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はじめまして、寂夜です。

何から書き始めれば良いのか・・・良く分からないんだけど、取り敢えずは誰も興味を持たないと思われる自己紹介などを。知らない人の自分語りなんて誰も読まないと思うから、勝手につらつらと書いてしまいます(笑;

小さな頃から電車が好きだったけれど、小学校4年生の時に東芝科学館を訪れ、そこで電気の魅力に痺れてしまった男の子。ブリタニカ百科事典をず~っと読んでいるような変な子でした。家族で毎月行くNHK交響楽団演奏会や、父のクルマ(ヒルマン・ミンクス)で良く行った伊豆半島への旅行、レストランで対面する初めての料理たちも、家で家族で聴くクラシック音楽と皆で飲んだ紅茶も楽しかった。

中学では放送委員会と園芸部に入り、放送内容より専ら放送機器に興味津々。今思えば「放送」の本質から外れてましたね~。園芸部は祖父の盆栽作りや父のバラ育成の影響かな。家の庭にバラが50株くらい在って、初夏と秋にはバラの香りに包まれてた。「チガーヌ」と言うバラが好きだったな・・・。女の子とか恋愛とかには全く興味が無くて、電気とバラと紅茶が好きなんて、やっぱり変な子ですよね。

高校は電気が学びたくて、先生の勧める公立進学校を止め、僕の中学では誰も行っていなかった私立・工業高校・電気科(男子校)へ。専門の授業が楽しくて楽しくてたまらない3年間を過ごしました。江崎玲於奈博士がノーベル賞を取られた時には、大学から教授が来て講堂で特別公演をやってくれ、電気工学をもっともっと学びたいってなりました。

校舎の前が小石川後楽園で、朝早く登校すると池に朝靄が掛かって綺麗だった。昼休みは良く音楽準備室で元東京交響楽団の指揮者だった先生と話してたし、放課後は傍の喫茶店で先生と紅茶をしたり、友達と秋葉原(この頃はまだ電気の街で、萌えやメイドさんは居なかった)を巡ったり、ビリヤード(四つ玉)に興じたり、キリスト教の教会に通い出したり・・・思い出深い高校時代でした。

担任の先生から勧められて大学に上がる事に。でもその頃、家の経済状況が厳しくなり、授業料・教科書代・交通費などは奨学金と夜間のアルバイトで賄う事に。アルバイトは2部(夜間部)の実験室助手、なので朝から夜まで電気漬けの生活を送れました(笑;。夏休みなどは電電公社・横須賀電気通信研究所へ行かされて実験の手伝いをさせられました。それでも授業の空き時間には友達とお茶の水界隈の喫茶店巡りをしたり、住友商事の傍に在ったビリヤード屋に通ったりと、それなりに遊びもしましたよ。

電動力応用研究所で卒論(実験と論文作成)を行ったんだけど、研究課題は企業からの委託研究が殆どだったので、卒論提出は「期限」では無くて「納期」。中間の進捗チェックも有って企業の方々も良くお見えになってました。そんな中である日指導教授に呼ばれ、予告も無く企業の方と面談。卒論研究の話の後で教授から「この会社に行かないか?」と。大学院に行きたかったけどお金は無いし、そのメーカーの製品は特性を計ると他社より良かったから好印象を抱いていた事もあって「はい」と答えました。後で聞いたんだけど、そのメーカーの人は一升瓶2本を持参し、教授は一升瓶2本で僕を売ったとのこと。その方はメーカーの技師長で偉い方だったんです。

子供の頃から大学卒業までつらつらと書きました。就職してからの事は何れ機会があれば書きますね。ちなみに僕はそのメーカーで定年までお世話になりました。アナログ/デジタルの電子回路~発変電所の機器群や監視制御システムまで、いっぱいいっぱい学ぶことが出来ました。地味で目立たないけど、縁の下で社会インフラを支える文化を持った重電メーカーです。

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