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「南京事件のニセ証拠」 ~中国、関東大震災・犠牲者の写真で捏造する~

はじめに  2016年5月18日中華人民共和国政府公式サイトに「南京が侵略日本軍の写真帳の寄贈を受ける」という記事が掲載された。発見者は王衛星氏で、中国国内の権威ある機関で繰り返し比較検証した結果「これらの写真が南京大虐殺の史実の詳細を忠実に反映し、信頼性があり、出所も確かなものだ」と判断。7月5日の侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館HPによると、「北支派遣纪念」写真帳には100枚余りの写真があり、所有者は「腾岛泰男」という人物で、日本陸軍第16師団所属であることが判明した、と

    • 韓国・啓明大東山医療院名誉博物館長 鄭成吉氏、「関東大震災」被災者写真で虐殺を妄想

      はじめに  2013年2月3日、写真収集家ともされる韓国・啓明大東山医療院名誉博物館長 鄭成吉氏は、2枚の写真を提示して「関東大震災」における朝鮮人虐殺の証拠だと主張した。これは、1月24日東京都が関東大震災における歴史教科書の内容を再検討する発表に対して韓国聯合ニュースが反応した記事である。  証拠写真とされる写真は関東大震災における「吉原(岡田紅陽氏撮影)」と「本所被服廠跡」での罹災者の写真。場所も明らかであり、当地に朝鮮人大量虐殺の記録はない。鄭名誉博物館長は自身が示し

      • ロバート・L・キャップ・コレクション「広島原爆写真」は”関東大震災”の写真だった

        はじめに  今回の誤用は1998年に米スタンフォード大学フーバー研究所へ寄贈された「ロバート・L・キャップ・コレクション」。寄贈時に関東大震災罹災者の写真が混入していたが、確認作業を怠って見抜くことができず、2008年の公開時に発覚した。  日本の各種関係者や団体、研究者からの情報提供により関東大震災時の写真であることが確認され、公開したアメリカの大学や研究者、フランスの報道等は謝罪文を掲載した。 *なお本稿に際して、Ⅹ(旧Twitter)藍金黃@mygod911『《北支派

        • 森村誠一『続・悪魔の飽食』ニセ写真事件 “生体実験写真”は明治のペスト資料だった

           1982年7月1日発行の『続・悪魔の飽食』は、森村誠一の連載(共産党機関誌「赤旗」掲載)を書籍化してベストセラーとなった『悪魔の飽食』の続編。  鳴り物入りで発売された本書であったが、核心ともいうべき掲載写真が全く関係のない明治時代の書籍からの盗用であったことを9月14日、日経新聞による本人取材で明らかになる。翌15日、日経新聞は前日の取材内容と合わせてニセ写真事件として報道した。 ■自滅した初版本PR■盗用した巻頭写真(36枚中20枚)と、共産党赤旗特報部長下里正樹氏に

        「南京事件のニセ証拠」 ~中国、関東大震災・犠牲者の写真で捏造する~

        • 韓国・啓明大東山医療院名誉博物館長 鄭成吉氏、「関東大震災」被災者写真で虐殺を妄想

        • ロバート・L・キャップ・コレクション「広島原爆写真」は”関東大震災”の写真だった

        • 森村誠一『続・悪魔の飽食』ニセ写真事件 “生体実験写真”は明治のペスト資料だった

          朝日新聞の”誤報”『これが「毒ガス作戦」と元将校』の経緯と顛末

          1984年10月31日 朝日新聞1面  『「これが毒ガス作戦」と元将校』当時の日本軍内部写真を公表 1984年11月11日 産経新聞 社会面「毒ガス」実は「煙幕」? 1984年11月12日 朝日新聞の抗議 産経新聞社会部デスク高山正之氏の回顧録 1984年11月12日(13日?) 朝日新聞の反論 1984年11月13日 産経新聞 社会面  「やはり毒ガス写真ではない」 1984年11月14日 朝日新聞3面下二段  「日本軍の化学戦の写真 贛湘作戦とわかる」 (1

          朝日新聞の”誤報”『これが「毒ガス作戦」と元将校』の経緯と顛末

          石川水穂氏論文:フォーカス「斬首写真」誤用事件(文藝春秋)

           フォーカスが関東大震災亀戸事件とした斬首写真は全く誤りだった。しかも九冊の本が同じ誤りを犯してる。                    石川水穂(サンケイ新聞社会部)  まだ厳しい残暑が続いていた八月三十一日。問題の『フォーカス』(九月七日号)は発売された。おそらく、翌九月一日の関東大震災六十一周年にあわせたのだろう。12ページから13ページにわたって、「“亀戸事件”の現場—関東大震災後に61年を経て公開された現代史の暗部」と題する生々しい裸の斬首死体の写真が掲載され、

          石川水穂氏論文:フォーカス「斬首写真」誤用事件(文藝春秋)

          1937/09/01 上海ベイビー資料

          <注意> 下記にある活字情報は、誤字・脱字・翻訳ミス等の可能性が多分にあり、正確だという保証はありません。引用等は自己責任でお願い致します。 1.『North China Herald 』2.『神州日報』<日文翻訳> 南駅での敵機による残虐行為。 敵機による南駅爆撃という残虐行為は、隠蔽を意図していた。 500人以上の難民が死亡または負傷しました。 同盟のニュース(=『同盟句報』)は完全な捏造だった。 敵の飛行機は、戦場の外にある私たちの文化施設を何日も爆撃し、罪のない人々

          1937/09/01 上海ベイビー資料

          1937/08/31 上海ベイビー資料

          <注意> 下記にある活字情報は、誤字・脱字・翻訳ミス等の可能性が多分にあり、正確だという保証はありません。引用等は自己責任でお願い致します。 1.『The Sydney Morning Herald』Page 10

          1937/08/31 上海ベイビー資料

          1937/09/13 上海ベイビー資料

          <注意> 下記にある活字情報は、誤字・脱字・翻訳ミス等の可能性が多分にあり、正確だという保証はありません。引用等は自己責任でお願い致します。 9月13日の出来事(現在、執筆中) 1.『同盟句報』支那代表付属文書提出 ジュネーヴ【九・一三】 支那代表顧維鈞氏は十三日アヴノ ー ル事務総長に提訴理由を縷述した付属文書を提出したが前文は次の通り  支那政府は一九三七年ハ月三〇日附をもって連盟に対し日支問題に関する覚書を提出したがそれ以来日本の支那侵略は一層熾烈粗暴を加え第三国

          1937/09/13 上海ベイビー資料

          1937/08/25 上海ベイビー資料

          <注意> 下記にある活字情報は、誤字・脱字・翻訳ミス等の可能性が多分にあり、正確だという保証はありません。引用等は自己責任でお願い致します。 8月25日の出来事「上海ベイビー」が撮影された8月28日の上海南駅爆撃から3日前(25日)日本海軍第23航空隊(16機編成)が出撃し、浦東一帯と江南兵器工廠(=上海兵工廠(江南造船所・海軍飛行機製作所))を爆撃した。日本側では、係留中の中国軍の巡洋艦と汽船各1隻を撃沈し、兵器工廠は「灰燼に帰した」と記録している。 『同盟句報』が報じた

          1937/08/25 上海ベイビー資料

          1937/08/29 上海ベイビー資料

          <注意> 下記にある活字情報は、誤字・脱字・翻訳ミス等の可能性が多分にあり、正確だという保証はありません。引用等は自己責任でお願い致します。 1. 米軍「第四海兵隊本部」機密事項 https://www.bnasie.eu/Asset/Source/bnArchive_ID-104_No-02.pdf 2.『申報』(右)昨日の午後、南市を爆撃した敵機 未曾有の事態となった南駅 駅の連絡橋に爆弾が落とされ、列車を待っていた数百人の人々が死傷した。 市内各所に爆弾が投下された

          1937/08/29 上海ベイビー資料

          1937/08/30 上海ベイビー資料

          <注意> 下記にある活字情報は、誤字・脱字・翻訳ミス等の可能性が多分にあり、正確だという保証はありません。引用等は自己責任でお願い致します。 1.中国国民党<日文>29日 中国の新聞「大紀元」によると、昨日、我々が南駅を爆撃したとのことです。 死傷者は600人とも700人とも言われている。 軍事的な装備は一切なかった。 軍隊は無し。 蒋氏やりましたね。 非人道的と罵られた。 英字新聞も同じことを宣伝していた。 実は、南の駅と瀏川は。 中国軍の兵站は大事な場所だった。 重要な

          1937/08/30 上海ベイビー資料

          1937/08/28 上海ベイビー資料

          <注意> 下記にある活字情報は、誤字・脱字・翻訳ミス等の可能性が多分にあり、正確だという保証はありません。引用等は自己責任でお願い致します。 1.『上海方面戦闘詳報』「軍艦加賀」2.『同盟句報』第7号https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A01_0107_007.pdf 3.米軍「第四海兵隊本部」機密事項 https://www.bnasie.eu/Asset/Source/bnArchive_ID-104

          1937/08/28 上海ベイビー資料

          1937/08/26 上海ベイビー資料

          <注意> 下記にある活字情報は、誤字・脱字・翻訳ミス等の可能性が多分にあり、正確だという保証はありません。引用等は自己責任でお願い致します。 1.米軍「第四海兵隊本部」機密事項 https://www.bnasie.eu/Asset/Source/bnArchive_ID-104_No-02.pdf 2.『Sydney Morning Herald』<日文:翻訳> NEW DANGER 上海で警報。 南太平洋を爆撃する脅威がフランス領に迫っている。 (特派員より)上海,8

          1937/08/26 上海ベイビー資料

          (仮)伊藤兼男の従軍日誌 その1

          はじめに これは「侵略日本軍南京大虐殺犠牲者記念館」の所蔵資料で、日本軍航空隊員「伊藤兼男の写真集」として公表された資料である。当館は南京事件の証拠だと主張しているが、つまびらかではない。  そこで、現在までに「伊藤兼男の写真集」として公開された十数枚の写真(真偽不明の写真込)や、公開情報から得られた彼の軍歴を木更津航空隊の軍事記録との比較を行い、且つ南京大虐殺の証拠能力について検証してみたい。  なお、製作者が「伊藤兼男」とする重要な根拠や顔写真などは開示されていないため「

          (仮)伊藤兼男の従軍日誌 その1

          朴永心証言・取材記事1(検証)   ~慰安婦となった経緯~

          1.1938年3月 朝鮮出国の証言  朴永心は”1938年3月、17歳の時に南京へ鉄道(または自動車)で移動”とする内容の証言(①1995.北朝鮮/②1999.ニュース打破/③2000.女国裁法廷)をした。  日中戦争(1937~1945)初期の1938年は、南方向(南京)と北方向(天津)から日本軍の侵攻が進められた。平壌―南京間にある「徐州」は未だ日本軍の非占領地域であり、鉄道であろうと自動車あろうと通行不可能であった。平壌から南京へ陸路で移動できるようになったのは193

          朴永心証言・取材記事1(検証)   ~慰安婦となった経緯~