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ロバート・L・キャップ・コレクション「広島原爆写真」は”関東大震災”の写真だった

はじめに
 今回の誤用は1998年に米スタンフォード大学フーバー研究所へ寄贈された「ロバート・L・キャップ・コレクション」。寄贈時に関東大震災罹災者の写真が混入していたが、確認作業を怠って見抜くことができず、2008年の公開時に発覚した。
 日本の各種関係者や団体、研究者からの情報提供により関東大震災時の写真であることが確認され、公開したアメリカの大学や研究者、フランスの報道等は謝罪文を掲載した。

*なお本稿に際して、Ⅹ(旧Twitter)藍金黃@mygod911『《北支派遣記念》写真帳の写真に関する考察』百年非 2023.2.5(日本語訳)https://twitter.com/mygod911/status/1622537039240642561 を引用させて頂きました。



■1998.「ロバート・L・キャップ・コレクション」米スタンフォード大学フーバー研究所へ寄贈

(要約)米スタンフォード大学フーバー研究所フーバー研究所へキャップ氏から寄贈される。コレクションには、原爆投下直後に広島に駐留していた米兵キャップ氏が撮影した写真や、広島郊外で発見したフィルムから現像した写真などが含まれた。彼が撮影した写真(このコレクションの一部)は広島の荒廃を撮影したものだった、という。また、このコレクションには、彼が撮影したのではなく、浜田で見つけた記録も出所も不明のフィルムから現像した写真も含まれている、という。

スタンフォード大学フーバー研究所「ロバート・L・キャップ コレクション」に関する声明 https://www.hoover.org/news/statement-regarding-robert-l-capp-collection より

 さらに自らのサイトで、母校のスタンフォード大フーバー研究所が「2008年まで公開しないとの条件で元兵士から寄贈を受けた」などの説明を添え、著書掲載を含む10枚の写真を登載した。

2008.05.15 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター 「広島原爆写真」は誤報 実は関東大震災 米研究者が「未公開」と著書などで発表 https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=282 より  

■2007.研究者へ公開

The collection was donated by Mr. Capp in 1998 and opened to researchers in 2007.このコレクションは1998年にキャップ氏によって寄贈され、2007年に研究者に公開された。

スタンフォード大学フーバー研究所「ロバート・L・キャップ コレクション」に関する声明 https://www.hoover.org/news/statement-regarding-robert-l-capp-collection より

■2008.05.01 ショーン・L・マロイ氏、自著『Atomic Tragedy(原子力の悲劇)』にて「ロバート・L・キャップ コレクション」から3枚を掲載

Atomic Tragedy: Henry L. Stimson and the Decision to Use the Bomb Against Japan by Sean L. Malloy(2008-05-01) https://www.amazon.co.jp/Atomic-Tragedy-Stimson-Decision-2008-05-01/dp/B01FJ13J8E  

■2008.05.10 仏ルモンド紙「誰も見たことのない広島」に2枚を掲載 

広島原爆の写真…実は関東大震災 仏ルモンド紙「訂正」
2008年05月14日12時03分 【パリ=飯竹恒一】
 仏ルモンド紙は13日、1945年の原爆投下直後の広島 市内の未公開資料として同紙がこのほど掲載した犠牲者の写真について、「23 年の関東大震災直後の東京近辺の写真だったようだ」と伝えた。
 原爆投下直後の広島とされる写真を掲載した10日付の仏ルモンド紙。「誰も見 たことのない広島」との見出しがついている。
 同紙は10日、焼け野原に死体が積み重なった光景など白黒写真2枚を掲載。 「犠牲者の写真を禁じた米占領当局の検閲で、こうした写真は公開されなかっ た」と説明した。 同紙によると、当時の米兵士(故人)が98年、10年後の 公開を条件に米スタンフォード大学フーバー研究所に託した10枚のうちの2 枚。兵士は広島周辺の洞窟(どうくつ)で写真のフィルムを発見したという。ル モンド紙は同研究所の許可を得て掲載したという。

としまテレビHP 「関東大震災の写真」 指方英佑氏 http://www.toshima.ne.jp/esashi/shockphot.htm より 

■2008.05.13 仏ルモンド紙「広島原爆の写真…実は関東大震災」訂正記事を掲載

広島原爆の写真…実は関東大震災 仏ルモンド紙「訂正」
2008年05月14日12時03分 【パリ=飯竹恒一】
(前略)だが、13日の同紙は「極めて疑わしい写真」という大型記事を掲載。10枚 のうち少なくとも4枚が関東大震災直後のものとする専門家の指摘などを紹介し た。犠牲者の帽子が20年代のものであることや、当時の広島にはなかった煙突 が見えていることなどを理由に挙げ、「フーバー研究所が、確認できていない写 真を公開するとは想像もしていなかった」と弁明した云々 とある。

としまテレビHP 「関東大震災の写真」 指方英佑氏 http://www.toshima.ne.jp/esashi/shockphot.htm より 

■2008.05.14 米スタンフォード大学フーバー研究所「ロバート・L・キャップ コレクション」に関する声明

On Prof. Malloy’s website, he acknowledged the Hoover Archives’ statement that the photos were from an unknown photographer and he asked for assistance in identifying them—which came quickly. This information, along with further investigation, indicates that the undocumented photos appear to be from the Kanto earthquake of 1923.(マロイ教授のウェブサイトでは、フーバー公文書館がこの写真は未知の写真家のものであると述べたことを認め、その写真を特定するための支援を求めたが、それはすぐに集まった。この情報は、さらなる調査とともに、文書化されていない写真が1923年の関東大震災のものであることを示している。

https://www.hoover.org/news/statement-regarding-robert-l-capp-collection

ロバート・L・キャップ・コレクションからの広島の写真

ロバート・L・キャップ・コレクションからの広島の写真
注:スタンフォード大学フーバー研究所アーカイブズのロバート・L・キャップ・コレクションには、広島の原爆投下直後の写真とされる10枚が含まれている。キャップ氏は第二次世界大戦後、広島市外の占領軍に配属された。キャップ氏のオーラル・ヒストリー(ロバート・L・キャップ・コレクションで写真とともに閲覧可能)によると、彼は広島市郊外の洞窟で、未現像フィルムのロールの中からこれらの写真を発見したという。これらの写真を公開して以来、私はこれらの写真のうち数枚が実際に1923年の関東大震災を撮影したものであるという信頼できる証拠を得た。コレクション全体について語ることはできないが、この証拠はすべての写真に重大な疑念を抱かせ、フーバー文書館が提供した識別が間違っていることを強く示唆している。私は、元のアーカイブの指定が正しいことを確認するための追加措置を講じなかった私自身の全責任を負います。私は写真を削除し、出版社に訂正を送り、私が受け取った写真に疑義を抱かせるすべての証拠をフーバー公文書館に直接転送し、彼らが独自の調査を行えるようにした。その調査によって、キャップ・コレクションをめぐる状況が明らかになれば、私はその情報をここで公開するつもりである。

https://faculty.ucmerced.edu/smalloy/atomic_tragedy/photos.html

■2008.05.15 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター 「広島原爆写真」は誤報 実は関東大震災 米研究者が「未公開」と著書などで発表

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=282  

■編集委員 西本雅実
 米カリフォルニア大の歴史研究者が「未公開の広島原爆の写真だ」と著書やインターネットで公開した写真が、関東大震災のものであることが広島市の原爆資料館などの調べで分かった。米メディアが問題の写真をサイトで次々と紹介し、フランスを代表するルモンド紙も信じた結果、13日付で訂正を出すなど、広島原爆をめぐる誤報が国際的に広がっている。
 研究者は同大のショーン・マロイ准教授。1945年の原爆使用を決定した米国指導者らに焦点を当て発刊した「アトミック・トラジディ(核の悲劇)」で、おびただしい遺体などを収めた3枚の写真を、「身元不詳の日本人カメラマンが直後に撮った未現像のフィルムを進駐した米軍兵士が広島郊外のほら穴で見つけた」と紹介して載せた。
 さらに自らのサイトで、母校のスタンフォード大フーバー研究所が「2008年まで公開しないとの条件で元兵士から寄贈を受けた」などの説明を添え、著書掲載を含む10枚の写真を登載した。
 写真の存在をウェブで7日に知った資料館や中国新聞は、写っている救援の人々の姿が戦時下の服装ではない▽背景の建物は広島ではないと、問い合わせに回答。1923(大正12)年の関東大震災の写真とみて関係団体に照会し、10枚のうち6枚が大震災を収めた当時の写真集にあることを確かめた。他の写真も同じような光景から関東大震災を撮った可能性が高い。
 しかし、米ネット・メディアが一連の写真を「未公開の広島原爆の写真が見つかった」と次々と報じ、ルモンド紙やイタリアのテレビ局など欧州メディアもマロイ氏の説明を信じて報じていた。
 資料館などの指摘に対してマロイ氏は13日、「広島原爆だとしたのはフーバー研究所の所蔵記録に基づくが、正しいかどうかを調べなかったことを悔やむ」とメールで回答してきた。自らのサイトからは10枚すべてを削除している。

2008.05.15 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター 「広島原爆写真」は誤報 実は関東大震災 米研究者が「未公開」と著書などで発表 https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=282 より  


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