。。

そして、わたしの想いは宙ぶらりんのまま、昨年の開会式が開催されました。


1年が経った今、パラリンピックの舞台に立ちたいと思い、一次審査に応募した時の志望動機を明かしたいと思います。

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私たちが活動を継続してきた根拠がパラリンピックの舞台にはあります。
『すべての人に可能性がある』
『だれも排除しない・されない社会』
を私たちは東北の小さな街で実践してきました。
「迷惑がかかるから。。。」といって様々な活動をあきらめてしまう。
「障がいがあるから。。。」という理由で挑戦することをやめてしまう。
障がい者と言われる方の家族と話をするとき、そんな場面に数多く出あいました。
それでも、一歩踏み出して新たな場に進んだとき、障がい者と健常者という言葉で区別されることに疑問がうまれ、その場には新しい気づきと同じ人間としての相互理解がはじまり、予想もしなかった感動がもたらされることを私たちは知っています。
私たちがそうであったように、パラリンピックを通じてきっと多くの人がそのことを実感するのだと思います。
パラリンピックというステージは人の「熱意」が具現化したものだと思っています。
パラリンピックには「障がい」というものを(=自分)として可能性に挑戦する熱意があるはずです。
その熱意を具現化する場を創るモノの1つになることで、私たちは今後も自信を持って「どんな人も共に在る社会がいい!」と発信していきたいと考えています。
「健常者」・「障がい者」という言葉によって区切られた関係性がまだまだ色濃く漂っている社会を変えていくために、私たちのような″健常者や障がい者という線引きを越えて、今この時間を共に生きることを楽しんでいる″人たちが一つのアイコンになっていってほしい。という想いがあります。
日本だけでなく世界中の人たちが心躍らせるこの祭典で障がい者としてよりも自分の可能性を信じて疑わない人たちが全国にいること。そして、共に生きていく社会を創っているというメッセージを世界中に届けたい。なぜなら、パラリンピックが閉幕した後こそ、障がい者と健常者が当たり前に共に在る社会を創っていく本当のスタートだと思うからです。
「東京近郊の人たちだから関われた。」
「大都市にいる有名な人たちだから参加できた。」
ではなく、どこに住んでいても、どんなに小さな無名の集団であっても、パラリンピックという舞台に立ち、全力でパフォーマンスができる。という事実を私たちが実証したい。
パラリンピックをきっかけにどんなに小さな町にも「障がい者と健常者が共に在る」ことの可能性が理解され、障がい者と健常者という線引きではなく、どのような人も共に活動し、共に努力し、共に笑い、共に生きる。そんな「だれもが輝ける」社会を私たちの手で、私たちの行動で創っていきたいのです。だからこそ、私たちはこのチームでパラリンピックのステージに立ち、誰も見たことがないショーを創る者でありたい。との熱意をもって応募させて頂きます。

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パラリンピックが終わってからが、本当の始まり。

〜どんなに小さな町でも、共に努力し、共に笑い、共に生きる。〜それをわたしたちの手で、行動で創っていきたい。〜

2年以上も前に、発した言葉。

もう一度、立ち返って、1年前のパラリンピックの開会式を観ながら感じた、悔しさを全部、力に変えてやろう。


…という、、、決意です。

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