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ひらいて、むすんで展 縦糸と消えた片っぽピアス

写真は「前衛取締官」

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2024/06/20 初稿
2024/06/25 追記予定
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 2024/05/05(日) こどもの日
 柿若葉 書き付け花よ 夏の前。日差しは目庇まびさし、季節が夏に移り変わったことをサングラス越しに知らせている。私は山を下り、墓場を過ぎ、再び山に上り、再び下ると……直ぐだった。

・岡崎市美術博物館 現着

「いつもと違う反対側の道路も素晴らしかった。十分な道幅と緑。疾走とはこういうことなのだろう」入館後、受付の女性に伝そうえると「脈略なく話しかけれてすげ怖え。兎に角エスカレーターはあちらです」と、図指ずしっと二度素早く指差され、慣れた調子で下に降れと促される。素直に従い、進んでいくと……。
 国島 征二(1973~2022)
 『FUKURO』
 1973年
 紙 / ウレタン / 塗料
 エスカレーター前にぐにゃりと歪んだモノリスのような、紙袋を黒く塗ったような巨大なモニュメントが。材質はウレタンと書かれているが、大きく、重量を見る者に感じさせる。じっくりと見たいのだが、五分後にワークショップが始まる。「急がなきゃ」エスカレーターを転げ落ちるように駆け落ちると……直ぐだった。

・岡崎市美術博物館 受付 現着

「13:30の時間に合わせて?」「うん」 顔見知りの職員さんと久々の再会。嬉々とした声を互いに上げ、久々の再会に声色は数ターブ程に高まり、私は照れという合併症を誘発させた。
「偉い!」と素早く褒められ「へへ……ジャズ」鼻下をズキュズキュやってコインロッカーへ向かうその道中、ワークショップはもう始まっていた。急ぎコインロッカーに荷物を投げ込み、掻きむしるようにロッカーキーをズボンのポケットに弄り入れ、ワークショップへログインする。
『破ったり、つなげたり描くことの不思議さを体験しよう』のサーバー管理人である学芸員さんから、「汝、好きなアイテムを選べ。今日は祭りだ。じゃんじゃんやってくれ」初めはは中世っぽかたっが途端に夏祭りの雰囲気で、千切られた紙群の大盤振る舞い。その中から「ええっと……AEONの茶色い紙袋。君に決めた!」これを手にし、机に向かう。
「うぬが求める力はどれか」ずらっと並んだ各種ペンから「ええっと……極太マジック。君に決めた!」むんずと掴み、レ点の払いを流線型にしたNIKEのロゴに近いそれを連打。「邪教である」と呟き、只管ペンで連打していると発酵に似た酩酊感に包まれていく。
「ボルペン vs 俺」 小学生の頃の戦い。内容はシンプル明瞭。ポールペンのインクをコテンパンにしてやりたいという純然たる思いを動機に、インクが切れるまでノートに走り書く。紙は撓み、ノートからボールペン独特の匂いを放ち始め、ビジュアル的に残るは透明な液体だけ。しかしそこから先がまた長く、書いても書いてもまだ書ける。「しぶてえな」 そんなことをありありと思い出し、レ点を連打していると茶色い紙袋は黒ずみ「出来ました!」と、作家に渡す。
 千切れた紙片を受け取り、慣れた手つきで糊を塗っては貼っていく姿に「職人のコピペ」なる言葉を思い、眺めていた。私は作成過程に重きを置かないが、作家の作成中の姿と、各紙片が組み合わさり形になっていく様子は飽きることなく見ることが出来た。徐々にワークショップに参加する人々は増え、彼らに席を譲り作品鑑賞へ向かった。その中から一部を取り上げ、三話に別け記載する。

・第一話 グロッタ グロッテ ほら、穴よ

 三科 琢美みしな たくみ (1981-)
 『変容するグロッタ』
 2023-2024年
 ペン / 鉛筆 / 紙
 『線の起伏』
 2024年
 ペン / 鉛筆 / 紙 / 澱粉糊
「グロッタとはそもそも何だ?」ということで作品を前に検索。古代ローマ。西暦64年ネロが建設を命じた人工洞窟Grotta内の装飾を指すとのこと。16世紀にラファエロ(忍者タートルズだとサイの使い手)が「ほら穴の中がすげえ」ということで、バチカン宮殿内の装飾美術にこれを用いる。「偉大なるローマよ再び」ということであろう。いうなればイタリアのサウダーヂだ。
 郷愁に駆られし先は豪奢なローマ帝国時代。枯れた山水の極北、山の内部に源泉描き流し。憂いなし。サンサンスーというところだろう。神話や化物や草文字を濃密に施した装飾は「マジ受けるバブリーじゃん」とことんにサービス過剰。ピザで例えるならばDXコンボを超えるフラッグシップメニュー開発のため、世界中からかき集めたチーズを盛り合わし、写経された豆腐も和えることで西洋から東洋までを世界地図に見立てた「メルカトルDXピーザ。スターセット。ハリウッド☆座」ということに成ろう。
 想像して欲しい。お誕生日に全部盛りしたピザ。異常な質量を保ったデリバリーピザの箱の重量と、油染みを。
「うわ、グロい!」 そう、グロテスクの語源となったのがグロッタだったのだ。濃密な書き込みは応じた情報量に。見る物の処理能力を上回り、忌避的な反応を示す。足し算型のサービス過剰が齎す禍々しさが「グロッタ」の系譜ではないだろうか。
 では、三科による作品はどうかというと、紙に書かれた線から色を引き、モノトーンに近い。それら紙編を切り貼りし、作品の大きさも相まって唯の線画が密集するとやばい何かを発酵し始め、舞台、もしくはフィルム時代の映画のセットのようにも見えてくる。質感は火山石のような、ゴジラの肌のようでもあり、全体像は増殖する細胞のようにも見える。
「神は細部に宿る」といわれるが、三科のペンと千切った紙により造られたそれは、邪神である。祟られ、洞穴の中で石化したようにも『線の起伏』は観る者に物語を誘発させ、書きたい病の初期症状、SNSへの執筆に傾く。
 ザ☆現代建築物である岡崎市美術博物館内にゴシックのマナ、ダークサイドが立ち上がり、バットモービルがよく似合う。
「ふふ、らしくなって来たな」 顎手を摩らずして何をさするか。

 額田 宣彦 (1963-)
 『Shelf(01-1)』
 2001年
 油彩 / MDFパネル
 鮮やかな黄色を18x18の枡枠線で区切り、その一つ一つに異なるパースを描く。ただの直角の線が平面を立体に変える西洋の価値観を突き詰めたメタモルフォーゼ。少しづつ異なる平面に324の奥行きは、見る側に安定感を覚えさせる。
 作品とオフセットするように『変容するグロッタ』を視界に取り入れ同時に鑑賞することが出来た。鮮やかな黄色い平面にプリミティブな三次元の奥行きと、その奥では限りなくモノトーンに近しい紙を繋ぎ合わせた立体物。両作品は凸凹の関係になりコントラストを際出させる。

 2024/05/18 (土)
・第二話 アウトサイダー アウトサイド

 この日もワークショップにログインする。『コピー機を使ってつくるラミネート下敷き』サーバーにログインする前に『みんなでつくる! 毛糸をむすんでつなぐインスタレーション』に参加。青色と黄色の毛糸を一本づつゆづり受けコインロッカーへ向かうと……。もう、やってた。
 ワークショップ傍に設られたベンチに腰を下ろし「俺は冬期オリンピックの北欧の選手だ。ボブスレー開始前に心落ち着けるため今は編んでいる」と、毛糸を髪結のように交差させていく。視線の先にはNHKのTV番組『no art, no life』で目にした井口直人、本人が居る。自らの顔を複合機でコピーし……と、氏のプロフィールを頭の中で回想中、それは突然始まった。自らの顔を天板上に乗せる井口の姿を目にし「TVでやってたやつだ!」と、慌ててシャッターを切る。その後も井口は何かを思いついたかのように突然コピー機に顔を埋めたかと思うと、ふらりと何処かに行き、気づけば戻って来るを繰り返す。氏を見守る「さふらん生活園」の水上明彦さんと話す機会に恵まれた。
「井口は少し前に体調を崩し入院していたんですが、病院でもコピー機を探し、知らない土地に行ってもまずコンビニのコピー機を探すんです」
「ああ、成る程。成る程」
「週末たまたま街で出会うと学校の先生と会った生徒のように白々しくなり、もう数十年一緒に居るのに、まだその距離感なんだと」水上さんは笑いながら口にした。ワークショップ参加中の人々を見る井口さんの距離は独特で、その立ち姿も合わさり、どういう感じなのかがありありと想像出来た。
「成る程。成る程」と相槌を打つのだが、私の頭の中には「俺もそう見られてるのかな?」と、ややむず痒さもある。
「私もコピー機を使った何かを幾つか考えますが、井口さんを知った上では彼の模倣にしかならず、今は選択肢にはないです」痒みを抑えるには考えを変えろ!
「いやいや、全然使ってくださいよ」と、水上さんは続ける。「元々そのアートとか、そういうことはなく、続けていたら周りから『アートだ。アートだ』と言われ」と、屈託のない笑みを見せる水上さん。氏と立ち話中、井口さんから見られていることをよく感じた。それ以降、目が滅茶苦茶合う。ギラっとした眼光は鋭く「あ、ここ座ります?」と、空いているベンチを促す声をかけたが、何処かへスタスタと行ってしまう彼の背に、水上さんが言っていた独特の距離感とはこの先にあるんだろうなという想いと、同時に日課になった人の持論を思うのだった。
 何かが日課になってしまうと人はマシーンに至る。これは「アーティスト」という独特な肩書きに限ったことではない。例えば会社を勤め上げた方が定年後に体調を崩すというのも日課の証、日課の功罪であろう。
 私が巡り合った日課は文章化することだった。望むとか望まないとかではなく、そうなってしまった。元々は健忘症と罪業妄想に苦しみ、たまたまiPhoneのメモに時分毎に何処で何をしていたか記録を残すことが習慣化し、すると邪悪な罪人の妄想は治ったが、代わりに書かないと死ぬ病に罹患した。しかし、書くのは面倒い。そこで写真を撮り、合わせて記録するようになると「うお、すげえ俺ここに居る!」素早さを増す。が、結局書くことには変わらず、これはほぼ呪い。
 井口さんはたまたまコピー機を使い排出する行為と巡り合い、私にはその行為は「写真」のように見えるが、これは自身の投影でもあることを自覚している。
 場に漂っていた緊張感は次第次第に解きほぐれ、二本の毛糸を結いながらコピー機ワークショップで私は何が出来るかを考えていた。自分の顔を出すことに「俺俺っ」とした恥を覚え、自意識の防護ネットは頭を包む。「では何か物を複写しよう……。ええっと、例えばサングラスとか」そうしたアイコニックな物で語ろうかと思ったが「だったらアホ面出しゃいいじゃん。結局自分の顔と、井口さんのやってることの模倣から離れてないんだし。めんどくせえなこのアホ」と、自分に自分で思う。毛糸はちっともまとまらず、ここに居ても考えが浮かぶ気はせず、リサーチのため作品展示室に足を運び、考えを練ろう。入室前に結ぶのがムズくなった毛糸を職員さんに預けた。

 井口 直人(1971-)
 『Untitled』
 2010-2024年
 コピー用紙
「これだ!」井口を紹介する動画を目にするとヒントがそこにあった! 氏はどうやらブールス・ウィルスを好むようだ。
「素晴らしい。素晴らしい」 私は興奮し、宮田明日香、作品前のベンチシートに腰を下ろし「ダイハード ブルースウィルス」と検索。
 狙いはこうだ。俺は映画『ダイハード』が死ぬほど好きだ。特に『|死ぬほど死ぬほど大変ダイハード2』を好むが、ここは自分の好みをグッと抑え『ダイハード』から画像をセレクト。何故ならば1はオリジナルの換喩であり、井口を1に見立てブルースウィルスを取り入れることで敬意を示したい。いい感じのジョン・マクレーン刑事の画像が幾つか見つかるが、映画『死ぬぬぬほど大変ダイハード3』の画像である。人種の垣根を超えて悪党をぶちのめし、映画『ダークナイト』にも影響を及ぼした名作であることに疑いの余地はないが、今は「ワンだ1。しゃやんな」と、独語を漏らし、周囲から悪目立ったが構うものか。「ええっと……ジョン・マクレーン! 君に決めた!」 空調ダクトを這いずり回る画像を保存し、これをどう組み合わすかを考えながら再び歩き始めた。

 真坂 亮平 (1980-)
 『彼女は、ダイアの入った揃いのピアスの片方を、ここで亡くした』
 2024年
 インスタレーション
 展示室から凸型にはみ出る矩形は確かにインスタレーションだ。ピアスが落ちているという状況を空間を内に造り、困っている人を助ける日常の一寸した善意を鑑賞者の好奇心に置換させ、探すことを促す。こういうのは好きだ。賢いおかしみというか、しかし、インテリにしか伝わらない表し方ではない。広く誘い込む優れた広告に似た罠的な作品。
 『1粒のパールはこの街のどこかにある』
 2024年
 インスタレーション
 岡崎市美術博物館から撮影した風景だろうか、丘の向こうに見える街の写真に命題することで空間の間口を広く撮る。写真とは撮影者の見ている角度に応じた切り取りでもある。つまり写真と空間を切り取るインスタレーションは似ている。この作品単体だけでは伝わり難かったであろうが、ピアスを探す作品が鑑賞者の導線となり、この作品に上手く繋げられている。そして本作も美術館展示室から飛び出した場に置かれていた。

 ピアスを探す親子と警備員の後ろ姿を目にし、片手に握ったスマートフォンのジョン・マクレーンを見比べる。
「これだ!」 画像と自分の顔をただ並べても面白くはない。ここはネットポリスに誤認逮捕された俺という主題を組もう。詳細はこうだ。俺が書いた文章を改変したトンチキ野郎が調子に乗り、オリジナル面を始める。そいつは権力者と結託し、過去に批評を受けた腹いせか俺に「盗作」の濡れ衣をかけ、逮捕された場面。
「ほんとクソ! ネットもポリスも!」後にラップのリリックになるであろう体験を経た。そんな場面である。また正面を向きダクトを這いずるジョンと、横顔の俺。異なる角度を平面に収めることが出来る。コピー機は写真でもあり、コラージュでもあり、キュビのピカ公が存命なら見せてやりてえ気持ちが高まっていた。
「これで行こう! これだ!」ワークショップへ急ぎ戻ろう。
 学芸員さん達に自分が何をしたいか、何かを仕掛けてこない限り私は突然暴れることはないですし、警察批判は本意ではなくモチーフだということを伝えると「やや説明過多じゃん」と言われたが「でも、それが俺じゃん」と交わすことで奇跡的に承諾された。
「よしやろう!」 スキャナー天板上に「このクソ悪党。てめえには黙秘権がある。弁護士を雇う権利もだ」と、とっちめられてる風に顔側面を押し付ける。結構恥ずかしいが、こういうのはやるとなったら勢いが大事だ。周囲の皆さんも嬉しそうだったよ。
「では行きます」と、学芸員さん。
「あいあい、やっとくれ」の声に呼応し天板に捜査線が走る。これも刑事にかかってんじゃん。素敵☆

・今日判ったこと
 コピーされると結構暖かい。

 出来上がったそれは二部印刷。ほかほかの採れたてのコピー紙の一枚が熟練のラミネーターにより急速加工されていく。出来上がりを待つ間、皆さんとしばしご歓談。
「弟が母親にはがいじめにされ、博多弁で待ちなさい! と言われていた時を思い出す」という批評もあった。流石美術関係者だ。例えが良い。やった甲斐がある。場は良い空気で充填されていく。
 そこに丁度よくふらりと何処から井口さんが舞い戻ってきた。これぞグルーヴだ! 良い演奏になることを確信し、名作が誕生する瞬間はこうした肌触りなのだろう。周囲をポジティブな空気が包んでいることが、皆が一つになっていることが、凄く判る!
「井口さん、これ」と、ラミネートを手渡し「へへ、これ。俺のジャズ……」鼻下をズキュズキュやる。井口さんが正面なら私は側面だ。多面的な視点を複合機の平面に落とす。写真をiPhoneに写し、スキャン画面に自分の顔を移す。これは写真だ。データーでもある。ジョン・マクレーンはライターでダクト内を照らし、それは此方を向いている。異なる考えを照らす隠喩も。申し訳ないが自信で満ちている。練りもいい。ライブ感もある。皆も井口さんが気に入るだろうと期待と勢いで美術博物館は満ち満ちている。

「こ……これは」

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