西村一成 絵画展 耳語耳目
写真は「現代の犠牲者」を撮影。
☆西村一成 2015年作
場所:碧南市哲学たいけん村 無我苑
『ぞうさんのあくび』という曲がある。幼児童向け番組用に作曲され、凡そ40年前平日のの夕方連日選曲放送。凡そ40年前の俺はテレビ番組向こうで動く体操のお兄さんと、その周囲で闊達に動き回る当時同年代の男と女。これを連日の薫育。発育過程で「鬱陶しさ」という感覚を芽生えさせた程に毎日。
それから40年後……。ある日ラジオからこの曲が流れてきた。誰が予想出来るだろうか。分厚い歴史を持つ西欧音楽を軸に組まれたラジオ番組から凡そ4〜5歳向けの近現代体操曲が選ばれることを。よっぴきならねえこの週の特集名は『夏のラジオ体操大会』という題目であるが、やや嘘で、番組後半にはラジオという枠組みからはみ出し、テレビから広義の意において「体操曲」がセレクト。懐かしさとの出会いもありとても良い夜だったのだが……しかし、これはその日に限っていえばのことだった。
『ぞうさんのあくび』 曲内の中弛みぞうさんとありさんのあくび部分に揺蕩う微睡。内燃機関に例えるならば下死点に当たるこのパート。そこから転じてクランクは身重の感情を持ち上げ始める。熱情に訴求し柔軟を促すのだが、その部分の楽曲歌詞が頭から離れなくなってしまったのだ。
“てあし てあし てあし ぼん てあし てあし てあし ぼん
てあし てあし てあし ぼん てあし てあし てあし ぼん“ 徐々に加速していくピッチ。「てあし」の後に「ぼん」で一区切り。高まる回転数。しかし熱情を表すにはこのセグメントがまどろっこい。では「ぼん」を抜けばいいではないか。丁寧な改行と句点で整えれば別段良い文章となるわけではない。そもそもこれは歌詞だ。詩とはフレームの内にも外に巻き付く濡れた鱗のようなものではないか。
「ぼん」を抜き「てあし」を都合12連呼。可聴域及び声発に安全マージンを残した範囲内で、尚且つ一度限りの絶唱に終えず、耐え得る再生声可能な歌唱速度。持続性あるピッチ内にて過給的速かにターボかかった「てあし」でオーディエンスの情感を最大に圧縮。大絶頂に達したうねり。あとは点火するだけだ。上死点をプラグインさせる情咽。
”徹底的に て あ し!“ 「ひらがな」「カタカナ」「漢字」と三種も言語があるややこしい日本語の文字表記がここで活きる。食いやがれ三位一体ジャパニーズ文言パワーを!
幼児向けなれど歌詞の一部を漢字表記とせざるおえまい。旋風のように立ち上がり、ぐるんぐるんと回転し始まった楽曲はここで唐突に終える。開けた直線道路でふと踏み込みたくなるアクセルと似た結末だった。
著述表記のため私の心内を些か説明過多となったが、それらを省きこれが頭の中で再生されている。
幼児向け体操曲の歌詞に特別な意味はないであろう。曲調と極限までに単純化された歌詞の強度は屈強。40年以上の刻を経た久方の出会いは、私の中に強固なジュークボックスをインストールさせ、それを削除するのにはどうやら頭を工場出荷状態。つまりお母さんと一緒だった頃にまで戻さなければならないようだ。頭にへばり付き、様々な場面で頭の中で再生され、解像度を上げ表すならば、五感と一体化してしまった。鳴り始める誘因には思惑があるようで、記憶を手繰ると顕著に再生が始まる。考えることと記憶の何かの領域は重ね合っているのだろう。自分ではどうすることも出来ないのだ。
どうすることも出来ないといえば、それをやらなければ不調を来すことが人にはある。各々その対象が複数存在し、ある部分は重なり理解出来、ある部分は相見えず理解出来ない。ある人にとっては別段それを行わなくとも生涯困ることはないのだが、ある人にとってはそれを行う必要に駆られる。依存、執着ともいえるその強度。
西村 一成(にしむら いっせい)は凡そ20歳ごろから独学で絵を描き始めた。義務教育を終え、美術専門でもない者が絵を描くということは存外に多く、風景、静物、抽象まで名を知られていない画家による作品が街の美術館や公民館などでひっそりと展示されている。元々は音楽家を目指していた西村だったのだが、上京先にて精神疾患を患い道半ば夢を諦め、郷土に戻り暮らしを変えざるおえなかったそうだ。
といった氏の存在を知った切っ掛けはNHKのETV特集『人知れず表現し続ける者たちIV』だった。画面を通して見た絵は暗く、正直にいえば私にはよく判らなかった。それから数年後、2024年に岡崎市美術博物館の企画展『ひらいて、むすんで』で、ふと足が止まる巨大な絵画作品があった。
『不幸よ不幸、幸せか』
2006年
暗いのだが薄く青く乗った色と二人の人物からブラックカルチャーのグラフティーの匂いが。顔面という平面には五感あり。口元はチャックの務歯形状。キャンバスの高さは凡そ私の身長と同じくらい。心が大きく揺れるわけではないのだが、作品を前に腕組みこれを長く見続けていた。
一頻り鑑賞後、背景の暗い青はカメラで撮っても表れ難いと判っちゃいるが数枚シャッターを切る。資料用に作品脇のキャプションを撮影する際にこれが西村一成の作品だと知る。他にはテレビで目にした作風の物も展示されていたが、氏の作品の中でこれが群を抜いて良く、企画展チケットデザインに使われていたのにも納得だ。
その西村の絵画作品展が碧南市にて開催されていると知った私は車を走らせ「てあし てあし てあし ぼん」と、歌い始めると……直ぐだった。
・碧南市哲学たいけん村 無我苑 現着
みっちりひっそりとする住宅街に突然平家の旧日本家屋様の建築物が現れる。中に入るなり絵画展は始まり、画布に情感を徹底的に塗った色の重なりが目に入る。それは楽譜を一枚の長方形の中に同時間的に全て塗ったようなもので、別ではキャンバスのフレームをへし折り曲げ、平面であるが立体に脱しようと試みたプログレッシブな作品もある。作家が自分のらしさに飽き、それを越えようと踠き足掻く過程のようにも見える。そうした過程を越えた、もしくは登坂を止めた中で残るものが「らしさ」と形容される作家性なのだろうか。
では西村の「らしさ」といえば何だろうかとふと考えた。「情動」ではないだろうか。これは唸り声を上げながら描く姿をテレビで観た影響が大きいことを自覚している。それとこの「情動」には自分のやりたかったこと。目指していた先を諦めたことも含んでいる。
「夢」や「希望」と自分の適正が一致しないことは多い。好きなこととやっていることが一致する者は少ないのだ。若さとは自分に無根拠な自信と概ね疑いを抱かず、違いは実行するかしないかでまず分岐するが、結果を認めざるおえなくなる時期に立たさられることに収束するものだ。
西村は音楽の夢を諦め、心病み、残ったものが絵画制作だったのかと私は想う。更にいえば別段絵でなくてもよいのではないか。病気が先か特性が先かは氏の日常から過去をつぶさに知らないため判らないが、毎日の中で拾ってしまい、気にもとめず流せないそれを表すことで色々と面倒な毎日を過ごしているのではないかと想像する。つまり現す行為がどうしても必要になるのだろう。
ルイス・ウェインという猫をモチーフに描いてきた画家が居る。今も昔も残念な奴は居てルイスは騙され、過緊張が続き遂に精神を患うが、それでも描き続けた。
「猫」というモチーフを好み、過去の戯画化から転じ、病気を堺に次第に猫という特徴を昇華、いや単離だろうか、常人では思い至らない何かに変わっていく。脅迫間念的に敷き詰め繰り返す模様はフラクタル現象のような増幅。配色は南洋はバリの神話に見られる極彩色。ただの猫が神獣バロンと鬼女ランダの永遠と終わりなき闘いを抽象化化のように荒々しさと、狂気が生み出す美しさを見せる。
統合失調症の特徴といえば取り留めもなく幻覚に飲まれ、喚き、怯え、怒り、など喜怒哀楽を脈略なく表す者を思うかと想像するが、終始狂気に身を置き続けることは出来ない。べらぼうに体力を消耗するためだ。全力で走った後にどうなるかを想像出来るかと思う。
狂気が過ぎた後に現れる荒れ野。荒涼とした静寂を陰性症状と呼ぶ。その対岸には狂気の陽性症状がある。気が狂えば作品になるのか? いいや、違う。狂気の中では理路整然とするのは大時化に浮かぶ船の中で裁縫を行うのと等しい。病気を抱えた作り手はその狭間に作るのだ。それは常に中央ではないだろう。美術というのは懐の深いもので、乱れにも美しさを見出す。その点、平常心を失した中で書く文章は読めたもんじゃないあ。支離滅裂で他者の理解を得れるようなものにはならず、詩には自由さを感じる。
西村の描く色や線の太さは荒々しいのだが、そこには寂寞とした匂いがしていた。喪失した後に造る者にはどうしても残るのだろう。
私は車に戻り「徹底的に て あ し」平板に歌い哲学体験村を後にする。結局、残ったものでやっていくだけなんだ。
⭐︎参考資料
『ぞうさんのあくび」
天野勝弘(号令) 、ブレッスン・フォー(歌) 、東京放送児童合唱団(歌)
作詞: 遠藤幸三
作曲: 乾裕樹
(2分55秒)
<日本コロムビア COCC-6616>