愛情をはかる5つの指標
こんな大層なタイトルをつけましたが、もちろん愛なんて尺度や大きさで量れるものではありません。
そんな綺麗事はいったん忘れておきましょう。
ただ、根っからのネガティブで心配性で自己肯定感がマックスに低い私でも、今の彼氏に出会ってから、「ああ、私は愛されているんだな」と実感することが増えたその理由は、このタイトルにまとめられると思う。
何を持って「愛されている」と定義するか。
そのへんのことはネットで検索すれば「彼に愛される方法!」というハウツーが山のように出てくるけど、個人的にはあらゆるコストを一番に割いてくれているか、ということが結構大事なんじゃないかなと思っている。
私たちZ世代(97年生まれがZ世代名乗っていいのかという議論はさておき)は、コスパやタイパを重視しているとよく言われる。
情報が溢れかえる現代で、自分の中の限りあるコストをいかに節約するか、給料のほとんどが税金に取られてしまう中でいかに費用対効果が高いものを選ぶか、そんな考え方が無意識に身についてしまっていて、「自分に必要ない、コスパが悪い」と感じたものはバッサリと切り捨ててしまう、そんな一面も持ち合わせているような気がする。
そんなコスパ、タイパの価値観で生きているからこそ、必然的に自分が本当に好きな物事だけにコストをかけるようになっている。
美容好きな人は毎月新作のコスメや美容医療にお金をかけるし、電車好きはわざわざ時間をかけて鈍行列車で旅をする。他人には無駄のように思えるものを集めるコレクターもいる。
そんなピラミッドのトップに自分を据えてくれているとわかるのが、「愛されている」という証拠なんじゃないかと私は思う。
コストと一言でまとめても、いろんな分類や解釈があると思うけど、結構メジャーどころでいくと下の5つだと思う。
時間(時間的コスト)やお金(金銭的・経済的コスト)はとてもわかりやすい。ちゃんとデートの予定を開けておいてくれるとか、忙しくてもLINEの返信を返してくれるとか、デート代を奢ってくれたり、プレゼントをくれるとか。
労力や手間(肉体的コスト)など、デートプランを考えるとか、反対方向なのにわざわざ家まで送ってくれるとかそういうものもありそうだし、
相手の立場に立って考える(頭脳的コスト)というのも、自分の常識や主張を押し付けず、きちんと向き合って話し合いをするという立派なコストの一つだと思う。
最後が気遣いや優しさ(精神的コスト)。行動の根底にあるものだから目に見えないし、推しはかりようのないものだけどこの中で一番大きくて一番重要な要素かもしれない。
私が「うわ〜愛されてるなあ」と感じる時、この5つのコストのうち最低でも3つは揃っていることが多い。
この前なんて、「疲れたでしょ、お風呂沸かしといたよ。晩御飯何か食べたいものある?俺、買い物行ってくるからご飯できるまでゆっくりお風呂にでも浸かっててね」と彼に言われて、言われた通りお風呂を堪能してホッカホカであがったら、食卓にご飯が並んでいたときは、さすがに最大限の愛を感じた。
お風呂を洗う手間、食材を買うお金、献立を考えて料理をする時間と手間、そして疲れてるからゆっくりリラックスしてほしいという考えや優しさ。
……フルコンボでは?
なんか、あまりに優しすぎて、嬉しいとかを超えて、どんな教育受けたらこう育つんだろうかと親目線で考え込んでしまった。
コストは言い換えれば、その人が持っているリソースをどこに・どのように手放すかを決めることだと思う。
手放し方はその人の自由。自分に使っても良いし、他人にあげても良い。モノでも体験でもいいし、なんなら犬や猫だっていい。
そんな選択肢がたくさんある中で、「あなたに使って欲しい」「あなたのために使いたい」と思えることが愛なんじゃないかなと、ぼんやり思うなどしました。
コストといえば、例えとして超わかりやすいなと思ったのが、オタク。
地方遠征や多ステなんてまさに時間とお金と体力の結晶。
そこまでしてもファンサひとつもらえずに干された時はもうヤケクソになるけど、それでも懲りずに自分のコストを推しに捧げる姿、これを愛と呼ばずしてなんと呼ぶのだ。
そして熱量が冷めたときに、「私何やってたんだ…」と冷静になるまでがセット。体験的に支払ったコストが大きいほど、喪失感や虚無感も大きくなるんだよね。
いらなくなったグッズをメルカリで売って、かけた数分の1のコストでも回収して、次の推しに使いたいと思うのがオタク心理だよね〜〜(私だけ?)
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