人が生きている理由
人はなんで、生きるのだろう
なんて、誰もが一度は考えることなのかな。
「なぜ生きるのか」なんて質問は、質問自体が大きすぎて答えようがない。
「そこに山があるからだ」と同じく「生まれたからだ」としかいいようがない?
「じゃぁ、なぜそこに山があるんだ?」と問えば
地殻変動の話から星の誕生までさかのぼって考えないといけない。
人智を超えてる。無理。
「人はなぜ生きるのか」
この質問は、子供のときから、私に問いかけてくる。
当時は、両親が新興宗教をしていたこともあり、生命について書かれた出版物が自宅にあったので、むさぼるように読んでいた。
母にもよく、質問責めにしていた記憶がある。
でも、結局肝心な答えはわからない。
こどもだった私は、いつか大人になれば、どこかで答えが見つかるし、
世の中の真理の答えは、ひとつしかなく、きっといつか見つけられると思っていた。
夜空の星を見上げながら、いつかそれを見つけたい、
知りたい、と心につよく思っていたものです。
生まれて50数年が過ぎて、答えを知れたかというと
いまだに明確なこと答えなんて見つかりません。
ただわかったことは、答えはひとつじゃない、ということくらいです。
答えがひとつじゃないなんて、なぁんて面倒くさい世界なんだろう。
子供の頃から、空気を読むのが苦手で「人の取説」が欲しいと熱烈に思ってしまうくらいだから
この世界にマニュアルがないのは、わたしにとっては、面倒でしかない。
なのに、おかしなことに
自分は「マニュアル」にはあてはまらないように生きていたいと願っていて
マジョリティの選択を避ける傾向にあったりします。
そんな天邪鬼な50年に、特に何かに秀でるでもなく
不安定ながら地道に無事に、生きてこられた訳ですが
なぁんとなく最近思うこと。
「生きていること自体には、そんなに意味はないんじゃないか」
うーん・・・ちがうな。
「生きていることを大きくとらえすぎ」るのかな
あぁ、まだ言葉がまとまっていない
文章を書きながら、自分の中の言葉を整理してみたいと思い、
いまこのnoteを描いています。
(TOP写真は長男が一眼レフで撮影)
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