マネージャーの負担を削減し、個人の才能を戦略的に鍛える - 新サービス「Co:TEAM」ローンチ時に思ったこと
つい先日、弊社は「Co:TEAM(コチーム)」という「個人を戦略的に育成」するサービスをローンチした。そのあたりについて書きます。
https://coteam.jp/
「Co:TEAM」は以前から展開していた、法人向け体内時計・睡眠支援サービス「O:SLEEP リテンション」 (https://o-sleep.com/)のコア機能を含めながらも、進化させる意図で開発したサービスだ。
「O:SLEEP リテンション」とは一見異なる要素を持っているが、同じベクトル上に存在するサービスである。
「Co:TEAM」は、マネージャー/メンバー間の「仕事に対する認識のズレ」を可視化し、我々の得意領域である体内時計から算出した「コンディション」に加えて「相性」に基づいた円滑なコミュニケーションを促進させることで、メンバーシップを育むことに貢献できる。
…と書くとなんだか難しいが、それを「シンプル&カンタン」に実現できるようにするあたりが肝です。
弊社は「体内時計という、自分の時間に回帰しよう。」という言葉をミッションに掲げていて、まずはこのミッションを「企業」に対して適応させることにトライしている。
■「会社での問題=自分の人生の問題」になってしまう現代
今の30代中盤を迎える自分でいうと、社会人3年目くらいの若手までは例えば家族、親族、例えば大学時代のサークルの同僚…といった具合に多種多様なコミュニティが自分のまわりに存在し、バランスをとって、それらに定期的に参加していた人が多かった。
ある特定のコミュニティでうまくいかないことがあったとしても、別に所属するコミュニティに逃げられる、といった、よい意味での逃げ場があった。
…が、可処分時間、貯蓄などを中心に現代人は「様々な余裕」を失った。
結果、多くの現代人にとって、以前より所属するコミュニティが減少しているのではないだろうか。
中には所属コミュニティが1つしかない、というケースもあるだろう。
こう書くと、逆に様々なコミュニティに在籍している人が増えているのでは?という意見もあるかと思うが、それは主に「首都圏で生活する一部の方だけの話で、日本全体で見ると実に少数なんじゃないか。
そして、その「1つだけ所属するコミュニティ」というと、ほとんどの場合「会社のつながり」である。
会社において発生した問題は、パーソナルな問題につながるケースが増えてくるのも仕方がない。
上に書いたように、所属企業以外に逃げ場がないために、会社での出来事にしかすぎないはずのことが、人生の大部分の問題になってしまう。
この前提に立つと、「所属するコミュニティが少ない人にとっては、本質的に個人の問題のいくつかを解決する上で、企業の課題を解決しないといけない」という構図が生まれる。
また、善悪は別にすると、日本においてはいくつかの大企業が何かを変えると、他社が追随するケースが多いので、まさに世に与えるインパクトも大きい。
もちろん、すべての社会人に上記ケースがあてはまるわけではないが、特にまだ「戦力化」していないメンバーにとっては、会社とどうしても相性が合わない場合でも、容易に転職できない現実があったりする。
上に、「会社において発生した問題は、パーソナルな問題につながるケースが増えてきた」と書いたが、その「個人の問題」が、今度は「会社の問題」として発展することも多い。(メンタル不調者増加による現場で発生する各種調整etc)
その中で「O:SLEEPリテンション」は、体内時計に睡眠を組み合わせて、主に「メンタル不調の解消」が実現できるサービスとして展開している。
こちらのサービスは「会社がよろしくない状態であっても、個人の体内時計・睡眠を良い状態に維持できればメンタル不調を予防できるのでは?」というコンセプト。
余談だが、「O:SLEEP リテンション」を展開することで、弊社はスリープテックの企業だと思われることが多々あるが、そうではない。
体内時計と睡眠は一部重なる領域があるのは確かだが、めざすものはあくまで「体内時計の社会実装」と「法人における産業課題の解決」である。
■対処課題ではなく、本質的課題に立ち向かえないか
O:SLEEPは企業におけるメンタル課題を解決できるサービスであることは事実だが、展開するなかで、下記の課題とぶつかった。
「会社というシステム」を成立させるために発生する歪みが「睡眠・メンタルの問題」として表れている中で、我々は、うまくいっても『対症療法』しかできていないのではないか?
著作「他社とはたらく」で話題の宇田川元一さん(埼玉大学経済経営系大学院 准教授)にお聞きした話を思い出す。
旦那のDVが原因でアルコール中毒になった妻へ、『あなたが解決したいことは何ですか?』と問うと『アルコール中毒です』とほぼ全員が答える。
…といった話だったが、要は、その手の話である。
DV = 本質的な課題
アルコール中毒 = 課題に対する現象
と区分できるが、睡眠改善が企業に貢献できる範囲は後者の範疇なので、その先の本質に踏み込むことが難しい。
例えば、不眠は再発率が非常に高い(半数以上が再発)ことで知られているが、上司との関係性、マネージャーとしての責務、仕事のプレッシャーなどなど、現代における不眠の原因は「仕事」の内側に存在しているケースが非常に多い。
つまり、企業という組織の中で発生しているいくつかの課題にアプローチしない限り、睡眠問題は真に解決されることはない。
■うまく働ける人と、そうでない人
少し話は変わって、広告代理店で働いていたときのことを思い出す。
その広告代理店は、とある社員の労災問題でメディアで大きく話題になった企業です。
もともと、ネットでしっちゃかめっちゃか叩かれる企業であったこともあり、僕はそんなに言われるほど悪くも黒くもない(僕にとっては。むしろ非常によかったと思っている)けど、とにかくそのときに「働くことの意味」を強く考えさせられる。
これは当時在籍していた自社のみではなく、接するクライアントも含めての話で、広告代理店に勤務していた中で得た最大のメリットは、「日本中の様々な業界・職種の方とこんなに会える環境はない」ことな気がしていますが、とにかく様々な会社の労働環境を目の当たりにしたことも関係している。
その中には輝いていると思われている人も、そうでない人ももちろんいた。
そして、輝いていない人が許されづらい時代になってきた。良くも悪くも。企業から余裕が消えつつある。
また、アメリカと異なり、日本では「ダメだ!」と思っても、人をカンタンに解雇できないため問題は複雑重層化する。
誰しも人は、自分の才覚によって人生を切り開くべきだ、ということに、最近なっている。
さらには、誰しも、「輝く」べきであると。
思えば、これらの言説は、2つのことを前提にしている。
まず、活躍したり、才能があったり、役に立ったり、輝いたりすることが、人生のあるべき姿であること。
もう1つは、才能というものが、強くたくましく、例外なく人生のいい方に作用することを、100%信じていることである。
ただ、どちらも、正確ではない。
残念ながら、事態はそれほど単純ではない。
才能とは、とても脆いものである。
様々な圧に対して、決して強くない。
かと言って、甘やかしてほっておいてもだめになる事が多い。
しかも厄介かつ複雑なことに、過酷な環境に置かれることが、結果、よく出る場合と悪く出る場合と両方ある。
ただ確実にそれを破壊してしまう状態が、残念ながら企業の中に頑としてあることをサラリーマン時代に強烈に体験した。
一言で言うところの「マネジメントがなされていない」状態において、悲劇が起こることが多い。
・日本のマネージャーは「プレイングマネージャー」が増えている。そして、働き方改革のしわ寄せが最も集中して、周りに気を遣える余裕がない。
・マネージャー適性なんかどこ行く風で、優秀なプレイヤーがマネージャーになる。
・マネジメントは訓練を受けないとなかなか実施できない。が。訓練を受けていない。※なぜかこの領域ができる人は「人間力」という言葉で片付けられることが多い。が、それはマネジメントの教科書1つ読めば違うことがすぐわかる。
こういった状態が続くと、「輝きたくとも輝けない」現場が生まれる想像はそう難しくない。
…どころか、もう本当に、うまくいかないケースが多い。
自分ゴトとしても、経営者として働いていると「自分のマネジメントはこれでよいのか」という問いと常に対峙せねばいけないが特に、将来有望な若い人間と接していると、たまに自分の接し方でよいものか迷うことがある。
外部環境によって損なわれる。
理解される前に折れる。
確実に内在している才能が、形になる前に当初の輝きを失い消失してしまう。
そんなふるまいをしていないか。
これほど接していて切ないできごとがあるだろうか。
テイラー・スウィフトが、3年前によく言っていたらしい言葉を思い出す。
「このままだと、音楽を職業にしようとする若い才能が、いなくなってしまうかもしれない。」
…とのことだが、音楽業界に限らず、このままでは企業という「大きな生産性を発揮する集団」で働こうと考える才能は絶滅してしまうかもしれない。けっこう真剣に。
■個人の才能について敬意を払うべき感覚が共有されている集団とそうでない集団との差
英語で、giftを引くと、たいていの辞書では、①「贈り物」の後ろに②(天賦の)「才能」という説明がある。
才能はギフトなのである。神さまがたぶん無作為抽出によって与えた。ちょっと素敵な英語ですね。
贈り物には、みんなを楽しませ、幸福にする力がある。
もし、それをどこかで発見できたら、損なうように振る舞ってはいけない。絶対にいけない。
受け取ったギフトを踏んづけて痛めていいわけがない。
何も天才に限ったことではない。
才能は壊れやすく貴重なものだ。
それが属人的なものでありながら、実はみんなのものであること。
無条件に敬意を払うべきものであること。
こういった感覚が共有されている集団とそうでない集団との差は、想像以上に大きいと思う。
「わるくないけど、きっと、もっとよくなるよ」
幸いなことに、もはや若い才能に嫉妬では埋まらないほどの実力差が発生する時代を生きる僕たち中堅層以上は、後輩たちにそう言い続けるのが最もたいせつな仕事のひとつだ。おそらく。
■「才能とどう対峙するか」ということは、中堅に属する自分自身だけでなく、地球レベルで課されているテーマ?
話は戻る。
「体内時計の社会実装」をミッションとし、「O:SLEEP リテンション」を展開する我々だからこそできる「本質的な課題解決」はなんだろうか。
「未だ発揮されていない才能が、活きる環境をつくること」ができるかもしれいない。…という1つの解にたどり着いた。
まだ、原石状態の若者は、「あなたが仕事で求めるものはどんなもの?」という問いに対して、やっぱり「早くプロになることが一番の目標」だと答えるのではと思う。
色んな若者がいるが、心のどこかで誰しもがやっぱりこの気持はあるものだと思う。本当にそう思っている。
「早くプロになれる」環境はどういう環境かというと、「上司・メンター・同僚たちと相互理解ができ、自分の状態に合わせて、適切なマネジメントを受けながら仕事をする」ことだろうという、そりゃそうだろうな、という答えになった。
当然すぎるほど当然のコンセンサス。
つまり、コモンセンスのようなものを、丁寧に再構築するだけで、割と会社というところは、ずいぶん生きやすくなるのではないだろうか。
この状態はつまり、「仕事」と「コンディション」がどちらに傾くこともなく中庸な状態なのではないかと思っているが、まさにもっとも成長につながる、理想的な「働く状態」だと思っている。アリストテレス的。
O:SLEEPは今現状の「ユーザーのコンディション」の算出ができるサービスだったが、そこに一部タスクの情報を入力することで、「もっとも個人が短時間で成長する」状態をつくりだすのが「Co:TEAM」だ。
例えば部下・同僚に「あれやっといてください」とお願いしたとき、なぜかその仕事のアウトプットが報告されなかったケースは誰しも体験したことがあるだろう。
なんで、報告が上がってこなかったのだろうか。
仕事が忙しかったら。よく理解してなかった。忘れていた。
…なんて回答があるかと思いますが、要は相手と自分の「仕事に対する認識」が異なるからこういった問題が起こります。
あなたはそのお願いした仕事の難易度を30点くらいのカンタンな仕事だと思っても、相手は90点くらいに思っているかもしれない。
なかなかこの仕事の認識というものは、当事者間で一致しない。
ズレることが多い。
そうなると業務上の事故が起こる可能性は高くなる。事故だけではなく、信頼や自信の喪失にも繋がり、生産性の向上は当然見込めなくなる。
そういったことが常習化している組織においては、伸びる若手も伸びなくなる。
まさにこういったケースは、日本中のマネージャーと部下の間でも発生していて、それを解決するためのサービスが「Co:TEAM」
「対症療法」ではない企業の「本質課題」解決にコネクトしていける希望で勝手にふるえている。
■最後に - 「失われた30年」ではできなかった、本質的な生産性の向上を。
Co:TEAMは自分ひとりの力ではとても実現できなかった。
自分のマネジメントにおける数々の失敗経験はもちろん、AMI&I溝口さんや、様々な経営者・マネージャーの意見を反映してつくったサービス。
最近はあらゆるところで「属人から、チームへ」という流れが謳われるが、チームができあがる最低条件は「スキルをもった構成員がいること」である。
つまり、個人の育成が中途半端なままだと、チームができあがることはない。
チームができると、マネージャーに集中する負荷が分散し、総体としての生産性・創造性は飛躍的に向上する。
僕たちはサービス・職業柄、その再構築に比較的貢献しやすい場所にいる。
--
日本はこの30年、実質的に生産性を向上できなかった。
僕たちは「Co:TEAM」を通じて、この国のGDPを数%向上できるのではとマジメに思っている。
機能するチームが増えるインパクトはそれくらい強いから。
GDP(国内総生産)とともに示される新たな国力を示す指標のひとつに、GNH(Gross Nation Happiness=国民総幸福度)やGNC(Gross Nation Cool=国民総クール度)がある。
だが、同じGNCでも「Gross Nation Creativity=国民総創造性」を、ずっと指標にすべきじゃないかと考えている。
戦争の反対は、平和ではなく、創造だと勝手に思っている。
動物は獲物を集めたり、争ったりしますが、創造性は人間にしかない。
まさに最後の希望。
おそらく最後の人間の最期に残るのは、「創造」=「精神的な豊かさ」なんだと思う。
創造性こそが、人間だけが持つ最高の「精神的な豊かさ」だと信じ、日々どこにいてもそれを追求したい。
偉大な経営者・マネージャー・リーダーは共通して知っていた。
現状だけでは、足りない。
どこかで創造性の力を借りなければ、高いところへいけないことを。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?