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おかざきアートのるつぼ2024に出展しました

写真は「アップサイクル」

 昨年応募したおかざきアートのるつぼに写真を出展いたしました。
 昨今の日本の夏は鳥肉の蒸し焼き前、下処理のような日々が続き、籠鳥ろうちょう雲を恋うように秋が早く訪れないかと願っております。

 作品名:気配 暮れ
 写真 キャンバス
 2024年
 作品解説:2022年に応募した夏目漱石俳句フォトに応募した写真と句は見事に落選した。
 応募時に解説を送付したのだが、メールに送られてきた「早口言葉?」という句評は疑問系だった。
「こいつはバカだと思った」私はこの句評を送信した担当者の額に目掛け将棋の駒を力強く投げつけてやりてえと思った。それこそ夏目漱石らしいではないか。尚、使用する駒は「銀」を想定している。
 しかし、そんなフィジカルな行為は昨今咎められてしまうものだ……で、あるが……ふと思う。
「これは面白いことになっているのではないか?」この経緯も含めこれは良い作品になるという思いが湧き立ち始まると、眉間の皺はひたひたとにまにまとした笑みに変わっていく。
「これはいいぞ!」 ということでキャンバス用に写真を調整し作成。下記に句を掲載。

「鳥は柿 子取りとりなし 父噤み」
(とりはかき ことりとりなし ちちつぐみ)

 句の背景:大正四年11月7日 英文学者で俳人の大谷繞石から夏目漱石宛に柿が届く。
 漱石は大谷から事前に「鶫(つぐみ)」を送ると聞いていたが、開けてみれば中は「柿」である。
「鳥が柿に化けた」と驚いているところに別途「鶫」も届き漱石は二度驚く。
 書斎に戻り添えられた手紙を読む。「庭に生った柿を大谷が木に登り採った」とのことだ。文を読み、木に登る大谷を想う漱石。そんな柿ならばと妻鏡子に「おい、柿を持ってきたまえ」と口にする。
「あら、もう子供らがすっかり食べましたよ」

 句の中に関わる秋の季語は二つ。「柿」と「鶫」を同音意義語の「噤み」に置く。
 二つというのは「大谷繞石と夏目漱石」「鶫と柿」「父と子」「私がその時の漱石を想う」という二対の関係性にもあてている。
 想像とは頭に思い描くことで、それは決して他者と具象にし共有することはない。それは気配と同質であり、感じとるということは大変個人的な体験である。それを公共の場で作品を前に複数人が察してもらえれば、個人という枠を越えれるのではないかと想っている。「作品と観る人」も二対の関係にある。
 写真は「大谷の手でもあり」「夏目家の子供らの手でもあり」「漱石が手にしたかった柿」 記憶と想いは落ちていく。
⭐︎出典:夏目漱石、届いた柿を子供にすっかり食べられて残念至極。【日めくり漱石/11月7日 サライJP (Webサイト)
⭐︎俳句フォト 夏目漱石の旅 第七期 2022/12/22創作部門に応募

「おかざきアートのるつぼ2024」
 2024年8月24日(土曜日)~9月1日 (日曜日)
 10時~18時 (入館は17時30分まで。最終日は13時終了)
 ※8月26日(月曜日)休館
 場所:岡崎市美術館(明大寺町)

 以上

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