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聴衆にバレないために

日報や議事録の作成、報告を苦手とする人が多い。
そりゃご多分に漏れず、私も好きな業務じゃないが、意外とコンスタントにスピーディに成し遂げるだけで、他者との差がつくことに気づいてからは、あえてこだわるようにしている。そう、コスパ、タイパがいいのだ。特に相手に付き合っていて安定、安心を感じていただくには、これほど時間、コストもかけずできることはない。今すぐでもやるべきだ。

誰かが議事録を書いてくれるだろう、と皆が思っている

それでも、なかなかできない、続かないのが現実(だから、継続的にできると優位性がある)。気合や根性で片付けてもいいのだが、少し考え方を変えるだけで、意外とクリアできるのではないかと思っている。

先ず、基本的な原理として。
日報や議事録を再現する記憶やメモ。記憶は時間が経つにつれ劣化するのはもちろん、メモ上の単語も前後の脈略がわからなくなり「なんで、ここにこんな単語が?」となりかねない。つまり時間が経てば経つほど、アウトプットに要するハードルが高くなるのである。

えーっと…

巧遅は拙速に如かず
《「文章軌範」有字集小序から》仕事の出来がよくて遅いよりは、出来はわるくとも速いほうがよい。

コトバンク

つまり、それらの事実に基づいての報告系の仕事は、巧遅ではなく巧拙。そして、拙速ではなく、むしろ巧速。もうダントツに、巧速がいいに決まっている。
想像してもらいたい。会議直後、業務終了直後の報告ほど、ビビッドに、スラスラとできるに決まっているじゃない(議事録に関してはリアルタイムが一番だろうが、私は苦手だからやらない)。なのに、たいていが、面倒だからと、放置し、結果直後なら10分で終わる業務に30分費やすことになるのだ。
なんで、効率が悪いやり方を自ら選ぶのだろうか?

という私も、ときには他の業務がたてこんでいたり、疲れていたりと、後回しにしたい誘惑に負けそうになることもある。
そのときに、言い聞かせるのは、次の言葉だ。

一日練習しなければ自分に分かる。
二日練習しなければ批評家に分かる。
三日練習しなければ聴衆に分かる。

フランスのピアニスト アルフレッド・コルトー

この言葉を借りるなら、

報告物のクオリティの低さに関しては、
一日遅れると自分に分かる。
二日遅れるとプロに分かる。
三日遅れると皆んなに分かる。

と言ったところか。

先ず、気づき、認めよう。
惰性によるその選択が、ベターだと思っているその選択が、実は、より案件の難易度を上げているんだ、ってことに。

DALL-Eより


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