「自分への厳しさ」至上主義
毎日、自宅から持ってくるお弁当のメニューが同じ知人がいた。
野菜と鶏肉を電子レンジで温め、そこに焼肉のタレをかけて、白米?玄米?と一緒に食べている。昨日も、今日も全く一緒。もう味わう、というよりも、機械的に口に運ぶ感じ。
ある日、ガラッと変わった。今度は牛肉と野菜が中心。これが、また数日続く。これも機械的に処理をしていく。
聞くと、ダイエットのやり方なんだそうだ。脂を取らずに炭水化物中心のターンと、炭水化物を取らずに脂中心のターン。どちらかを続けると体重が減っていくようだが、行き詰まるとシフトするらしい。すると、また減っていっていき、行き詰まると…、を繰り返すらしい。
よーやるわ、と感心する。
ところで、仕事になると彼は厳しい。他人に厳しく、不注意のミスを許せなさは半端ない。それ故に煙たがられることもある。
でも、私は彼の自分自身への厳しさも知っている。少なくとも、昼食に関する制約の遵守は半端ない。
きっと、自分に厳しく、他人にも厳しんだろうな、と思う。
密かに好感をもって、彼が食事をしている姿を横目で見ている。
不器用な面もあるけど、こういう人は私の定義では「信用できる人」なのだ。
自分が好きな英単語があるとしたら、これになると思う。
自分への厳しさ、とも言えるかもしれない。
決して実行できているわけではないが、そうありたいと思う。
規律とは少し違うかもしれないが、自分の決めたマイルールは割と頑なに遵守する。ルーティンを作るのも、守るのもキライじゃない。
今日は、平日とほぼ同じ時間に起きて、簡単なルーティン(ルーティンの中のルーティン!?)をこなし、ウォーキング(同じコース)、帰ってきてシャワー、その後朝食のヨーグルト(冷蔵庫には常時2,3ケース入っている)カフェで新聞を読み休日の午前中が終わっていく(たまに、note執筆)。
就寝前の軽い筋トレは大学時代から毎日続いているし、トイレ掃除、風呂掃除、床掃除と、決めた掃除のルーティンも守っている。眠いからとか、疲れているからとか、関係ない。むしろ、やらないと落ち着いて眠ることもできない。
ヨーグルト同様、毎食サラダにかけるドレッシングの取り置きも半端ない(安定的に消化するから)。年間364日お酒を飲んでいたが(年1回の内視鏡検査の前日以外)、もうひとり晩酌することはない。惰性で飲むコーヒーも止めた。
仕事のルーティンも、その遂行にこだわる。心が折れそうでも、できる限り継続する。
ルーティン、マイルールの遵守の先に、自身への厳しさがあるんだと思う。小さいルールは守れないけど、大きいルールなら守れる、って言う人は会ったこともない。小さいことさえ守れないんだから、大きいことも守れないものだ。
一方で、ルーティンやルールから開放された人は自由度も高く、柔軟な人と言えるかもしれない。逆にルールに拘る人は、それ故に融通もきかず、損をすることもあるだろう。
ただ、それでも、やはり自身への厳しさは、特にビジネスにおいては、ないよりはあった方がいい、否、ないとハンディがあるから、こだわった方がいいと思う。
なぜか?ここをおさえておけば反対のベクトルである、他人への厳しさ、甘さ、どちらに転んでも致命的にならないからだ。
自分に厳しく、他人にも厳しい人。
自分に厳しく、他人に甘い人。
まあ、どちらかというと2より1だろう。2のケースでもそれ故に相手に騙されることもあるかもしれないが、まあ、最悪ではない。
逆に、自分への甘さが先にきてしまうと、
自分に甘く、他人に厳しい。
自分に甘く、他人に甘い。
どうだろう。どちらもダメ人間感がある。
自分への厳しさを追求する。ある意味、他人への厳しさ、甘さを考える余地があるなら、それさえも自分への厳しさにつぎ込む。他人のそれは、流れでいい。
それだけで、ビジネスにおいても十分に差別化はできると思う。
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