魂と肉体

平城京、左京の五条六坊に、奈良の岩島と呼ばれた人がいた。岩島は、寺から集めた資金を運用して利潤を得て、それを寺に還元していた。このたび岩島は、越前(福井県)の敦賀(つるが)に商売の目的で出かけた。数か月間で大きな利益を得て、奈良に帰る途中、余呉湖(よごこ)のあたりで、彼は熱発して、全身倦怠感がひどくなったので、荷物を家の者に任せて奈良の自宅に運ばせ、彼自身は、北近江の長浜でしばらく逗留した。数日間、琵琶湖を眺めながら静養した。そのうちに熱もひき、元気を取り戻したので、長浜から船に乗って琵琶湖を下り、高島、雄琴で休息しながら、大津で上陸して陸路をとった。

大津から宇治へ向かう街道で、振り返ってみると、3人の者が後を追ってきた。宇治橋に差し掛かった時に、3人が岩島に追いついて、並んで歩いた。彼らは、閻魔王宮から派遣された鬼だった。岩島を探しているところだと言う。
 「岩島は自分ですが、閻魔様が自分にどんなご用でしょうか?」
鬼たちによれば、閻魔大王が、鬼籍のリストの中に岩島の名前を見つけて、この者を連れてこいという命令を下した、とのことだった。最初に奈良の岩島の自宅を訪問したが、商売で敦賀に出かけたあとだったので、鬼たちも敦賀に行った。岩島が寺のために仕事をしていると聞き、しばらく様子をみることにした。いつの間にか岩島の姿が見えなくなり、岩島が長浜に病気療養中であることを突き止め、鬼たちも長浜に走ったが、その時にはすでに岩島は快復して、長浜にはいなかった。

鬼たちは陸路、岩島の後を追いかけて、やっと追いついた。鬼たちは、敦賀では「へしこ」ばかり食べていた上に、長浜では「ふなずし」を食べたので、喉がひりひりに渇き、ろくに水分もとらずに岩島の後を追ったので、鬼たちは口渇空腹で死にそうだった。とりあえず、岩島は鬼たちに、宇治川の美味しい水と、手持ちの干飯(ほしいい)を分け与えた。そこからは一緒に旅を続け、奈良の自宅に到着すると、岩島は鬼たちに山海の珍味をごちそうした。鬼たちは、岩島に世話になったお礼として、彼と同名の者を身代わりとして閻魔大王のところに連れて行くと約束した。

鬼たちは、身代わりを探した。身代わりは直ぐに見つかった。年恰好も似た、丹波の、現在の福知山あたりに住んでいた男であった。名前も岩島という小役人だった。妻と子供たちもいたが、子どもたちはみんな独立して離れ、今は、妻と2人で、由良川を見下ろす高台に暮らしていた。清貧であったが、とても信仰が篤く、そこそこの生活をしていた。

ある日、丹波の岩島は、勤務中に急に気分が悪くなり、役場を早退して帰宅すると、その日のうちに死んでしまった。早速、鬼はこの男を閻魔大王の前に連れて行った。しかし閻魔大王はすぐにこの男が偽物であることを見抜いて、地上に戻せと命じた。そして本物の奈良の岩島を連れてこいと鬼たちに厳命した。

地上への戻り道、三途の川の水嵩が増していて、渡し舟が出なかった。台風15号の影響だった。「ここは地下だから、風の影響は受けないが、水だけはどうしようもないんだ。こうも台風が続くとなあ。困ったものだ。」渡しの船頭がこぼしていた。水位はなかなか下がらず、3日間そこに足止めをくらった。

3日後にようやく自宅に戻った時には、前日に火葬が終わっていて、彼の肉体は地上から消え失せていた。仕方なく、鬼と相談して、閻魔王宮に戻り、岩島の戻るべき肉体がすでに無いことを閻魔大王に報告した。
閻魔大王は言った、
 「先ほど、本物の奈良の岩島が来たところだ。奈良の岩島の肉体はまだ残っているか?」
鬼のひとりが言った、
 「まだ火葬になっていません。棺桶に安置されたままです。」
閻魔大王は、顎に手をあてて、しばらく考え込んでいたが、「じゃあ丹波の岩島の魂は、奈良の岩島の肉体に戻れ」と鬼に命じた。こうして、丹波の岩島の玉の緒(=魂を肉体につないでいるヒモ)は、奈良の岩島の肉体に結び付けられた。

棺桶の中で、岩島は目を覚まして立ち上がった。死者が蘇り、驚いて腰を抜かし、目を丸くしている人々を尻目に、「自分はここの人間ではない」と言い残して、岩島は丹波の家に戻った。しかし丹波の妻は、見たこともない男がいきなりやってきて、亭主だと言われても信じ難く、「主人は死んで、もう火葬も済ませました」と言って受け入れようとしなかった。岩島は、粘り強く死後の経緯を話して、「私の心はお前のものだ」と言って、妻を納得させた。奈良の岩島家にも、小役人の律義な口調で、丁寧に経過を説明して納得させた。

奈良の岩島家の人々の熱心な要望があり、彼は寺の資金運用の仕事を受け継ぎ、仕事をよくこなして、丹波の妻も奈良に呼び寄せ、幸せに暮らしたという。こうして、魂も肉体も2人分の人生を生きたことになる。それにしても、昔の人々が、肉体を操る魂の存在を確信していたことを伝える話だった。現代風に言えば、一種の「心身二元論」といったところか。

 <日本霊異記中巻第24、第25>

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