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わたしと「死」

いじめが嫌だった

小学校の時、いじめられていました。

細かい記憶はもうないけれど、きっかけは自分で「うち、貧乏なんだ~」とTK君に笑いながら言ったことかな?

私はあまり口を開かないおとなしい女の子でした。TK君は小柄で、大きな男子からよくこきつかわれたり、どつかれてた。

そのTKが、私をストレスのはけ口にしたような感じで、見えないところでのいじめが始まりました。

普段しゃべらないし、友だちとも群れないし、意地悪されても誰にも告げ口したりしないので、都合が良かったのだと思います。

誰もいない見えないところでけられたり、引っ張られたり。陰険なやり方でした。

私は当時から忘れっぽくて、宿題をしていったことが、一度もありません。

あるとき学校の先生が「宿題を全員持ってきたら、次の日は宿題はなし!」と言いました。

それでも毎日忘れてしまうので、TK君に加わって他の男子もいじめをするようになりました。

弟と最近、小学校のころんお話をしたのですが
そのころの私はいつも「死にたい!死にたい」って言ってたらしいです。

こどもだし、忘れっぽいので、本気で死にたい!と思っても
少し歩いているうちに忘れてしまう、その程度だったと思うのですが・・・

でも悔しくて、漂白剤を飲もうとしたり(舌が熱くなって飲めず)
屋上から飛んでやろうとして、早朝学校へ行ったり(たぶん途中で忘れた)

そんな記憶は残っています。


母の真似をして、死を免罪符のように使っていたのかもしれません。


嫌になったら、死にたくなればいい、と記憶に刻まれているのかもしれません。死というものが、どういうものなのか、たぶんまだわかってないんだと思います。


初めて受け持った患者さんの死

始めて、人の死を目の当たりに実感したのは、看護学生のときの実習です。

高校は看護科にすすんだのですが、将来やりたい目標もなく、行きたかった高校には落ちて

親がすすめるままに、看護師の道に進んだので、やる気ゼロで、無気力な高校生活でした。

初めての病院実習で受け持ったのは、末期の胃がんの患者さん。
何を訪ねても、あまり答えてくれなくて、無口で静かな人でした。

何かをしてあげたくて必死な私に気を使ったのかな・・・
ご飯を食べたい?と聞いたら「食べたい」と答えてくれて嬉しくて

点滴栄養だけだったのを、ドクターにお願いして、翌日から流動食になりました。が、当然ほとんど食べることはできません。

なのになぜか、流動食が始まったことで、点滴の本数が減らされます。

当然ながら衰弱していきます、、、(当時はそんなことも気づかなかった)

末期の疼痛で苦しんでうめき声をあげて痛みを訴える患者さん。

本人の希望もあり、眠剤を半分投与しました。しばらくすると、また痛みで苦しみだした。
またドクターに言って、眠剤を投与。

その後に、意識低下、チェーンストーク呼吸、となり
なぜかその日に限って、今まで一度もお会いしたことのない家族が5名ほど面会にいらして(連絡がいったのかな)

みんなが見守りながら号泣する中、その患者さんは息を引き取られました。


さっきまで生きてた。

体はまだそこに、今までと同じあるのに、生命活動を止めてしまった。


もしかして、まさか、わたしが、殺しちゃったの?と、誰にも言えないけれど、しばらくは怖くて、罪悪感に包まれていました。

ご家族に対しては、
「ずっと彼は孤独で寂しかったのに、最後だけ来て泣いてどうなるんだよ!もっと早く会いに来てよ!」と怒りのような気持ちがありました。

私にとっては、初めて、死を目撃したのがこの出来事でした。


それ以降も脳外科の長期療養の看護師をしたり、老人介護をしたりして、人の死を見送ることを多く体験しました。

初恋の兄ちゃんの死

学生時代、気になって好意を寄せてた、友だちのお兄さんがいました。

「あんちゃん♪」と読んでいました。

彼は無口なんだけど、私の好意に気づいてて、まんざらでもなさそうでした。
なんとなく、彼のお母さんや友達も公認みたいな雰囲気で、
友だちが留守の時でも、彼のお母さんや、あんちゃんと一緒にいる日が多くなりました。

若いときって、雰囲気だけで心が通じているような、そんな恋もできるんだから、すごい笑

お互い言葉を交わすこともあまりなかったけど
いろいろあって、お別れのような形になりました。

彼はその数年後に、私の同級生と結婚し、女の子が生まれたそうです。

だけど奥さんの浮気癖がひどくて悩んでいたらしく
2年後くらいに、海岸に停めた車の中で、焼身自殺して亡くなったと連絡がありました。

行方不明になって数日しても、誰も探すことなく、
海岸に放置された燃えた車が発見されるまで、誰も気づいてくれなかったそうです。

彼は、、、愛情は深い優しい人だけど、愛情表現ができない人だったな。
愛し方を知らないというのかな、不器用な人だった。

不器用さというのは、理解してくれる人がいてこそ救われるけど
生きづらいだろうな・・・

長くなりそうなので、またいつか続きを書きます。
(思い出しながら書いているので、順番が前後しています)


https://note.com/jyarinkororo/n/n0b7721ea7d36

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