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妖怪と宇宙広しプラネタリウム100周年

写真は「一角獣図」

 宇宙広しとは蓋し推量である。何せ星月夜に瞬く星までの距離は光の速さで数年という代物でざら。 例に『いっかくじゅう座 V838』を取り上げてみたい。そのビジュアルは特撮ヒーローの胸部に埋め込まれた中のような星雲。その距離地球から凡そ2万光年。もう滅茶苦茶である。
 2023年12月31日にこれを書いておりますが、西暦が始まるやいなや「光あれ」と、光速に達したとしても未だザ☆いっかくじゅう座に到達出来ないのです。2023年を十倍にしてやっと20023年。小学生の頃、何方が大きいかを競う言葉合戦がまま生じるもので、億や兆そして京《けい》と、べらぼうな単位の物言いが取り出されることがままあります。実感の無い数値とは虚勢を張ることに他ならず、2万光年の2万は、本当に遠いんだなと思わさせられるよい塩梅の値。
 もっと身近なところで例えますと、仮に地球に似た二条城系外惑星というものが10光年先に見つかったとしましょう。光の速さで10年。10年掛かります。往復すれば20年。子供が立派な成人を迎える期間を移動し続けなければならない。
 10年前の自分がこの先を予想し、当たったことがどれくらいあっただろうか。目的に向けて日々努力される方には何らかの結果が出るかと思いますが、それ以外の何気ないことで予想出来たことがどれ程あっただろうか?
 次に自分という枠に捉われず社会、もっと大きな世界について想像予想し、その範囲に収まったことは如何程あっただろうか?
 次は逆に考えてみたい。過去を振り返り2010年から2020年に起きたこで、予測し的中出来たことがあっただろうか?
 2019年 新型コロナウィルス禍に世界が包まれ始まった頃、私は大したことはないだろうと思っていたが、日本の有名なコメディアン、志村けんの死を切掛に「あれ? これ……不味いんじゃ……」ないかと思うなり、世界はあっという間に新たな病原菌が広がり、対策不手際を誰かのせいにすべく生贄が求められていった。世界が繋がった社会故ということは発生した後に語ることは出来るが、発生前に誰がこれを予見出来ただろうか? 
「疫病も怖いがその後が怖い。不平不満に火を着けて回るものが現れるであろうから」ということを別記事に書いたが、これも発生後から想像できたことであり、何処何処国の何処何処までと精密に想像することは出来ない。何故なら普遍的なことに基づき考えていたため。
 2022年 ロシアによるウクライナ侵略前、軍事学者がロシアの演習が怪しいと口にしていたが、私はどうせ示唆行為で終わるものだと思っていた。実際にどうなったかは概ねの方が知られていることかと思う。

 世の中には人が想像出来る範囲を超るようなことを考える傑物が現れたりもするが、論理や考えが突飛に脚立されたわけではない。相対性理論という論理も物理科学の地続きその延長線上に考えだされたことである。
 今地球上で問題視されていることの悪化を予想することは容易く、良い兆候が見えないことに嫌気がさすが、私が年の暮れに伝えたいことは悲観することとは逆である。
 この先10年において未だ見えていないことを問いとして設けることは出来ない。何故なら誰も想像出来ないことに悩むことは不可能であるため。よって、どっこい生きていく。
 昨今「成功」ということに飢餓的に気が滅入る程、希求される方がおられますが、そもそもその成功が何を指すか自覚的だろうか?
 私の成功の定義は自己研鑽による獲得するものであり、打表的なところではプロスポーツ選手が分かり易いかと思います。年棒や得たベルトの本数という結果の背後にこそ想像する余地があり、飽きることなく続けた毎日があるはずです。それが羨ましいかといえば「大変だろうな」というところです。
 他人のものを掻っ払うことや、金が金を生むようなことは成功ではありません。
 才能がない。将来の不安。27歳から私はこれに苛まられ続いておりますが、その時に何かを書くことなどは微塵も思いもせず、大晦日にこうして何かを書くことなど、どうすれば想像出来ようか。
 繰り返しますが10年後を想像出来ないことに思い悩む必要はないんです。やれることを粛々と続けていくことが10年後に繋がると信じているだけで、私は成功したなどと思い違いをきたした訳ではありません。
 予期出来ないことなどは五万とあり、あ、やっぱ2万と光あり、影もさすこともありますが、それは2023年10月09日 スポーツの日に起きた。
 祝日のこの日プラネタリウムでも観よかなと検索したところ……。
「こ……これは」

『ゲゲゲの鬼太郎 河童のテラフォーミング』 ド肝を抜く特別企画が三日間限定で上演されるとのこと。俺の肝わし掴み。
 ビジュアル系スペースノイド河童と火星を背後にし、眼球の父親と影の匂いがするちゃんちゃんこ姿。小学生ごろの設定だったかと思うんですが、気付けばねこ娘は「ちょっとエロ過ぎやしませんか?」妖艶を増し、胡散臭いネズミのバイヤーも居たりと何時もの面構えと女児。そこにJAXAと書かれた作業着姿の男性。そのポスタービジュアルに腰をいわされ、車に飛び乗る。 

・プラネタリウム 現着
 月の1000倍向こうの遠い火星まで人を打ち上げると何かと大変なため、JAXAは日本独自の解決策を打ち上げた。それは河童だった。
 JAXA UMO課職員 山本は胡瓜の一本釣りで河童を釣り上げようと試みたが、金の匂いを嗅ぎつけたねずみ男がいつもどおり擦り寄り、物事を悪化させる。そして実際に釣り上がったのは特別プログラムを見に来たキッズとその親。あと俺。

・判ったこと
 プラネタリウム誕生100周年
 水木しげる生誕100周年
 乾燥したわかめは増える
 乾燥した河童は戻る

 私が思う恒星間移動の正体とは、直線上の考えに帰結する先には必ず破綻するものです。何故なら光の速度に加速するまでの時間とエネルギー。その間の船体の保守点検。無限に続くような変わり映えしない世界に人は耐えれないため。
 遠い遠い先に向かう間、何世代かの交代が行われればまだましな方かと思いますが、和足は権力闘争が勃発し、いざこざが重なり派閥争いから内戦が船内で巻き起こり、そして誰も居なくなり、宇宙船は人工的な箒星に至ることを想像してしまいます。遠大な宇宙を移動していても、そこに人が居る限り地球上で起きていることが宇宙船の中でも必ず起きるはずだから。
 船員100名の内2名の男女だけが生き残り、惑星へ到達。惑星内の生物調査、細菌やウィルス、気候変動。種苗が育つのかなど、入植に向けてやることは山ほどあるが、圧倒的に人の数が足りない。暮らしが安定するまで船の中に生活を構えるのだろうが、テラホーミングとなると船は自ずと巨大化しているであろう。それを保守点検するには相応の人が必要。だが道中に大半は死んでいた。その上でそれがいつ迄保つのか。
 人要因で起きることは歴史を振り返ることである程度の推測を立てることは可能だと思いますが、全てを想定することは出来ません。判ることとは人が宇宙に影響を及ぼせれることは限られることぐらいであります。
 移動とは即ち時間であり、同じ場所に留まるか、遠くへ動くかの違いはあれどそこに経過する時間は常に流れている。10光年先に達してみてれば、恒星の顔色は赤色化してるかもしれません。10年前の光を目にし10年後の向こう側の現在を正確に予測出来るだろうか? 到着してからが始まりだが、始まる前に終わっていたことも起きるだろう。これは10年後の自分、10年前の自分がどうなるかもわからないことと同じかと思う。
 グリット上にないグリットで移動する方法が確立されてから恒星間移動が成り立つのだと私は確信しています。それは嘘出鱈目から生まれるものではなく、これまでの科学の延長線上にしか成り立たないことだと思います。
 移動する方法、物の考え方が直線的である限り必ず失敗することが予見出来、機能を限定した自己完結型な探査衛生などならば、直線上の考えと移動に基づき結果を得られるかとは思いますが。

「10光年」という凄まじい大きさの単位ですが、これを各々が実感を持ち、認識できるものに変更しすれば、地球内で暮らす自分に関わることとして読むことが出来ると思い書きました。

 来年が私も皆様も継続出来る年であることを願います。

 以上

☆参考資料
木しげるの世界の妖怪画展 「カンフュール」原画
*水木先生ならびに水木プロの皆様、甘えさせて頂きます。ごめんなさい

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