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文章を書けないのは、そもそも「読めない」から?「書き方」以前の「読み方」を学べる本『わかったつもり』

「文章が下手な人は、そもそも文章を読めない」という指摘がある(参考リンク)。

ひとまとまりの長い文章を読む習慣がないから。文脈を読み取る力に欠けているから。読めても自分なりに曲解してしまうから。だから、文章を読むことができない。

他人の文章を「読めない」人が、自分の文章を「読める」はずもない――。

たしかにその指摘には、一理あるように感じる。自分ではいくら「書けた!」と思っても、「読む」ことに慣れていない人は、己の文章の誤りに気がつきにくい。客観的に文章を見直すことができず、間違いや煩雑な箇所を修正できない。結果、第三者が読んだときに拙く感じられてしまう。

だからこそ、「読解力」は大切。

文章を読み、その内容を理解する力がなければ、人に伝わる文章などそもそも書きようがない。文章力よりも語彙力よりも重要な、読み書きの大前提となる基礎――それがこの、「読解力」だと言えるだろう。

しかしこの読解力、実は相当な曲者でもある。というのも、「よし、読解力を鍛えよう!」と思い立ち、書店の文章本コーナーへ足を運んでも、参考になりそうな本が意外と見当たらないからだ。

書店の本棚に並ぶのは、作文技法や語彙力の鍛え方といった「書き方」の本ばかり。「読み方」の本は思いのほか少なく、見つけるには教育書のコーナーまで足を伸ばす必要がある。ただ、そこには小中学生向けの教え方や高校生の小論文対策などの本が中心に並ぶため、大人には少々手に取りづらい。

そこで選択肢に挙がるのが、『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』。文章を書き慣れていない大人にこそおすすめしたい、「読み方」の解説本です。

普段は本を読まない人でも手に取りやすそうなボリュームで、やさしい文体で「読解力」を学ぶことができる新書。「読む」という行為の仕組みを考え直す内容ともなっているため、読み書きが好きな人も興味深く読めるはず。

誤読はなぜ起こるのか。
文脈にはどのような機能があるのか。
人によって解釈が異なるのはどうしてか。

そして、いかに自分たちが「わかったつもり」になって文章を読んでいるか。「書く」ことよりも身近な「読む」ことを紐解いた、刺激的かつ新鮮な1冊です。

読解力を妨げるのは「わかった」状態?

そもそも、「読解力」はどのように鍛えればいいのだろうか。

個人的なイメージですが、一般的には「文章は読めて当然」と思われているような節がある。

「義務教育で習ったじゃん」「国語の授業で読まされたじゃないか」などと、一言で切って捨てられてもおかしくない。そんな印象。書店の「『読み方』の本は教育書のコーナーでないと見つかりにくい」という状況からして、「文章なんて読めて当たり前じゃね?」という雰囲気を感じられる。

「国語の授業で学ぶ」以外の方法で、文章の読み方を身につけることはできないのだろうか――。

このような問いに対して、まず真っ先に思い浮かぶ回答が、「本を読め」という一言だ。とにかく文章を読むこと。多種多彩な文章に触れること。たくさんの本を手に取り、言葉や文章と親しむことで、文法や語彙は自然と身につくはずだ――。そのような思惑を込めた一言として、「本をたくさん読みましょう」という言葉を耳にする場面は少なくない。

本を読むことで、たしかにある程度の読解力は身につく。文法や言葉づかいがしっかりしているプロの文章は、これ以上ない「文章」のお手本だ。数をこなすことで気づける文章のルールや、身につく語彙だってあるだろう。読めば読むほど、「読み方」は自然と培われていくはずだ。

しかし、それは「もともとある程度は文章を読める人」の話であり、万人に当てはまる方法だとは限らない。

そうやって多くの本を読める人は以前から読んでいただろうし、何も考えずに淡々と読みふけるだけで「読む」力が身につくのかといえば、それも怪しいように感じる。目に入ってくる文字列を追いかけ続けるばかりでは、「読んでいるだけ」に過ぎない。ここで問題にしているのは「読む」力ではなく、文章から意味や内容を読み取り理解する「読解力」なのだから。

そう考えると、普段からたくさんの本を読んでいるからといって、その人の「読解力」が優れているとも言い切れない。実際、本書においても、そうやって本を読み流すなかで「わかった」と感じている状態こそが、読解力を身につけるにあたって最大の障害になると説いている。

本書が取り扱う「読解力」の鍛え方とは、ずばりこの「わかった」状態をぶち壊すことにある。

「わかった」状態とは、言い換えると「わからないことがない」状態を指すもの。もっと読み取れる情報があるかもしれないのに、すべてを「わかったつもり」になっている思考停止状態。それは、「読み」を深める――文章をより深く“読解”するにあたっては、避けるべき状態でもある。

文章の理解を妨げる「わかったつもり」を壊すこと。
それが本書の考える、「読解力」の鍛え方だ。

文章以外にも当てはまる、「文脈」がもたらす理解と誤解

「わかったつもり」の解消を目指す本書は、まず「わかる」と「わからない」の基準を明らかにするところから説明を始めている。そのうえで、「わかる」と「わからない」を区別する要素のひとつとして「文脈」の存在を取り上げている。

ここで登場するのが、認知心理学の「スキーマ」の概念だ。これは、一口に言えば、「私たちの中に存在しているひとまとまりの知識」を指すもの。筆者によれば、ある文章を理解するにあたっては、このスキーマが働くかどうかが問題になってくるのだそうだ。ひとつ例文を挙げてみよう。

新聞の方が雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが、つかむのは易しい。小さな子どもでも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ、雨はすぐしみ込む。多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる。ひとつについてかなりのスペースがいる。面倒がなければ、のどかなものである。石はアンカーがわりに使える。ゆるんでものがとれたりすると、それで終わりである。

(西林克彦著『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』Kindle版 位置No.400より)

おそらく「文章としては普通に読むことができるが、何の話をしているのかわからない」と感じた人が多いはず。しかし、この文章が「凧を作って揚げる話をしている」と言われれば、全面的に納得できるのではないだろうか。

「何の話をしているのかがわからなければ、その内容も理解できない」が、一方で「凧」という言葉が示されれば、関連する知識――つまりは「(凧の)スキーマ」が働き、途端に理解できるようになる。この例は、「文脈がわからなければ、どのスキーマを使えばいいかわからない」ことから、逆説的に「文脈」の重要性を伝えてくれているわけだ。

ところが、この「わかった」状態を作り出す「文脈」こそが、「間違った“わかったつもり”」をもたらすこともある。

ここでまた、例を挙げてみよう。本書では、木下順二の戯曲『夕鶴』を題材にした実験を提示。この戯曲には、「女の姿になった鶴が男の元を訪れ、素敵な織物を作ってみせる」という展開がある。――そう、あの有名な『鶴の恩返し』とほぼ同じあらすじになっているのだ。

この実験では、「なぜ鶴は男の元で織物を作ったのか」を被験者に質問している。すると、本文では別の理由が書かれているにもかかわらず、6割以上の人が「恩返しのため」だと回答したのだそうだ。この結果が、『鶴の恩返し』の知識や「恩返し」のスキーマに影響されていることは言うまでもない。つまり、本来は無関係のはずの「文脈」と紐づけて物語を読んだことで、間違った「わかったつもり」の認識が作り出されてしまったわけだ。

このように、 読み手が自分の持っている「ステレオタイプのスキーマ」を文章に簡単・粗雑に当てはめてしまうことによって、間違った「わかったつもり」や不充分な「わかったつもり」を作り出してしまうことがあるのだということを、私たちは、はっきりと確認しておく必要があります。

(同著 Kindle版 位置No.1,502より)

本書では、ほかにも「わかったつもり」を生み出す文章を例に挙げて分類し、どうしても生じてしまう「わかったつもり」を解消する方法を論じつつ、より深く文章を読むための考え方を説明していく。例示される文章には小学校の教科書を出典とするものが多いものの、その内容すら誤読してしまうことがあり、自分がいかに雑に文章を読んでいたかを思い知らされた。

同時に、本書が問題視している「わかったつもり」は、文章に限った話ではないのではないか、とも思った。

複数人のあいだで異なるスキーマが用いられることで誤解が生まれたり、思いこみによって事実を曲解してしまったり。お互いの「文脈」が異なることで顕在化するすれ違いは、日常のやり取りにおいても何ら珍しいものではない。「鶴」や「機織り」から『鶴の恩返し』を想像するくらいならかわいいものだが、「特定のキーワードと無関係な事象を結びつけて、それを事実だと認識してしまう」という構図は、陰謀論者のあいだでよく見かける。

文章でも会話でも当たり前に直面しうる、「わかったつもり」。

疑問を抱けない思考停止状態を壊すには、どうすればいいのか。詳しくはぜひ本書を読んでいただきたいのですが、その解として示されている考え方も、個人的には納得のいくものでした。特に「整合性」と「解釈」の考え方は、常日頃から心に留めておきたい。

読み終えたあとには、自分の視野が広がったように感じられる――だけどそこで「わかったつもり」になってはいけないとも自然に思える――示唆に富んだ1冊です。

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元記事:https://blog.gururimichi.com/entry/2018/08/06/194529

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