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ある職人の死と私の後悔について

彼はとても優しい人だった。
若く青く生意気だった私を、工場の中で黙々と作業していても優しい笑顔で出迎えてくれる、そんな珍しい昭和の職人のことを思い出したので自分の心の整理のために書いてみることにした。

彼は取引先の職人で、私との年齢差は孫と祖父くらい。職人気質だが優しい人、それが私の第一印象だったと思う。
セクハラパワハラノーカンな業界だったので、引き継ぎ挨拶で紹介されるたびに奇異の目を向けられてうんざりしていたが、彼は作業の手を止めて私のことをちらりと見て、よろしくねと表情を崩してくれた。そのとき、他の人とは違うのかもしれないと感じたことを覚えている。

彼が勤務していたのは、いわゆる町工場のような金属加工を何でも引き受ける会社で、私は材料の卸売営業をしていた。彼はその職場で最古参であり、顧客の信頼は厚かった。彼宛に顧客自ら引いた図面を持ち込まれることはしょっちゅうで、ときには曖昧で無茶苦茶な要望にも文句を言いつつも淡々と答えていた。
顧客はもとより若い社員の相談役でもあり、面倒見の良い人であった。
彼が作業するスペースは決まっていて、いつ訪問しても定位置で何かを黙々と作っていた。何を作っているんですかと尋ねると、手を止めて分かりやすく丁寧に答えてくれた。溶接中でも手を止めてくれて、ここが難しいんだよ、これができる人なかなかいないんだよと若い社員が背後から自慢気に言葉を添えてくれたことが多くあり、彼はそのたびにへへへと得意げに笑っていた。

そんな彼がある日の雑談中に、体が痛いんだと苦しそうな顔で呟いた。
年齢的にも同じ姿勢で作業し続けることが辛いのだろうと勝手に解釈した私は、それは辛いですね、とありきたりな返事をした。

次に訪問した時、彼のスペースはポッカリと空いていた。若い社員に聞くと、病気が見つかり入院したとのこと。彼の穴を埋めるべくいつも以上に慌ただしくなった工場内で、私はしばし呆然としてしまった。彼を蝕んでいたのは私の祖母を死に追いやったモノと同一だったからだ。治療法は確立しているものの、苦痛を伴い、入退院を繰り返す。その間に体力が奪われて迎えがやってくる。その様子を見てきたから、もう会うことは叶わないのだと寸刻のうちに理解してしまった。感情は追いつかないままに。

しばらくして彼の葬儀の案内が来た。家族がいない彼のために社葬という形で見送ることになったらしい。私は訪問客が来る前に早めにセレモニーホールに到着して、ひっそりと眠る彼の顔を見せてもらった。随分と痩せて、花に囲まれた彼が棺の中に在った。
案内してくれた若い社員は、◯◯さんらしいよね、いい顔してるでしょ、自宅療養のために色々準備したり、部屋を片付けたり全部やってから行っちゃった、と言ったあとに誇らしそうに微笑んだ。

彼に関して私の後悔は2つ、生前の彼の痛みに寄り添えなかったことと、感謝の言葉をもっと伝えれば良かったということ。

彼は旅が好きで、写真が好きで、人が好きだった。
私も旅が好きで、写真が好きだが、人は少し苦手だ。
でも、私はこれからも彼がくれた優しさを周囲に還元しながら日々過ごしていこうと思う。彼が好きだった旅も写真も楽しみながら、後悔と思い出をまとって生きていくのだ。

長くなったけど、互いの人生の軸に少しだけ交差した、尊敬する人の死について書いた。
後悔の数だけ、人は優しくなれる。そう願って今日も存分に後悔していこう。見送った人々と同じ場所に昇っていけるように。

みなさんもどうか後悔を恐れず、失敗と恥にまみれて、のたうち回りながら楽しんでいきましょう。死ぬときはみんな一人ですが、出迎えてくれる人はたくさんいますから。後悔の数だけ。ね。

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