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白い痰 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン2 その12

「シロタン、高梨さんと仲良いじゃない」

 ジージョさんのその言葉は明らかに俺を冷やかしている。

「そんなことないですよ。高梨は兄妹揃ってあの調子ですから」

「そうなの?あんな可愛い女の子に口の周りを拭いてもらえるなんて羨ましいよ」

 ジージョさんの声のトーンが変わり、好色そうに目を細める。

「絆君も男だから、高梨さんの胸の気配を感じてるんじゃないかね。その気持ちもわかるよね」

 さっきは絆は目が見えていないから、高梨妹の胸など見てるわけがないと、絆の野郎を擁護していたくせに…
 ジージョさんの性へのスイッチが入った。しばらくはこの調子が続き、声も大きくなってくるだろう。

「高梨さんはロリ巨乳なんだよ!いいよね、ロリ巨乳!しかも18才を越えているんだよっ!合法ロリ!
 男の理想だと思わないか?シロタン⁉︎」

 ここ第三食堂にジージョさんの声が響き渡る。
 それに感づいた女子学生らの冷たい視線が集まり、この場を一刻も早く離れたい気分だ。
 ジージョさんは自分の吐いた言葉で興奮し、唾を飛ばしながら性的な話を一人まくし立て始める。
 そんなジージョさんの好色そうに細められた瞳の奥に狂気を見た。
好色そうな表情を超えた凶相、まさに凶相を浮かべている。
 実際の年齢は別として、発育の早い子供にしか見えない高梨妹に対して、劣情を露わにする。
 この人はいつか性犯罪をしそうな雰囲気である。
 気がつけば、“仮面”は居なくなっていた。まるで逃げられたような気分だ。
 俺もこの場から早く離れたい一心で大盛りミートソースパスタをかき込んでいると、俺の目の前、高梨妹がさっきまで座っていた席に大きな人影が現れる。

「ここに座ってもいいか?」

 大きな人影…、大学内で見たことのない男だ。
 身長はわりと高めで180センチはあるだろう。体型はわりと肥満。
 髪型は所謂スポーツ刈りって感じなのだが、後頭部から襟足辺りにボリュームが有り、ジャンボ尾崎かプロレスラーの石川敬士といったところか。
 世界でもっともダサい髪型と言われるマレットヘアに近い。

 俺は口の中にパスタが入っていたので頷くと、マレットヘア男は高梨妹が座っていた席に座る。

「あんたは風間っていうんだろ?」

 まだ咀嚼中だ。再び頷く。

「あんたは面白いね。さっきのあれはフォークト=カンプフ検査をアレンジしたものか?」

 さっさと食べ終わらせる為に大量に頬張ったパスタをやっと飲み込めた。

「何の事だ?」

「絆に質問したことだよ」

「あぁ〜、あれか」

 マレット男の言うフォークト=カンプフ検査は映画ブレードランナーに出てくる用語だ。
 外宇宙から地球に逃げ込み、人間の中に紛れ込んだレプリカントという人造人間を識別する為に映画の中で使われていた検査法、それがマレット男の言うフォークト=カンプフ検査ってやつだ。

「特別考えたわけじゃないが、フォークト=カンプフをちょっと意識してたな」

「そうか、それであんたの見立てはどっちだ?
絆って奴はレプリカントか?人間か?」

 マレット男は身を乗り出し、目を輝かせる。
 まさに期待に目を輝かせている風だ。
 この大学は本当に変な奴が多い。
 このマレット男は映画と現実の区別がつかなくなったタイプか?

「あんたは何を言ってるんだ。
 俺は知り合いが絆からしつこくサークル勧誘をされ困っている風だから、絆をからかって煙に巻いただけだ」

「なんだ、そういうことだったのか」

 マレット男はそう言い残すと、笑いながら席から離れた。

「なんだ、あいつは」

「学年とか学部は知らないけど、確か城本って名前だったと思う。
 そうそう。それだからか、あいつも“シロタン”って名乗ってるんだよ」

 ジージョさんだ。
 一人、高梨妹への劣情を剥き出しにしていたのだが、俺とマレット男の会話を聞いていたようだ。

「え?俺の真似ですか?」

「うーん 真似かどうかは知らないけど」

 名前は城本と言ったか。
 気に入らねえ野郎だ。
 この世界にシロタンは唯一、俺だけなのだ。許さん…

「シロタンはシロタンでも、俺は片仮名。
 奴のシロタンは白い痰、吐くほうの痰。だから奴は白痰」

 ジージョさんは俺のその一言を聞いた後、笑いながら高梨妹への劣情を再び語り出した。


 俺はその後、午後の講義を終え帰宅の途へつく。

 俺は自宅の門扉を開け、鞄から玄関の扉の鍵を取り出す。

「その格好は何だ?」

 横から声が掛かった。
 父である烈堂だ。
 父は庭で何やら作業をしていたようだ。

 突然の父の出現に俺は軽くパニック状態へと陥る。

「その格好は何だと聞いているのだ。
 お前はこの程度の言葉さえも理解出来ないほど呆けているのか?」

 あぁ、俺は今の今まで自分が白ブリーフに白靴下と靴と鞄のみの姿であることを忘れていた。

「こっ、これは…」

 まさかペヤングの取り巻きらに奪われただなんて言えるわけがない…

「またイジメられたのか?
やり返してこい」

「え?」

 問答無用、有無を言わせない父、烈堂の眼差しが俺の心を踏み潰してきそうだ。

「やり返すまで、この家の敷居を跨げると思うなよ」


 今の時刻は18時ぐらいだ。
 11月にもなるとこの時間は陽が沈み、辺りは闇に包まれる。
 俺はいつもの公園でいつものブランコに揺られ、途方に暮れている。

 闇に包まれているが帰宅する子供や学生、会社員の姿が多く見られる。
 通りすがる誰もが俺を見ると視線を外し早足で去っていく。
 幼稚園ぐらいの子供を連れた母親は子供に俺の姿を見せないように抱きかかえ走り去る。

 その気持ちはわからないでもない。
 今の俺はまるっきり変質者だ。
 性犯罪者と疑われても反論のしようがない。

 太腿に冷たい一雫。
 あぁ、言わなくてもわかるだろ?
 雨でも雪でもない。

 俺の涙さ…

 今はただ、通報されないことを祈るのみだ。

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