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亡き愛犬の後を追っちゃおうかナ☆ と思った時に踏み止まるためのメソッド

あーなーたにーあーいたーくてー
あーいたーくーてー眠れーぬー夜は
あーなーたーのー温もりをー
そーのぬーくもりをー
思い出しー
そおっと瞳とーじーてーみるぅー

ダメだダメだダメだ!
これメンタル落ちるやつや!
(聖子ちゃんごめん)

ルシファーはがん家系で、母犬も同胎犬も10歳にならずに亡くなっていると聞いていたから、ルシファーもあまり長生きしないだろうと覚悟はしていた。

昨年からぼんやり考えてたんだよ。
ルシファーが死んだら、わたしどうなるんかなーって。
酷く落ち込むのは間違いない。
いよいよ頭おかしくなっちゃうんかな? (元々ブッ壊れているのは置いておくとして)
それとも後を追っちゃう?

でも、実際死んでみたら、ポカーンである。
あまりにも唐突で呆気ない最期だったせいもあって、2ヶ月経ってもポカーン。
現実感がなくて手品のようにポン! と消えちゃった感覚。

でも、1日の終わりに必ず思い出す。
4年前にお迎えしてから24時間一緒にいたからね。
わたしが体調を崩して横になってるとぺたっと寄り添って、その温もりはいつもわたしを安心させてくれた。
どんなに低調でもギリギリのところで生きていられたのはルシファーのお陰だったから。
もっと一緒にいたかったし、いられると思ってた。

神戸の妹の家から帰ってきて2週間経過して、2〜3日前から夜になると再び「消えたい」願望が大きな波のように押し寄せる。
これがまた、ほんとにしんどい。
恐怖
不安
焦り
全身が拍動していると感じるほどのひどい動悸が出て、「もう生きてるのつらい、ルシファーんとこ行きたい」と思ってしまう。
出来ることと言えば、半夏厚朴湯とロラゼパムをインストールしてオフトゥンに横になり、えぐい波が凪いでくれるのをじっと待つだけ。

その間も頭はフル回転で思考が止まらない。
そしてある方のお話を思い出す。
例えば今日は、周りにいる人たちとは良くも悪くも今世の前からご縁があって、それぞれ役割があるのだというお話し。

甥に限った話をすれば、1型糖尿病を発症したことで、わたしは様々な面で妹一家をより一層サポートすることになった。
その上、恐らくASDであろうと診断されて、小児専門のメンタルクリニックと療育のLITALICOジュニアにも通い始めた。
たぶん、彼はいつか壁にぶち当たる時が来るだろう。
その時に経験者として親身になって寄り添えるのはわたしなのではなかろうか。
それがわたしの役割で、わたしから与えたり、甥から気付きや学びを得る関係性なのかも。
弩級のクズでクソなわたしでも、生きてる意味が、存在意義があるんかも。

有り体に言えば、わたしはスピリチュアルなことは信じてない。
でも、そういう考え方があってもいいな、そんな風に考えたら素敵だな、と思ってる。
都合のいいイイトコ取りだけど。
そんな新たな視点を下さったあの方に心より感謝。

思考はぐるぐる回りに回って、結局のところ「後を追ってもルシファーと同じところに行ける保証はない」「今より楽になれるとは限らない」に落ち着く。

話がとっ散らかったけど、とどのつまりは、わたしはもちっとこの世界で踏ん張ってみる。
ハクの寝言が面白いなあとか。
夫(・∠・)の誕生日はどこでお祝いしようかなあとか。
沖縄行きてえな〜とか。
小さな喜びやありきたりの楽しみやささやかな希望を繋いで、細〜く長〜く騙し騙しやっていこうじゃないか。

そんでいつしか定められた命数と課題を全うしたならば、ご褒美にルシファーや犬たち、大好きな人たちと再会できるかも。

そしてまた、いつも通り明日が来る。

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