雨の降る日は
昨夜から雨が続き、今朝は寝室でも12度と寒かった。
まだ二十代の始め頃、雨の日には夜な夜な出掛けていた。雨の日は人出も少なく、狭いスナックバーのカウンターで静かに飲めた。そういう雰囲気が大人になったと、酒よりも、自分自身に酔っていたのかもしれない。
何となく行ってしまうのが、喫茶店に近い雰囲気のスナックで、店内は薄暗く、20歳は年上に見えたママさんが一人だけの店だった。いつも客が少なく、雨の日には特に少なかった。友人数人とも、最初に行くのがこの店で、ここで少し飲んでから次に行った。
たまたま次の店で、ママは今は一人暮らしだが、旦那は別荘で7年は帰らないと聞いた。別荘は何処に在るのかなどと、バカなことを聞いた。893でムショ暮らし、10年の長期刑を受けていた。10年とは、かなり長い。肉感的で大人の魅力を感じて、一人暮らしと聞くと哀れに思え、雨の日には必ず通っていた。
たまたま今日のように激しい雨の日に行き、「今夜はもう閉めようと思っていた」そう言ってドアを閉め、入り口の灯りを消した。二人で飲みながら、片付けを手伝っていて・・・酔った勢いで抱きつかれて慌てて逃げ出した。なのに数日後には、友人に誘われて飲みに行った。何事も無かったように、いつもと全く変わらない応対だったのに、一人でドキドキしていた。男女の仲なんてその場限り、そう割り切れるのが大人の女性だ、と妙な感心をした。ある意味、大人の女性は何をしても表情に出さないという狡猾さというか、この演技力は他の男性を傷つけない思い遣りというのか。
もう一軒が、父が良く通っていた小料理屋の、すぐ隣のバーだった。父は遅い時間にこの店に行っていたようだ。ママは和風の髪型で、痩せていて、いつも着物に割烹着姿だった。むかしは神楽坂芸者だったそうだ。
父は小学校を卒業すると、東京の親戚を頼って家出をした。そのまま神楽坂の親戚で育てられ、学校に通っていた。昔の神楽坂は芸者さんも多く、門前の小僧・・・ではないが、しだいに小唄や端唄を覚え、叔父と一緒に三味線も習ったとか。その懐かしさから、小料理屋が閉まる頃を見計らって、ママの三味線に合わせて唄うのが楽しみだったようだ。
当時は遅くても10時には帰るので、父に会うことなど無かった。バーには6人か7人の女性がドレス姿で接客をしていて、その中の一人が読書好きで、この子と話すのが楽しみだった。ママもかなりの読書家で、雨の日には一緒に話に夢中になった。酒には弱く、余り飲める方ではないのに、こういう時は不思議と薄めたウイスキーを何杯も飲んでいた。文学とウイスキーなんて、まさに大人だと勝手に思い込んでいたようだ。
たまたま遅くなって帰るときに、外で父とばったり会ってしまった。運悪くタクシーも頼んでなかったので、隣の小料理屋で付き合うことになった。小説の話も良いが、この店に行くようになり、父から芸者遊びの規則のようなことを教えられるようになった。戦前から遊び人だった父と、かつて神楽坂芸者だったママさんから、いろいろと教えられた。ただし、ほぼ11時頃にはダウンして、気が付くとタクシーの中だったのだが。
ある日昼間から、父から飲みに行こうと誘われた。その日は雨は降っていなかった。
かなり飲んでいたようで、身体を揺すられて目が覚めると、父はいなかった。介抱してくれた女性に手を引かれ、フラフラと女性の家まで行ってしまった。ということまでは、ウッスラと記憶していた。街にはまだ大勢が歩いていた。
少し寝てしまったようで、その後に・・・突然いろいろと起きてしまって。
これは父が仕組んだことらしかった。
けっきょくタクシーで家に帰ったのが、12時を大きく回っていた。門から少し離れた所で降りて、歩いて酔いを覚まそうとした。門をくぐったところに、母が立っていて、息が止まるほど驚いた。遅くても10時には帰っていたのが、余りにも遅い時間に心配をしたのだろう。
今から思えば笑い話になるのだが、その晩に事情を聞かれ、なんとも、正直に起きたことを話してしまった。
翌日、仕事の始まる前から夫婦喧嘩が起きて、父は家を出た。翌日から半月くらい、朝来ては仕事をして、もちろん母とは一切口も聞かず、夕方になると何処かへ行ってしまう。仕事中に指示を仰ぎに行くと、今までと違い余り話さなくなっていた。後で大人同士の遊びを、カアさんに詳しく話すななどと怒られた。
その後、間もなく母の癌が発見され、47歳で逝ってしまった。その少し前まで一緒に風呂に入っていた。従業員用に4人くらいは入れる大きさの湯船があったので、母といつも一緒に入り毎日の出来事を話していた。あの晩以来、母との入浴は何となく恥ずかしさを覚え始めていた。
気づいた頃から、常に周りには女性がいて、着替えも入浴も、子守のネエ達と一緒だった。ネエ達が高校を卒業して家から出ると、代わりに母と一緒に入るようになっていた。それが当たり前のような習慣だったのに、女性に対する見方が変わってしまった。母も同じ様なことをしていたのかと思うと、独占していたのにという、何とも複雑な気持ちだった。母に対して母親というだけではなく、女のイヤらしさのようなものまで感じ始めてしまった。当たり前の事が、当時の自分には世の常識とかけ離れていた。
時々断るようになり、母もその変化に気づいていたようだった。そんな複雑な思いのまま、突然の手術とその後の経過の悪化で、何も話せないままの別れとなった。
母との別れと前後して、大切な人も失った。
それからの数年で、自分の人生は大きく変わってしまった。
猫を抱き、吹き付けてくる雨音を聞いていたら、あんなにも自由でワガママで、思い通りに生きていた頃が懐かしく思える。何をしても戻る事は出来ないのに。
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