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旅とか温泉とか食とか

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温泉や食、何となくの記録として・・・。温泉は近くばかりだけど、ほぼ毎月出かけてる。自分で気に入らないと書きたくない。今はニャンコふたりが育ち盛りなので、1泊しかできない。
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2023年10月の記事一覧

混浴風呂を思い出し・・・

保護ネコを引き取ってから、ほとんど旅行に行かなくなった。旅行といっても、ほんの近くの温泉宿だが。 行きたい温泉があるが、これが混浴なので実に困る。下心などないが、少しは有るかもしれないが、湯が透明では目のやり場に困るものだ。俗に「ワニ」という、女性の裸が目的で来てる、日頃から余程モテない人がいる。温泉文化を愛する者としては、こういう連中を最も嫌う。混浴も大事な温泉文化の一つだが、湯治とはかけ離れた目的で来られては、その伝統文化の継承を断ち切ることにもなりかねない。休日前後の

沢渡温泉の街中華

真夜中に目が覚めてしまった。夕べは寝付かれず、軽いスナックコーン菓子を少しなら大丈夫だろうと、けっきょく一袋食べてしまった。そしてまさに真夜中に、喉まで上がってきた。同じ事を何度も繰り返してしまう。 寝付かれなくなり、何気なくnoteを記事を読み、沢渡温泉の上州軒を思い出した。 旅というと温泉地の町中華、昭和30年代の町中華の味を思い出してしまう。「街」ではなく「町」、寂れた小さな温泉地の中の、風に吹かれた暖簾に歴史を感じる、そういう町中華が好きだ。 若山牧水が沢渡温泉

今夜は手抜き料理で、チョッと一杯。 手作りのポテトサラダと、サーモン刺身を寿司飯に乗せて…カレイの唐揚げも。カレイの唐揚げは、骨と尻尾がカリカリとした歯応えで好きなんだな。

老人のお付き合い・・・問題アリ?

ある独身女性を万座温泉に誘った。腰の痛みで背伸びが出来ないとか、何となく家族の中で疎外されているようなので、気晴らしになればと思ったのだが・・・。こういう気遣いに対して、どうも家族は要らぬ心配をするようだ。 互いに結婚など意識してないし、こちらが大丈夫でも・・・、もうお互いに繁殖能力は失せていると思うのに。 万座温泉、泉質は「酸性硫黄泉」、硫黄成分の含有量は日本で最も多く、湧出量も1日に540万リットル、しかも標高1800mの高山に位置している。白い濁り湯でも有名で、硫黄

伊香保の仁泉亭かスマホか・・・

1ヶ月も経つと、何となくソワソワしてくる。猫が2匹もいるので、せいぜい1泊しかできないだろうが、ならば近くの伊香保温泉へ行きたいものだが。 4年半使ったスマホが、どうも動きが怪しくなってきた。ほぼ2年で機種交換をしてきたが、キータンの具合が悪くなったりして、何となくそのまま過ごした。 たかが猫1匹なのに、いつまでもこの子だけは忘れられない。スマホ内の8割はキータンの姿ばかり。 来週は固定電話の解約と生保の見直しと解約、そしてdocomoオンラインショップでスマホを購入し

冷凍のズッキーニを炒めると・・・

アラビアータの後なので、サッパリしたものを思った。 冷凍したズッキーニは、どうもイカンですな。 食感がフニャフニャしてて美味くなかった。 冷凍ズッキーニは、解凍したら煮物かな。

老人の作るアラビアータ

今朝は何となくパスタが食べたくなった。特に辛い辛いアラビアータが。 そんな時に実花さんの記事を見てしまって、我慢できなくなった。 ⇑・・・著作権違反かな。スミマセン パスタを茹でるのが面倒で、食べたい時に直ぐに食べられないと・・・イヤなので、邪道ですが、冷凍してます。 5束、500gを全部茹でます。沸騰したら弱火にして指定時間をタイマーでセットして、他の用意に掛かります。 タマネギとニンジンをフードプロセッサーで粗みじんに刻む。オリーブオイルでニンニク・刻み唐辛子・

寂しい食事・・・ではない孤食

時々、何となく料理をしたくなる。 ペンネを固茹でして、パエリアを作ってみた。生米ではまた失敗しそうなので・・・。 サラダはマリネ風のドレッシングを作ってみた。少しこしょうを利かせても良かったかな。 作ってはみたものの、半分以上が廃棄になるかな。普段は何となくの計画的に作ってるが、興に乗ると大勢の家族だった頃の様になる。 娘が来た時に、同居の話などするからこうなったのかも。 一緒に暮らせば、同居費として買い物と朝晩の食事を作っても、居住費その他の出費がなければ、年金の

猿ヶ京温泉「長生館」

少しずつ秋が深まり、朝の寒さで猫ふたりが競って顔の近くに寄ってくる。木々の色も変わる季節になり、腰などの関節が痛み始めると、無性に猿ヶ京温泉長生館が恋しくなる。 猿ヶ京温泉、元々は笹の湯(1軒)と湯島温泉(3軒)だった。さらにいえば、江戸時代は冷鉱泉の笹ノ湯だけで、近在の人達が農閑期に訪れるくらいのようだった。今の長生館の下辺りから湯島(ゆじま)温泉が湧いて、4軒が湯宿として営業していた。赤谷川を堰き止め、ダム建設のため、昭和30年代初頭に現在の高台に移転した。元々の4軒の