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ミュージカルゴースト&レディの感想、祈りとは何か

先日ゴースト&レディを観た感想と震災関連について思ったことを書く。

ゴースト&レディとは藤田和日郎先生のゴーストアンドレディを原作としたミュージカルで、フローレンスナイチンゲールの人生を勇敢な幽霊が支えていたとしたら…というストーリー。
2つはそれぞれ表現方法が異なるため、漫画の忠実な再現ではないと作者が述べていたことを添えておく。

看護師という仕事は何の知識もない貧困女性たちが行うものだと差別され、病人たちは粗末な食事と不衛生な環境で死を待つばかり、そういった時代に戦争が起こり負傷兵が戦死ではなく怪我によって弱り死んでいく世界。
何不自由なく育てられたナイチンゲールが実情を知って同じ志を持つ女性たちと戦地に赴き、非業の最期を遂げる人を少しでも減らそうと奮闘するわけだが、病院を管轄する責任者の男性に女のくせにだの勝手なことをするなだのと罵られる場面があった。
今もこういう言葉聞くことあるなぁとぼんやり観劇をしていたのだが、力強く発せられたある台詞に私はハッとさせられた。
劇中、看護師が病室で「私は負傷兵たちへ祈ります」と叫び膝を折って手を組んだ。その瞬間に背後から掛けられた言葉。

「座って祈っている場合ではありませんよ、さぁ働きましょう!」(台詞はうろ覚えです、ご容赦を)
静の祈りを動に変えなさいと先輩看護師が諭したのだ。肩を優しく叩きながら。それに呼応する形で立ち上がった祈りの彼女は先輩と連れ立って颯爽と看護師に戻って行った。

祈りはただよき未来を願うことではなくて、その理想に現実を近づけるための始まりなのだと気付かされた。終わりの見えない戦いが続き次々と運ばれては異国の地で亡くなる負傷兵たちがいる、そういった辛い現実を受け止めた上で、未来をより多くの人で迎えよう、今を乗り越えて共に国に帰ろう、その覚悟が籠もった確かな一歩、それがステージの上にあった。

話は変わり、テーマは震災に移る。
私が生々しく目にしたことがある日本の震災は神戸、東北、石川で発生したもの。特に東北については被災者と話すことがあったため、強く記憶に残っている。考えもしなかったことが起きた、故郷が無くなるなんて、思い出の品が、大事な人が、その全てが、共存していたはずの、恵みをくれていた穏やかだった海に飲み込まれるなんて。
それでも生きていかなければならない、本当に0からのスタート、いやローンを抱えていた人はマイナスからだ。そこに住まう人々は今日も亡くしたものたちを想いながら、それでも土地を愛し海とともに生きている。(そんな人たちに、突然の脅威に遭遇していない人間が言う復興とはなんと勝手で傲慢なのだろう。)

2024年の正月に発生した石川での地震はまだまだライフラインの復旧も乏しく、寒い中暑い中ひたすらに家の片付け作業を行っている。私は同じ国に住まうものとしてささやかながら静ではなく動の祈りを捧げ続けようと思う。
悲しいことだがどれだけの年月をかけても、生活はすんなり元通りとはいかないと思う。失ったものが多すぎるからだ。しかし、どうか一人でも多くの人が、快適な環境で明日を信じて、少しでも楽しく今日を過ごして欲しい。願わくば全員が「今日は良いことがあった」と思えるようなささやかな何かを一つでも頭に浮かべられるような、そんな日々が早く来ますように。

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