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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)

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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことばが あなたさまの自分軸にも立ち返るきっか…
最後まで全文読み放題の買い切りマガジンです。 まとめてお読みいただけることで、より内なる軸と繋がり…
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#メッセージ

書きたいことと、伝えたいことは違う ~軸が昇格するとき~

こんにちは、流香です。 あらためて、記事をお読みくださり、スキやフォローもありがとうございます。 と先日降りてきたのですが、「書きたいこと」と「伝えたいこと」は違うのだと。

優しさの中で記事を書く

いつもではありませんが、時々手を合わせながら記事を書いています。 それは「書きながら…」というより、書く前に。 今日は、どんなことをお伝えしようかな? 考えている、パソコンに向かう前の時間も大好きで。 いろいろ思い浮かんでは、一つに絞れなくて 「すべてまとめて、祈る」ような時間が大好きです。 *** はたして、文字だけで、活字だけでいったい何を、誰に貢献できるというのだろうか。 そんなことを考えると、なんて烏滸がましいんだと思うのですが 人は、自分も含めずい

一言エッセイ ~可能性はひらき続けるもの~

今朝は、ふと浮かんだ言葉をお贈りしますね。 とてもシンプルですが わたしならできる わたしだからできる だから あなたにもできる。 この三段活用、何気に素敵だと思いませんか? 自分を信じることば、 自己価値を見出すことば、だけで終わらず だから、あなたにもできる。 バトンを、そっと意識できることで その人の可能性はもっとやさしく無限大に伸びていく。 ここ、目には見えませんが この三文の中だけでも循環していて。 誰かが体験したよきことは、きっとその意

その才能、選べるなら何に使いますか?

そう、選んでいいんです。 あなたのその才能、どう生かすか、生かしたいか… あなたのこころは、知っています。 そしてそこに、あなた自身の活かし方、自分もよろこび、お人もよろこぶ生き方の交錯answerがあります。 …才能? 「そんなこと」「そんもの私に…」「いえいえ」 でもね、多かれ少なかれ0.1㎜は自覚されていらっしゃるのではないでしょうか? そういう部分を、もっともう隠さずに生きていくこと。 その才能、誰に、またどんなことに使い、生かしたいか? もし、自分

発信に遠慮はいらない

みなさまは、発信をためらったり、遠慮するようなことがあられますか? たとえば、ダイエット中の方もいらっしゃるから ケーキや食べ物の話は控えておこうとか… ~~さんは、〇〇だから △△について書くのは止めておこうとか… (例えば、ご離婚・ご離職だから 結婚・仕事については書かないでおこうとか…) これ、普通に気が利くお方だったら、 「やっぱり遠慮しておこう」となるかと思います。 またもちろん、リアルな1対1の世界では直接そういう配慮もできますし 「する/しない」以前に

「好き」でやっていることなら文句も出ない

ふと、降りてきたこと… 「好き」でやっていることなら 文句も不満も出ない。 「やれ」と言われてのことなら 文句と不満しか出てこない。 結局自発が大事なのだと感じています。 とてもシンプルですが、原点に還ることもとても大切。 「それをやっているのは、誰かに言われたからですか…?」 いいえ、わたしがオレが自分で決めて 選んだ道なのだと 自分で言えるとき、そこにはなんの不満も文句もなくなる。 あるのは、究極「楽しみ」だけ…♪ そういうあり方で、そういう心持ちで

未来の自分に誇れる生き方をする2

ふと、2年前の投稿が出てきました。 タイトルは「未来の自分に誇れる生き方をする」。 過去を振り返って、自分に思いきり「ありがとう」を伝えたくなりました。 続けてくれて、ありがとう。 2年前のあなたが、それからも変らずにずっと書き生き続けてくれたから いまのわたしがあって。 また、新しい世界も見ようとすることが出来ています。 過去のわたしへ、生きつづけてくれてありがとう。 もしかしたら、今も2年後のわたしがどこからか「ありがとう」と言ってくれているのかな? そん

素直な自分を表現できると福がくる

ほんとうの本音を知るって、なかなかむつかしいです。 自分では「怒っている」つもりが、ほんとうは 構ってほしいだったり。 自分では「愛したい」つもりが、ほんとうは 愛されたかったり。 いつもいつも、その奥にある部分と直結して生きることが ほんとうに自分の望みを、自分らしく生きる唯一の道である気がします。 でも、人はつい建前で生きてしまいます。 なぜか? それは、「建て前」という概念もなく、自分自身が本音に気づけていない場合が多いと思うのです。 だから、その感情や行

複数の次元(世界)をもっていることが幸せにも繋がっていく

「一つ」のことを、コツコツずっと続けられるのも才能。 なんでも諦めずに、やり遂げられることも奇跡。 と同時に、わたしたちは今「複数の」次元(世界)を生きることも 求められていて。 ベースに流れているものは同じでも、 そこからの枝葉となる世界を、ぐんぐん広げ「複数」持てていることが わたしたちの幸せを下支えするのだと強く感じています。 例えば。 「仕事」もその一つ。 ずっと以前は、一つを極めることこそ凄いという終身雇用の時代でもあり そこから外れた生き方は「

伝えたいことがある幸せ ~「書きたい」との違い~

今日は山の日ですね。 相変わらず「なんの日か?」よくわからないのですが 今日からお盆休みの方もきっと多いはず。 今回は(も?)、のんびり書きたいのですが いま幸せだなぁと感じていることは 「伝えたい」ことがある幸せ。 「書きたい」幸せじゃ、ないのです。 「伝えたい」ことがある幸せ… これ、似ているようでまったく違うのだと 今自分の体感をもって感じつくしています。 この微妙な違いを、自分のなかで感じられるようになると 「書く」はもっと、楽しく集中したものになれ

コロナかもを乗り切る自主性と女性(女性性)の大切さ~

今はほとんどの人が、もし「コロナかも」になっても 自らは言わないと思うのです。 それは、いろんな配慮からですが 特にネットでは、より慎重になるからか あまり「実際のこと」は語られない…傾向があるように感じています。 でも、ニュースに流れていることと、実際の体験では やや差があることも事実。 そして差異があっても、それを伝える気力体力がなかったり。 言語化が大変で、シェアまで追いつけないのもきっと事実。 でも、わたしは 今後の人生においても、とても大切なことがあると感じ

いま一番したいことは?

もしこう聞かれたら。 「こんなことやってみたい!」 「◯◯へ行きたい」 「~が欲しい」 いろんな願望が出てくると思います。 そして、そんなふうに“湧き上がる”ものを持っていられるって とても幸せなこと。 でも、その一番目の階段の欲望というのは、 その下にそれを支えるたくさんの階段があって。 少なくとも、十段。 その願いを支えてくれている、十段目の階段ってなんだろう… もうすでに叶っているから、あえて意識として願いには上がってこないけれど 芸術的に積み重

出逢ってよかった、思ってもらえる人になる

夜中に、ふと目が覚めて。 「出逢ってよかった」と、思ってもらえる人になる そんなことばを受けとりました。 とてもやさしいメッセージで、忘れないようにメモに残し。 ふたたび眠りについて思うのは というやさしい問い。 そこから、ありたい自分をみつめて、書く軸を決めてみるのもわるくない。 たとえば、「出逢ってよかった」と思える人の共通点としては ・それが、成長に繋がれていたり ・支えや癒しになれていたり ・ほんらいの自分に還るきっかけになれていたり… いろいろある

人は当たり前になると発信しなくなる

「そんなこと、書いたって…」 「別に、大したことでは」と 人はどんどん「自分にとっては当たり前なこと」ほど発信しなくなる。 でも、人のほんとうの強みや智慧って そんなところにほど隠されていて。 だから、まずはどんなことでも素直に自己表現することから 自分だけの種を、育てていく。 見つけていく。 でも、感情のままばかりに書きすぎると 何が、自分にとって「大切な当たり前」なのか わからなくなってくる。 だから、気に留めていたいのは 「それは、百年後でも石に