見出し画像

祖母と親友の死

「生」とセットで「死」がついてきます。

私の人生の中によく出てくるのが「自殺」というワード。

よく出てくるのか?
それとも私が、それにフォーカスしているのか?

もしかしたら、フォーカスしているがゆえに、良く出会うワードなのかもしれません。そういうことにして、進めます。

いうことをきかないと母が首を絞める。

物騒な折檻の話ではありません(笑)

やんちゃな子供たちはとにかく親の言うことを聞かない。
何度言っても聞かないもんです。
親はあの手この手で、コントロールしようと試みて、脅したり、折檻したりするものです。

その中のひとつに、「もうお母さんはダメだ!死ぬ!!」と悲嘆して、自分の首をコタツのコードで締める、というイベントがありました。

馬鹿なお母さんです。

私はうんざりして、黙って冷ややかに見ていましたが
素直で可愛い弟はビビりなので、母の足にしがみついて
「いやぁぁ~!お母たん、死なないでぇ~!ごめんなさい!!」という展開をしていたので

母はこの手法をわりかし気に入っていたようです。

あるときポロリと

「母親っていうのはね、女優みたいなものなのよ」とドヤ顔で言ったのを
わたしは見逃しませんでした(笑)

今でも兄弟が集まると、このころの折檻ネタの話題をして、みんなで笑い転げます。母はバツが悪そうですが(笑)

他にも、夜中に山や海に捨てに行くというイベントもありました。

いつも途中で、父が通りかかったり、知り合いに会ったりして、中断されて命拾いをしています(笑)

母としては精いっぱいの、こどもへの脅かしだったのでしょう。

祖母が自殺した。

私は両親と住んでいて、母方の両親(祖父母)が同じ敷地の隣の家に住んでいました。

祖母は、耳が聞こえない人でした。

だからなのか、祖母の思い出といったら、いつもイライラガミガミ、ヒステリックに起こっている顔しか思い出せません。

祖父は明るいユニークな人で、いつも冗談を言って母と仲良かったイメージがあります。

ずっとあとになって知ったのですが、おばぁちゃんは母が小さいころに家出をして離婚をしており

母が結婚をするときに、このままではおじいちゃんが一人になってしまうからと、探し出して連れ戻したらしいです。

なので、一緒に暮らしていた時間は少なくて、家族に溶け込めてなかったのでしょうね。

私の記憶の1シーンでは、10歳の頃、母とおじいちゃんがいつものように縁側で談笑していました。

ドッと笑いが起きた瞬間、おばぁちゃんが何か叫びながら、納屋に飛び込んでいきました。

ただならない様子におじいちゃんが、どうした?と納屋に行ったけれど、
どうやら内側から鍵をかけてしまったみたいです。

そのあと、大人が数人で納屋の入り口をこじ開けて

おばぁちゃんが口から黒い液体を垂らして、歯を食いしばっている様子が見えました。農薬を飲んだみたいです。

父が吐かせようとしても頑として吐こうとしない。
救急車を呼んだけど、なかなか来ないので我慢できなくなり、車に乗せようとしても、力の限り抵抗して乗せられない。

その夜、子供たちは親戚の家に預けられました。

夕食の時に弟がふざけて、ご飯の上にお箸をまっすぐ立てたので、怒られていました。

おばあちゃんはその後まもなく亡くなりました。

子供心には、そこまでかわいがってもらった記憶もなかったし、ダメージはなかった感じ。

おじいちゃんはおばぁちゃんの突然の行動の理由がわからず、ただショックだったらしく

毎日長いこと仏壇に手を合わせるようになった後ろ姿が目に焼き付いています。

祖母の心境がわかるようになったのは、大人になってからです。
私が難聴で悩んだとき、死にたいと思うことがあったからです。

親友の自殺

友だちを作ろう、と思ったことはなく、いつも自然に仲良くなって、自然に離れてという感じで

1人でも平気な性分だったので、特定の仲良しな人はいませんでした。

そんな中、高校で他のクラスと列になって移動をしているときに
ふと話しかけた女の子がいました。

人と親密になることはないけれど、父譲りのお調子者な性格がたまにでて
見知らぬ人には、仲良くしゃべれちゃうところがあります。

その時の女の子が、その後休憩時間や昼休みにも、私のところまで来て
「トイレに付き合って?」と言ってくるようになりました。

なんでトイレに付き合わなければならないんだろう?1人で行けよ、と思いつつ、まぁどうせ暇なので渋々付き合っていました。

その子の名前は 裕子ちゃん。

そんな1匹狼な私に、興味を持つ変わり者のクラスメイトはどこでも時折いるもんです。
やたら質問してきたり、話しかけてくる。友だちの多いKさん。

kさんに質問されたり話しかけたら、とりあえず、答える私。
「趣味は?」「好きな芸能人は?」「明日世界が終わるとしたら何をする?」
なぜ知りたいのか不明だけどくだらない質問を単発で、下校の時に不意に投げかけてくるんです。

珍しさなのか、からかいなのかわかりませんが
そんな私とKさんのやり取り様子を見て、裕子ちゃんが感心したように

「ころろちゃんて人の悪口を言わないよね」と言いました。

あれは虐めか意地悪になるのかな?
まぁいじめを経験した私にとっては、この程度は何の害もないので気にならないだけなんだけど。

裕子ちゃんは女性的で細やかな性格だったようです。

周りの目を気にしたり、人並みに、人から見て、ということにすごく神経質な人だということは、ずっと後になって、大人になってから気づきました。

高校生の頃は何も気にしてなかったので鈍かった。

たぶん、そんな鈍くて周りを気にしない自由な私に惹かれていたんだと思います。

でも成人してからは、その惹かれ方が妬みに変わったように感じました。

裕子ちゃんは、地元で就職して、同じ職場で私以上に大好きなかっこいい友達を見つけました。いつも電話で、その女友だちの話ばかりしてくるほどです。

そして、バイクに乗り始めたのも、その友達の影響だといいました。
当時、私も東京で単車に乗り始めて、ツーリングを楽しんでいたので、趣味が同じだ~♪と喜んだものです。でもkoroちゃんの影響じゃないよ!と念を押されました(笑)
裕子ちゃんは1人ではツーリングに行けなくて、いつもそのかっこいい彼女と行ってるようでした。

私は相変わらず鈍いので、なんでそんなことをわざわざ言ってくるのかな?という感じで気にしてません(笑)

あるとき、裕子ちゃんから

「わたし、自殺未遂をしたんだ・・・」と電話越しに打ち明けられました。

理由は、彼女が慕っていたかっこいい友だちが
ある朝から突然、裕子ちゃんを完全に無視をするようになったからだそうです。

同じ職場だし、その子に依存傾向のあった裕子ちゃんは、耐えきれなくなって

睡眠薬を大量に服薬したのだそうです。

「目が覚めたらね・・・生きてた。なんで生きてるの?と思って悲しかった。目が覚めたくなかったのに・・・」

と言ってました。

その後は、精神科のドクターとの恋愛を繰り返したり、ウツを繰り返してました。
何度か心配になって彼女の家にいっても、居留守で会えないこともありました。

島の青年と結婚間近まで話が進んだりしましたが

島で結婚に踏み切れない理由として
「台風が来ると何にもない、こんな所で生きていく自信がない。百貨店やデパートで買い物がやっぱりしたい!」という。
私からしたら、意味のわからない理由。。

その時妊娠もしていて相談を受けて、親のところには帰れないというので
うちに泊まりにおいでと誘って、私んちでお喋りしたのですが

数年後に「あの時泊まりにいかなければ、親に打ち明けて、子供をおろしたりせずに産んでたかもしれないから、人生が変わってた。あなたのせいだ」と恨まれたりしました。結婚したくない、島で暮らしたくない、と言ってたのに。

私が結婚して、男の子を授かり、帰省したときには「私も結婚したい~」と連呼していて、その後市役所に登録してあるお見合いコーナーで知り合い、結婚をしたと聞きました。

私が離婚して、それでも前向きに何とか生活を楽しんで生きてたときには
「私も離婚したい~」と言い出し、手元に「生き生きシングルマザー」という小冊子があったこともありました。
旦那の色んな一面が気持ち悪い、食べ方も気持ち悪い、価値観が合わない、と言ってました。

彼女はとにかく、自分基準ではなく、他人基準で生きてるのかもしれない。
だからすぐに他人の方が幸せそうに見えるのかもしれない。

彼女はひとり息子が4歳のときに、念願の離婚を果たします。

その男の子は普段はとってもおとなしい子だったのですが、ある時、学童で我慢しきれなくて大声を発したらしいんです。その後診察をすすめられて、病院で「ADHD」と診断されたそうです。

彼女はそれに大変なショックを受けて、それ以来、ウツで働けなくなってしまいました。

え・・・?え・・・?

病名が「ADHD]と言われただけでしょ?
その子は今も、今まで通りで変わらないでしょ?
何にショックを受けてるのか、私にはさっぱり理解できないよ!

当時、ネットは今ほど普及してなかったけれど、私はネットをけっこうやってたので、ADHDでも問題ないし、心配ないってことを、何度も伝えたけれど

世間体に重きをおく彼女には伝わりませんでした。
働けないため、生活もしていけないということで、子供は施設に預けることになりました。


そんなある日、彼女に呼びだされました。「koroちゃんに会いたい」と。
彼女から、会いたいなんて言ってくることは珍しいです。

私はそのころ、2度目の離婚を経て、理想の彼氏と出会い、毎日を充実して楽しく過ごしていました。


久しぶりに彼女に会ったら

顔はまるで亡霊のように青白く、生気がなく、気味が悪いくらい…

言葉が出なくて唖然としていると、彼女が
「すごいでしょう?だからこんな顔、見せたくなかったのよ」を力なく笑いました。

昔、心配になって何度会いにいっても、顔を見せてくれなかった。
こんな死んだような顔を見せたくなかったからだという。
なぜ、今日はそんな自分を、私に見せてくれるんだろう・・・

「相談があるの!
彼氏の・・・友達を紹介してくれないかな?
わたしもう結婚したいの」

唐突なお願い。戸惑う私。

「あのね・・・結婚したいといっても、紹介するにしても今の状態じゃ無理でしょ?誰が結婚したい、って思ってくれると思う?

せめて仕事に復帰して、子供も引き取って、頑張っているなぁ、けなげだな、って思ってもらえないと、
相手が結婚したい、と言ってくれないと思うし、
今の段階で紹介は無理だと思う」

「・・・結婚したいんだ。お金もないし・・・もう1人じゃ生きていくの無理」

結婚て、相手の意思もあるし、そんな簡単にできるものじゃない。それに
「どんなに嫌なつまらない旦那だって、お金を運んできてくれる幽霊だと思って、離婚しない方がいいよ」といったのに(経験上)

勝手にシングルマザーにあこがれて離婚したのは、あなただよ・・・

「ごめんね。今は無理だわ。もう少し何とかなったらまた考える」
と答えました。

彼女はその1週間後に、オーバードースで亡くなりました。


わたしに、他に何ができたんでしょうか。
裕子ちゃんは私に、そんな自分の姿を見せておきたかったのかな。

裕子ちゃん、今度は目が覚めなかったんだね。

良かったね。。。


裕子ちゃんは、わたしのこと羨ましくて妬ましかったんだね。


自分を幸せにすることはできても、他人のことは

どうやって幸せにしたらいいんだろう?


生きる希望を 自分で見いだせない人に、どうしたらいいんだろう

私はしぶとく強く、自分のことはなんとでもできるけど
そうじゃない弱い優しい人は、守り切れない


私にとっては、生きることよりも死ぬことの方が難しかった。

死について、多く目にする機会が多いと感じるのは
いつも死を探しているからなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?