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赤い稲妻、マリアージュ 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン3 その24

 朝だ。
 昨晩、ホテルへチェックインする前に、朝食用で買ってあったパンを食べている。
 全粒粉とかってやつの固くて味の無いパンだ。
 言うまでもなく不味い。
 西松も同じパンを買い、食べている。

「素材の味が生かされていて、美味しいねぇ」

 西松はしたり顔で呟いた。そのしたり顔が癇に障る。
 さらに癇に障ることがある。
 俺はホテルにあったインスタントコーヒーを飲んでいるのだが、西松は湯を飲んでいるのだ。
 何の味もない、ただ沸かしただけの湯。
 こんなもの、敢えて飲むものであろうか。

「素材の味が生かされているパンと、白湯のマリアージュだね」

 西松はさらにしたり顔で呟いた。
 言うに事欠いて、マリアージュときたか。
 マリアージュが何であるか知らぬし、調べる気も無いのだが、俺の血圧が一気に上昇したこと間違い無し。
 とことん癇に障る野郎だ。
 また西松の野郎を殴る機会があれば、より力を込めた渾身の一撃をかましてやる。
 そうさ…、容赦なく奴の気取りに気取った根性を叩き直してやろう。

 話はそれからだ…

 何の気無しに付けてあったテレビから、アナウンサーが若干、興奮したような調子で喋るのが聞こえた。
 朝のワイドショーが放映されている。番組内の雰囲気が明るくなり、思わずテレビを見たのだが、そこで見たものは俺の気分を滅入らせるのに充分であった。

「キズナ ユキトが次の衆議院選挙へ出馬検討中だってさ」

 西松が呟いた。あぁ、こいつが言うまでもなく聞こえているさ。
 西松のその一言に俺はテレビから顔を背ける。

「あぁ、らしいな」

 と言いながら、俺はテレビのリモコンで音量を下げる。

「昨日やってた入間川高校での講演会の後に緊急記者会見で言ってたってさ」

「また、いつもの緊急か」

 キズナの野郎はいつも何かと“緊急”の枕詞を付けたがる。
 どうでもいいことに一々、大袈裟な野郎だ。

「凄いよ」

 西松が驚きの表情を浮かべた。

「何がだよ」

「キズナの出馬の為に衆議院選挙の被選挙資格の年齢要件を引き下げるって」

 西松のその一言に思わず溜息が出る。

「そうまでして、キズナの奴を担ぎ出したいものなのかよ」

「だよね…」

 と西松は言った後、テレビに見入っている。

「あの生類憐みの令の復活と国民健康邁進法、その他にもあるみたいなんだけど、それらは最初にキズナが提唱し始めたものだってさ!その影響力を与党も野党も買ってて担ぎ出そうとしているみたいだよ!」

 西松のその言葉に俺の怒りが一気に沸点へと達する。

「何だと!ってことは俺のラード、俺の背脂、俺のラーメン、俺の牛丼、俺のハンバーガー、俺のカップ麺、俺のアイスクリーム、俺の、俺の俺の俺の!俺っ!のっ!
 俺の愛してやまない物を全て消そうと言い出したのはキズナってことか⁉︎」

「そういうことになるね」

「許さん!許さんぞ、あの昭和のアイドルの残滓みてえな野郎が!」

 俺の怒りはまさに怒髪天を衝く。しかしその怒りをどこへぶつけたらいいのか!
 俺は言葉にならない咆哮を上げる。それは雷鳴の如く、だ。
 俺の熱い血潮は稲妻、赤い稲妻となり、床へ落雷する。

 踵を床へ思い切り踏み落とした時、嫌な音がした。
 俺はそこで現実に引き戻されるのだが、やはり腸が煮え繰り返る思いだ。

「畜生、こんなことなら昨日の講演会に行っておくべきだった!」

 怒りに打ち震えながらも、ある事が閃いた。

「ネットだ!ネットで今日の奴の足取りを追うぞ!」

 俺はズボンのポケットから携帯電話を取り出す。
 しかし、その思いもよらなかった携帯電話の小ささ、軽さで俺は急に現実へ引き戻される。

「風間、今はスマホじゃないんだよ。ガラケーなんだよ」

 西松の冷静な一言に俺は言葉を失う。

「ガラケーをよく見ろよ。iモードもEZweb、J-フォンは何だったか忘れたけど、ウェブを見るやつが無いんだよ」

 西松のその言葉に自分の携帯電話をよく見る。
 無い。ウェブを見るやつが無く、カメラさえも無い。かろうじてメールが送受信が出来るだけのものだった。

「何世代、先祖帰りしてるんだよ」

「携帯だけじゃない。パソコンやネットも先祖帰りしている」

「え?」

「ネットでキズナの動向を探るにも、どうやら最近やっと検索エンジンが作られた状況みたいなんだよ。
 だからSNSは無いし、掲示板がなんとかある程度だ。多分、キズナ ユキトの公式HPなんて無いかもしれない」

 西松の一言に俺は返す言葉が無い。
 俺たちはもしかして、

「俺たちは過去へ飛ばされたわけじゃないよな?」

「もちろん」

 と、西松はホテルの部屋のカレンダーを指差す。時は過去へ戻っていない。
 その時、俺は違和感を感じた。

「テレビを見ろ!テレビは有機ELだぞ!」

 朝から何も気にしていなかったのだが、ホテルの部屋のテレビが有機ELだ。俺の部屋のテレビよりも新しい、最新型だ…

「今更気付いたのかよ」

 と、西松は笑った。
 西松は明らかに俺を小馬鹿にしたような表情を浮かべている。
 癪に障るのだが、今は西松のことは置いておくとして、

「他に何が退行しているんだ?」

「俺が今のところ気付いたのはネットと電話ぐらいかな」

「もしかしてネット関係だけ先祖返りしたのもキズナの仕業か?
 それとも青梅財団の仕業か?」

「それは流石に無いよ。この前まであった物を無かった事にして、さらに退行させるなんて、今のこの世の中、誰にも出来ないよ」

 西松の言う事はごもっともだ。

「そうだよなぁ。だったら、この状況は何なんだよ。この世界は何なんだよ」

 俺のその一言の後、西松は眼を見開き、眉間に皺を寄せた。

「世界…」

 西松の呟きに俺の中で何かが弾けた。

「世界…、
 俺たちはもしかしてネット環境だけ90年代末期か2000年代頭辺りのままの並行世界、異世界にでも飛ばされたのか?」

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