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なめらかに干しさ祭り⭐︎ in 丈山苑

写真は「遡上」

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2023/11/03 初稿
2023/11/04 加筆修正
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 遡るとは反転であり、反転を意味する英単語は"Reverse"と、綴られます。ではこの綴りをひっくり返せばまた違う言葉に、例えば「正転」などと上手いこと転がるのかと思い立ち、試してみたところ、綴りは"Esrever" 結果、該当する英単語はこの世に存在しませんでした。
 遡るといえば「鮭」だ。鮭が遡るのは「川」だ。川を意味する"River"をひっくり返せば、その綴りは"Revir"となり、一見それっぽい感じもしますが、しかし、これにも該当する英単語は存在しません。
 が、拗けるのはまだ早い。電子辞書は私に文言"Reverie"を俎上し、川筋はやや変わってしまうが、反転という文言を転がたとしても元に戻らないことのように、物事は変わり続けるものである。"Reverie"という単語が意味することは「夢想 幻想 空想」とのこと。
 空想といえばファンタジーだ。ファンタジーといえば伝説の名作、ゲーム『ゴールデアックス』を想い起こすであろう。ベルトスクロールアクション、左から右に波寄せる悪党どもを自慢のウェポンでぶちのめす全6ステージ。当時流行っていたファンタジー映画をぱく……から強く影響を受けたであろう本作。筋骨隆々のロングソード使いは後のカルフォルニア州知事を懐もわさせ、男女平等に即し女性キャラは、白を朱で縁取るその布面積はマイクロ。髭? 勿論居ます。戦斧の使い手は翁。これら三名から操作キャラクターを選ぶ。幼少から忍者と爺いに惹かれる私はいつだってギリウス爺さんを選択し、繰り返し遊んだものです。
 ゲーム世界は実に物語的。山場と山場を繋ぐステージ間にはボーナスステージが拵えられ、主人公の寝込みを毎晩襲う青と緑の小さな盗人ども。青をどつけば魔法のポーションをドロップし、緑に焼きを入れれば焼き上がった肉を放出し、これを急ぎ奪取する必要がある。時間制限もあるが、それ以上に私はプログラムされた敵と、兄というプログラムと競う必要が常に生じている。
 緑の小悪党が落とす肉は傷ついた体力を回復。持続性を失いつつある私はこれをかぶりつきたいが、無傷であろうともお構いなしに喰らいつく兄。魔法のポーションも上限いっぱいだろうと奪われる。
「HP10/100 MP0/常に」 ゲーム側が設定していない難易度下に置かれ続く私がアイテムを取ろうものならば、唸り威嚇のち痛打を喰らわせられる。それでも負けじと私は奪取する。こうした私史背景が理不尽な上下関係に憎悪を募らせ、二正面戦を連日繰り広げたことで、戦士化していくのはごくごく自然な流れ。
☆残念なことに、対戦協力という名ばかりの嫌がらせが実装されたゲーム全てにこの図式が当て嵌まっていった。学ぶべきことは「悪党は善意で偽装し接近してくる」ものだ。であります。

 ゲーム内に登場する生き霊、青いドラゴンや赤いドラゴン、あと、なんか尻尾を振り乱す雑魚。私は乗り物も好むため、赤いドラゴンを見つけ次第騎乗する敵を打ち降ろし、奪取後「あれ? ごめん」敵と同時に兄を焼くことは名人級に達した。
 そう、弟というのは幼少期に何かと塩を舐めさせられ、塩といえば必要栄養素であり、食料貯蔵に欠かせない魔法の粉。軒下の持続性可能性といえば日本初の洋画家は高橋由一が描いた『鮭』である。冬季を生き抜く生活の知恵は情景を宿し、軒下の鮭は情緒を放つ絵画と至った。
 では高橋さんは何故題材に「鮭」を選んだのかといえば、当時の日本で「誰でも知っている対象だったから」とのこと。
 それこそポップカルチャーではないか。第二次世界大戦後、文化の中心はアメリカに移っていた。こうして振り返ると、ゲームに限らず様々な媒体からもそうした影響を受けていたことを覚え、メインカルチャーが一部ポップ化、サブもメインもごっちゃになっていったことを伺えられる。
 なかんずく飯と味噌汁。干物と醤油、沢庵という組み合わせは激烈に旨いが、どうしても年寄り臭く感じるものだが、そこの君、ポップとは若者が占有し、彩度輝度高めの糖衣されたものだと無意識に思い込んではいなだろうか。事実、私はそう思い込んでいた。
 ポップとは大衆を意味し、世代年代を限定していない。誰それの思惑により年代が絞られることが頻発しているだけである。砂糖コーティングされたそれらは隷下の一種であり、厄介なことにポピュリズムというものも含み、わかり易さと迎合の分別をつけるためにも、日頃しっかりとした食事を忘れるなかれ。
 高橋由一は日本近代化の端境期、江戸後期から明治を生きた。その時代に隠れキリシタンは別として、洋画のど真ん中、西洋宗教画を題材に描いたとしても理解され難い。何故なら海向こうの文化ゆえ。インターネットもなければラジオもない。新聞はわからないが、TVはあるんじゃない。あ、ない。無いそうです。
 当時の日本人が描く洋画は十二分に最前衛。舶来物であれば、そういう物だと受けいられやすいが、何故かそれを日本人が行うと受け入れがむずくなる魔法が発生する。日本初の洋画家ゆえ、周囲に理解者は皆無。それ故描くだけではなく、他者へ伝える術が一層と必要とされたのだろうと憶説いたします。
 それともう一つ、持論をここに。「食い物と性は強い!」で、あります。生命そのものに直結し易く、TV画面に映る拉麺が長いことを人気を得ていたが、その消費はインターネット以前までは概ね国内に限定されてきた。インターネット、特にSNSは価値観の垣根、地政を超え、互いに影響を与え合い、食事のマナーの差はあれど、土着化した価値観はその裾野を広げ、日本観光に「拉麺」が組み込まれていった。
☆SNSについてですが、それ故ちゃんとした食事が必要です。食事は比喩を含む。

 高橋が干した鮭を描き、時代を超え鮭の絵を立体化した札本彩子 作『鮭s』を西尾市にて観たのですが、作品展示場所も含め笑わされ、文章に起こしたい気持ちは紙粘土を焼いたが如く凝固し、頭の隅々に吊し上げられた鮭、浮びっぱなしで……訂正。鮭、干されっぱなし。
『なめらかでないしぐさ祭』 そんな折に記事執筆中、ビビビっと来た。何が来はったんかというと、岡崎市に向かう道中、気に掛かり続いていた敷地、それを何故だか 「こういう時に火を吹かせると、対象が広がっちゃって、とっ散らかるからダメなんだけど……」 気になり止むことを知らず、頭に「鮭」と「地図」が渦巻いていく。
「ええい……ままよ!」インターネットがやっぱり火を吹いた。検索チェキ

・判ったこと
 武士の地位を捨て、文人となった石川丈山さんが京都に建てはった詩仙堂。生誕の安城市に再現した日本庭園 「丈山苑《じょうぜんえん》」とのこと。
 石川さんは16歳で徳川家康に仕え、色々とありましたが大坂夏の陣に参戦したのは33歳の頃。勇み息巻き敵首を取り、武勲を立てるも「まだ、駄目だってつったじゃん」 突撃指令前にブッ殺しに動いたため、上げた武功は認められず。
 ベルトスクロールアクションゲーム端っこの方でボタンを連打し、画面外の外道を叩きのめす方が効率的だったりする場合もありますが、それを見ている側からすれば謂わば裏側でわちゃわちゃやってるようなもの。「なんか、分かんねえから、ビジュアル的にして」と、視聴者は大変塩っ辛い時間を過ごすことになりますね。
 石川さんは大坂夏の陣以降、周囲からの「家康の下に戻れ」という声を退け、「もう……辞めます」と、武人から文人に生業を変え、34歳から学び直していきますリスキリング。儒学。漢詩。書家。茶人。造園業? 様々なことを汲み、文人として研鑽を積む。
⭐︎それでも武人の名残、今でいうトカレフなどを詩仙堂に備えていたそうです。

 江戸初期、ようやく乱世は終わるものの、大衆文化の爛熟はまだまだ先の話し。今も昔、富士山とはザ⭐︎日本であり、荘厳であるものの、広く認知されるということは、ポップということでもあり、そうした時代の中で石川さんは「富士山」を題材に、漢詩を残していきました。
 再び高橋さんに考えを戻しますと、高橋さんも元は武士の子。江戸後期を生きた高橋さん。石川さんが生きた江戸初期と比べ、大衆文化は爛熟花開き、日本文化本流「花鳥風月」というメインカルチャーだけではなく、朝顔を育てたり、金魚を飼ったりと、なんだか小学生の夏休み感を覚えますが、日々の暮らしのあるあるは噺に育ち、町民文化、サブカルチャーも育まれていきました。そのような中、生活の香り立つ題材を対象に描くというのは、奇を衒ったとは思えません。確信ある狙いかと推察いたします。
 情報通信が物理的で、牧歌的だった時代であるものの、海の向こう神話宗教を題材としてきた西洋絵画が、主題を日々の暮らしに移し、描き手が何をどう観て、何故描くのかと変わっていたことに文化収斂の摂理を覚えます。
☆美術史を精密に学んでいる方から「ちげえわ、ボケ」という声があれば、私は自分に届いた直感のお便りを下に書いているゆえ、きっと、ちげえんでしょう。

⭐︎あ、朝から書いていたらここで腰がやられました。だので後日追記します。
「こ……これは」

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